経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

救われない

自分が存在しなければどれだけよかったか、いつも考える

幼い頃から今までの、人間として正しくないような行いを思い出したくないと思っても、ふとした瞬間にフラッシュバックして、自分が如何に正しい人間じゃないか思い知らされる

間違えることは誰にだってあるとよく聞くけれど、私はそこで前を向けずに延々と後悔に苛まれ、自分の中で日々積み重なっていく悪行や間違いに押し潰されるだけ

少しでも自分が救われて地獄行きにならないように、ペットに優しくするとか、たまの家掃除や外出先での軽いゴミ拾い、重たい扉を後ろに並ぶ人のために開けておくとかそんなちいさなことをできるときにやってみるけれど、それと同時に増えていく間違いでプラマイゼロに戻される。それとも更にマイナスになってしまったのかもしれない

面倒事は嫌だし、完璧にやろうと思っても少しでも上手くいかなくなると冷めてさっさと投げ出したくなる
自分の未熟さを認めたくないから目を逸らす
幸せそうな人を見ると羨ましくなる
自分と代わってほしいと思ってしまう
ちゃんと仕事して勉強して、周りが生きているのを見ると、
真逆の自分が惨めに見える

ニュースやドラマで見る、酷い家庭環境や虐待を受けていた人を見ると代わってあげたいと思いながらも(自分もこれだけの扱いをされていれば良かったのに)なんて、とても最低なことを思う

平和にならない世界が、ものすごい早さで複雑に変わっていく社会が、争い続ける人間が怖い
生産性のない無職で、酷くないうつ病なんて名前がほしいだけの、ただの非力で臆病な人間の私が一番嫌で醜くて

好きなものを批判されると、好きになった自分がおかしいのかと思うようになる
励ましてくれても誉めてくれても共感してくれても、話が頭に入らず信じられない
精神科医の話も毎回毎回同じでうまく聞けなくなって無駄な時間だと思うようになった

救われたいと動くけど私には救われる資格はないと思っているし
むしろ私は罰を受けるべきだと
自死ができないから、何か不可抗力で死ぬことができるよう思ったり、
こんな臆病で他人任せなのも罪なんだろう
苦しんでもいい理由がほしい時点で、あまり苦しんではいない人間なんだろう

何も持っていなかった頃に戻って、正しく生きられたら
好奇心を抑え、親に口答えをせず、社会にも順応できて自立した、正しく優しい人間に
赤子の頃の自分を殺せたなら、私という社会のゴミも産まれないから家族も少しは楽をしているはず

こんな、毎日自分の無力さと無価値さに振り回されて、何もできないのに社会情勢のことを考えたりして、
毎日親がいない間の少しの家事とスマホを延々見て横になり怠惰に過ごし
あらゆるものに恐怖して警戒して
それを終わらせるには死ぬしかないのに、臆病だから先に先にと予定を引き伸ばす

これじゃ当然救われないし、幸せにもなれやしない
ずっとこのまま、答えも出ず苦しみ続けて

これが夢で、現実はすでに死んでいたならよかったのに
寂しくて虚しくておかしくなりそう

感想1

知人から「無力感は無力か」と問われたことを思い出しました。平和にならない世界のこと、複雑に変わっている社会のこと、争い続ける人間のこと、社会情勢のことを考えて、感じているあなたの無力感は本当に無力なのだろうか。無力感は何も生み出さないんだろうか、そんなことを考えます。

どちらかと言わなくても後悔や反省ができる人の方が私はよっぽど好きなのですが、忙しない世の中で自分の毎日の行いに涙をする暇さえない方が多いのではないかなと思います。人間としての正しさについて考えて、自分をしっかりと顧みているあなたの時間が大切なことのように思いさえします。

人に取り返しのつかない酷いことを言ったり、お店のものを盗みもしたし、バス賃もごまかしたり、散々な悪いことを私もしてきてきました。考えると、生きていられないほど本当に大変なことをしてきたと思います。その時は罪悪感がなかったと言っても、後から罪悪感がなかった自分に対する罪悪感の強さと言ったらありません。

そのうち、地球に対して散々なことをしてきたという罪悪感にも苛まれました。勉強する過程で、どんなに地球に優しい石鹸を使っても環境汚染につながるということを知った時には暮らすのも生きるのにもスーパー苦労しました。私の周囲も大変だったと思います。そんなこんなで過敏になりすぎて行った病院では「あなたは地球を守りたいの、自分を守りたいの、どっちなの?病院はあなたを守るところなの」と言われて雷に打たれたような衝撃を受けたことがあります。自分を大切にしてもいいんだという衝撃だったのかな。

救いやゆるしについて考えるとき、なかなか周囲の人と話ができることは少ないなと思います。わからない人の方が多いとも思います。忙しい日々で紛らわせて忘れているだけだったりもするんじゃないかなとも思います。時間を理由にそうしてしまいたくなる自分もいるけど、立ち止まった時に悔いても足りないことばかりしていることも事実だなとあなたの文章を読んで思います。

悲しくなったり怒ったりすることも多いですが、最後に思うのは人を許すことも許さないことも、本当は人間ができることではないんじゃないかなと考えたことがあります。物質的に何かと重なれないくらい、存在が許されているんだから、人のことも自分のことも許すことしかできないとも思うことでなんとか生きていけてるんだと思います。そんな考えに私は救われているのかもしれません。

あなたのゆるしと救いはどこにあるだろう。あなたが自分を大切にしてもいいと思える瞬間はどこにあるだろう。人と会わないとどんどん人が怖くなったり、自分が何者か説明できないことに怯えたり、無価値だと思ってしまうこともあるけれど、あなたが今、考えていること、感じていることは宝石やお金や働くことよりも、ずっと大切な時間だと私は胸を張って言います。

感想2

過去の出来事がずっと思い出されること、日々自分を責めることで、心身ともにぐったりしている状態を想像しました。
ふとした瞬間に襲ってくるフラッシュバックは、肉体も精神も削っていき、とたんに人を無気力にさせてしまうものだと思います。その瞬間、後悔の感情に襲われてしまうので、私は数えきれないほどの「マシ」な気持ちを台無しにされました。過去を強制的に思い出されることが多いから、それに伴って自分の無力感や自責の感情が発生することが多いのかなと、ふと考えました。過去から目を逸らそう、清算しようとしても、前を向こうとしても、過去の方からぶつかってくるんだから本当に困りものだと感じています。まるで当たり屋です。

文章全体からとても強い自責の感情を感じ取りましたが、この自責はかつては他人から与えられたものではないか?、あるいは、物事の原因を自分に帰属しなければどうしようもなかった環境のではないか?と勝手ながら想像していました。そうであれば、当然周囲に対しても恐怖や警戒を抱いてしまうよな、とも思います。

また、幸せになったり、救われるために償いをしようとしている様子がとても印象的でした。あなた自身が、あなたの行動を「悪行」「間違い」などと表現し、今のままでは救われる資格がないとしていることを読み取りました。私も「救ってくれ……」と思う瞬間がありますが、はて、そのとき私は誰に救いを乞うているのだろうか?救う/救わない対象って誰がどう決めるのだろうか?などと、突如として思いました。
この世にはたくさんの神仏がいらっしゃいますが、何か条件を満たさなければ救ってくれない神様もいる一方、悪人であっても救ってくれる気前のいい神様もいます。
でも、この社会は「何か救うに値することをしなければ救ってやらない」と人に思わせることが多いと感じます。あなたが過剰とも思えるほど自分を責めてしまうのは、結局そう思わせている社会があるからなのではないかと思えました。

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