のびアート

1人で買った洋服は純白だ
まっさらだ
誰とも交わることのない
日時とその瞬間を
思い出と呼ばないから

誰かと買った洋服は記憶を纏う
嬉しいな 今は
誰かはいつかいなくなる
離れてく
温度を持った かつて胸が躍ったそれは
虚しさを連れてくる洋服に様変わりする

そして私は誰かと洋服を買うのをやめた

洋服を着るたびに
薄れゆく誰かが脳裏によぎることを
私は避けたから

私は誰かを 記憶に残すのをやめた

喜怒哀楽どれが欠けてもダメなのだと
悟ってはいた けれどね

人がいないと
記憶なんて ただの水平線

水平線だ

感想1

一人で買ったものは純白。純白なものに色を重ねていくように思い出が増えていくのもまたいいような気もするけど、買うというのはある種の出会いというか思い出が産まれる瞬間というところがあるから、より温度を持ったり、虚しさを運んだりするものに変わるリスクというのか、辛いところもあるよな思いました。服って特に、自分の身体と一体化していく感覚もあるし、余計になのかな。私は古着をインスピレーションで買うことが多いのだけど、昔の服って大量生産じゃなかったりするから、何十年も前に誰かが作って、それを当時の誰かが着ていたものというだけで、ちょっとロマンというか、歴史とつながっている気がしたり、すでに物語が始まっているものを身につける感覚があって。そういうのを一人で楽しんでいて暗い人間なのだけど(笑)
しかし思い返せば辛い想い出がある服もあるし、捨てきれないものもあるし、それは服だけじゃなく場所とかにあるなーと思ったりしました。でもそれが何もない人生は確かに水平かもしれないし、水平じゃ無さは味とも言える。食べられる味くらだったらいいけどね。水平な時期があってもいいし、それもまた味だしなとか思ったりしました。

感想2

静かに揺蕩うような文章が印象的でした。また、「誰かと買った服は記憶を纏う」の部分には、個人的にとても共感してしまいました。私自身も、家の中にある物の大体は、どこで誰と、あるいは一人で購入したか記憶されています。正直な告白をすれば、誰かの記憶が残る物(貰ったプレゼントなど)は、しばらく経つと断捨離の対象となっていきます。投稿者さんが、誰かを記憶に残すのをやめようと思ったことは、何度も寂しさや悲しみを経験した上でのことのように想像しました。何かしらの感情を伴う「記憶」と、「物」の関係について、もっと考えてみたいなぁと思いました。

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