経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

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環境が悪いわけじゃない。病気になって辛いというわけでも、いじめを受けてしにたいというわけでもない。恵まれている自分なのに頑張れない自分がいる。ここに欠けている時点で大したことではないのかもしれない。自分が面倒くさい性格をしているのも分かっている。無償にムカつくんだ。考えすぎてしまう。こんな事をして自分のことを「自分の悩みに酔っている自分」のように思いたくない。ぬるま湯に使ってるんだ。辛すぎるわけでも楽しすぎるわけもない。温かくも冷たくもない環境にいる。ふとした感情を最近は敏感に感じ取りすぎてしまう。責任を背負いたいと言いながら責任から逃げている自分、もうお兄ちゃんを背負いたくない。誰でもいいわけじゃない。望んだ人に自分の悩みを聞いてほしい。そばにいてそれぞれの悩みを乗り越えたい。ほらそう思えるなら大丈夫でしょ笑って笑う自分がいる。自分てなんですか?

感想1

タイトルの疑問符が指すように、自分も周りも見えているからこそ「わかっているけどできない」感覚を抱きながらも、「そんな単純なことでもない」とどこか反発するような葛藤の中で見えているのに見失ってしまった、そんな投稿者さんの姿を想像していました。

今の自分の座標を知ろうとするとき、(私もですが)人は「自分やその周囲を相対的に見る」ということをするように思えます。それは、自分という人間の画角である一人称視点よりも遥かに俯瞰的に自分を捉えることができますし、実際に多くの情報や、内省とも呼べるような様々な視点を自身にもたらしてくれるのかもしれません。

一方でそれは、(投稿者さんの言葉を借りるとするなら)「恵まれているのに頑張れない自分」というような、どこか自分の意思や気持ち、在り方を肯定できないことに繋がる気もしますし、“見えているからこそ”自分という人間に疑問がたってしまうこともあるのかなと私には思えます。

敢えて外側からの視点や要素を鑑みて自分という存在を捉えることは、時には(あるいはたまには)必要なことなのかもしれません。ですが、自分という人間の人生は自分自身がもっと主体的であっていいはずと思ってしまう私がいます。

投稿者さんが自身と、取り巻くあらゆるものごとに意識や視点を向けていることは、自分も含めた現状や環境を真摯に実直に見据えようとしてることと言える気がします。しかしながら、同時に湧き上がる「~したくない」「~してほしい」「~したい」という気持ちもまた尊重されていい自分の正直な気持ちと言える気もするので、迷いや疑問の中で答えを出すのは難しいのかもしれませんが、自分の気持ちに耳を傾けたり大切にしてもいいのかなと思いました。

感想2

なぜ自分がこんなにつらいのか、原因をなにかに求めることも悪いことのような気がしてしまって、だけど実際に苦しいことは事実で……という迷路の中にいるように感じました。責任という言葉やお兄ちゃんについて、あなたの今いる状況をこの中から読み解くことはできていないのですが、あなたが消耗しながら今なんとか日々を過ごしていることは確かだと思います。すくなくともあなたの感じていることを「その程度」みたいに思う必要はまったくないと思いました。
個人的には悩みなんて乗り越えなくてもいいし、なにも頑張らなくてもいいと思うのですが、世の中では努力や成長信仰が高すぎるし、そうも思えないのかな…とも思ったりしています。ぬるま湯って結構湯冷めしちゃうイメージもあります。あなたにとって心地い
い環境は本当はどんなふうなのだろう、どうしたら、あなたがちょっと気を抜いて過ごせるんだろう、と考えています。

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