経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

希望はない

死にたい。
つらい境遇ではないと思う。普通の判断力があれば十分幸せになれる家庭だったのだろう。だから、読者で、きつい人生を送っている方には以下の話は読んでほしくないです。

大学生です。医療系の学部の最終学年を留年し、今回また判定試験に落ちました。

試験はほぼ間違いなく落ちた。2年目の留年か退学かまだわからないけど、心臓や腰など体を壊したかもしれず、大学に通わせてもらえても通学できない。働くのは肉体的にもっと難しいと思う。なにより、自分に関する悪い噂があり、友達含めた味方が一人もいない。自分で考えて努力した経験がない。
家族に無理やり食事出され過食状態になり、それが継続したこと、カウンセリングで予定が詰まったり、精神の乱れで健康を損なった気がする。

進路では親に振り回された。
中学、高校のころは客観的に見ても明らかに管理されており、自分の意志で定期試験勉強のやり方すらきめたことがない。(大学になって苦労する一つの要因)。理科や社会の選択科目では苦手な物理と地理をとらされ、しかも、急に進路変更して医療系の学部に行くことになり、物理は必要なくなったなど無駄も多い。復習するななどいわれた記憶がある。
受験勉強の話を聞くたびに、辛そうだと胸を痛めると同時に、自分も自分の意志で決めて、それだけ努力してみたかったと思う。本当になぜかわからないが、高校性のころには大学受験の勉強を自分の意志ではほとんどしなくなってしまった。(予備校などの授業は受けていました)
結果として、遠い私立大学の医療系学部に行くことになった。

大学に入ってからはコロナ禍などあり、また学習についていけず再試験を受けまくっていたり、高校のころの黒歴史が噂になって孤立したりなどしました。
おかしくなったのが大学三年生になって新型コロナウイルスの蔓延により自宅で講義を受けざるを得なくなった時。心臓に強い痛みを感じ、病院に行きたいと思った。自分の保険証は家族が持っているため、病院に行くには家族の許可が必要。しかしなぜか行かせてはくれなかった。大学の制度で医療費は還付を受けられるため、お金の面では全く問題がありません。
心臓病への恐怖とハードなカリキュラムのせいで精神に不調をきたし、大学に行けなくなってしまった。
その後なぜか心臓自体には何もないことが分かったが、心療内科にてうつ病とのこと。問題はここから。

精神面で病んで研究室を休んだとき、ずっと自宅にいたかった。
しかし、家族には外食につれ出され、その姿を見られたせいか研究室を怠けて教授にうそをついて遊んでいたと噂を流された。結果大学内で孤立した。さらに学外でも噂されてしまい、外部で睨まれたり、悪口を言われたりするようになった。アルバイトもいくつか断られた。弟ですら自分のことを怠けてさぼっているやつだと思っているみたいです。

研究室は四年生、五年生とがんばってはいたはず。夜まで残っていることも多かった

しかし大学で孤立したのは大きく、つらさがあると同時に勉強方法がわからず、留年につながった。

過食状態が続いたことで集中して勉強できず、全力を尽くせなかった。また、健康を悪化させた。状況がより悪くなった。この時ならアルバイト経験を積みつつ、勉強もして、留年は避けれた気がする。
留年後、カウンセリングには通っていたが、予定が埋まってしまうなどの理由で、
それがかえって過食や勉強、アルバイトでの挫折につながったような気がしてならない。

電話相談窓口は大半を使ってしまった。何度も電話し、通じたこともあったが、結果としては何も変わらなかった。結局最後は自分で考えて決めなければならないことを理解していなかったと思う。

そして過食状態が続いた理由として家族はやたらと食事を出してくる。早い時間にいらないといっても結局出してくる。平日に大学に行って夜ご飯はいらないといっても出してくる。食べてしまう。結果過食状態が持続し、体に影響が出た。診断こそつかないものの明らかに昔に比べて疲れやすくなった。また胸が痛くなるなどし、通学がつらく、試験なども集中して受けることができなくなった。
そして七年間座りっぱなしのことが多いからか、腰痛もある。座る系の事務仕事すらできなさそう。

健康であれば耐えて働けるだろうが(もちろんとても大変でしょうが)、体を壊してしまい、物理的に働けない。病院費用すら自分で賄えない。通信費も払っていない。

今現在は大学の最終学年ですが、悪い噂や上記の肉体的な問題から、就職できる自信がありません。将来ニートとして、研究や勉強などまじめにやらずそうなった見下げ果てたやつ、と思われる未来しか見えずつらくて仕方がない。全力で努力してそうなったならまだ考えようもあるが、余力があるのは確実だ。病気への不安は消えない。将来の親の介護などはどうするのか。過食状態も解消できていない。
もうチャレンジできない。バイトすらほとんどしたこともないまま20代後半に入った。携帯電話の買い方ひとつわからない。
自分の意志で努力したこともないまま、楽しいと思えたこともないまま、健康損なった。生きていけない。なのに深い絶望も感じれない。

感想1

この経験談をどんな体勢で書いたのかわかりませんが、書きながらも腰や胸の痛みに襲われているのだろうかと考えました。健康に対する懸念や実際の不調といった身体的な感覚と、精神面や自他評価といった社会的な感覚、そのどちらもが共存しながら、同時にどちらからどう手を付けていいかわからない混乱…そんな複雑さを感じ取りつつ感想を書いています。

全体として、生活や進路における選択のほとんどを家族の意向によって管理されることで、投稿者さんが自らの手や頭を使って自尊心や判断能力を得る機会が奪われていったように感じました。勝手な推測かもしれませんが、複数の予定や要素が自分の身に起きたときに、その中で優先順位を考えたり、自分にとっての重要性を検討したり、曖昧なままでいったん置いておいたり、というような整理の習慣が薄いのかなと文章内の書きぶりやエピソードから感じました(良い悪いという意図はないです)。今回家族との関わりとして特に書かれていたのは勉学や食事のことでしたが、それらは人生のすべてとは言わずとも、投稿者さんの判断力と健康を形作るうえで(特に学生時代における勉学、そして生活能力としての食事管理と考えると)重要な項目だったのではないでしょうか。

「自分の意志で努力したことが無い」と書かれており、他にも自らの気の持ちようを原因とするような書きぶりがいくつか目に留まりました。その文脈での「自分のせい」というような価値観は投稿者さんの自己評価の中で結構な割合を占めているように想像しています。
個人的に「何かに取り組む(努力する)」には、「できるかも」と思える心持ち・「できなくても大丈夫」と思える安心感・そして一筋縄ではいかないことに耐えうる心身の余力が必要な気がしています。それらは社会に出てから自分で獲得できる場合もあるかもしれませんが、環境によって醸成される部分が大きいように感じます(コロナや周囲の人間の態度など、自分でコントロールしきれない要素も含めて)。仮に環境的に資源がそろっていたとしても、どう使うかをこちらが選べない不自由さがそこにあるならば「全て自分のせい」とは思わなくていいのではないかと、私は思いました。

投稿者さんの心に生じてきたであろう「こうしたい」「これはしんどい」などの気持ち1つ1つが、無意識のレベルで処理されて無いものものになったり、身近な人や自分に否定的なまなざしを向けてくる第三者の存在によって歪められてしまったりしてきた、そんな「これまで」を感じる経験談でした。どれだけ些細なものからでも、投稿者さんの「こうしたい(したくない)」が実っていく「これから」があるといいなと感じます。

感想2

投稿ありがとうございます。経験談を読んで感じたのは、試験や過食、学校での孤立といった事象のなかで、あなたがそれらのことに対し自分ではもうなにも打つ手がない、という感覚があるのではないかということでした。全体を通してあなたの「わからない」という感覚を強く感じたように思います。
あなたの中には、自分でわかることやイメージできることと、わからないことや、あるいは考えるだけで抵抗感すらあるようなことの両方があって、その間に大きなギャップがあるのだろうかとも想像しました。「なぜだかわからない」けれど結果としてある現状と「結局最後は自分で考えて決めなければならない」ということの間をどう繋げばいいかもむずかしく、電話相談などをしてみても思うように結果が出ない感覚が募っていくようなところがあるのでしょうか……。

留年も退学も「学校」という環境から遠く離れた私自身としては、さまざまな経路のひとつに過ぎないとも感じるのですが、あなたの生活で考えれば、さまざまなことのどん詰まりの感覚の表れのような感覚にもなるのかなと思いました。それらと合わせて、過食や噂などいくつかのキーワードが、あなたの中に明滅するように注意をひき、困難の象徴のようになっているのかもしれません。

家族とはいえ一心同体ではないので、家族を無視してもいいし、家族から離れるには世帯分離して自分の保険証をもらうこともできると思いますが、あなた自身はそうしたいわけではなく、今の前提をなるべく変えずに、同時になにか自分に変化をもたらしたい感覚もあるのでしょうか。あるいは家族があなたの状況を理解してくれれば話は早いのかなと思いつつ、人を変えることはかなり難しいのもまた事実だなと思いました。

学校に相談室などがあれば、ここに書いてある内容を見せつつ様々な「わからない」ということ自体を相談してみるのもひとつかもしれない……と思いましたが、もうされているかもしれませんね。「もうチャレンジできない。バイトすらほとんどしたこともないまま20代後半に入った。携帯電話の買い方ひとつわからない。」といった文章を読むと、それができないこと自体というよりも、それらが「できたほうがいい(はず)」という認識はあるけれど、チャレンジやバイト、携帯を自分で買うといったことをあなた自身の気持ちとして「やりたい」と感じたことはあまりないのかなと思いました。もしかしたらあなたは自分の「やりたくない」と感じることや苦しさの感覚はあっても、自分自身の意思を深く感じるのが苦手な部分があるのかもと思いました。 もしそうだとしたら、生活の指針を得づらくなるのも無理はないように思いました。

いろいろ想像で書いてしまい、すみません。なにかあなたの独特な温度感、自分との距離感のようなものがある気がして、考えてみていました。

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