経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれた意味、生きる意味、未来の自分の姿、なぜ見えないの?

「自分」という存在はなぜこの世に生まれて、わざわざ地獄みたいな場所・環境で生きるはめになっているんだろう?褒め言葉も何もかもお世辞で心のなかではまったく思っていないように見える。発達障害のせいで会話の記憶も自分の都合の良いように変わっているらしいし、それを自分ではまったく認識できない。人として欠陥品の限りなく人っぽい何かとしか自分を認められない。本当はそうではないはずなのに、周りの人間全てが自分に対して嫌悪感を抱いているように見えるし、そういう解釈をしてしまう自分が嫌になる。死にたいと確かに思っているはずなのに、周りにかまってもらうために、また都合の良いように変えているのかもしれないと思って、周りの言葉も自分の感情も信じられない。毎日毎日生まれて来てしまった意味や生きる意味、将来の自分の姿を考えるけど、思いつかないというより環境や障害のせいにしている自分はクズで生きる意味も生まれた意味も無く、将来を実現できる大人になる前に死ぬべきだという結論に行き着いてしまう。前向きな考えをしようとしても、すぐに頭の中でその考えに反論して、結局は死ぬべきであるという答えが出る。そもそもの話、こうやってキーボードを打っているけど、本当は自分の感じているありとあらゆる苦痛は他の人間からしたら取るに足らないようなもので、自分がただただ構ってもらうために苦しもうとしているのではと思うと他人も自分も全く信用できなくなる。

感想1

ご自分を「限りなく人っぽい何か」として認識しているというのが印象的でした。この表現は、あなたが抱える葛藤や、ご自分のことを客観的に捉えようと努める思いが込められているのかなと感じています。
私は、自分のことを完全に客観的に捉えるのはすごく難しいことだと思っています。どれだけ客観的であろうとしても、どうしても自分の主観というか、感情が多少なりとも入ってきてしまう気がするのです。そんなことを思っていたので、私目線でのあなたは、行動と感情が噛み合わないもどかしさみたいなものを感じているのかなぁ、時には自分の感情によって、実際の行動をコントロールされているような感覚もあったりするのだろうか、などと想像しています。
一つ言いたいのは、あなたが仮に構ってもらいたいという思いを持っていたとしても、それは誰かに責められるようなことではない、ということです。あくまで私の体感ですが、人は誰しも構ってほしいという思いを多少なりとも持っているような気がするのです(その思いをどういう風に形にするかはさまざまだとは思います)。だからあなたの思いも、誰かに糾弾されるようなものではないと、私は感じました。
構ってもらいたいという感情を私なりに深めてみると、見守っていてほしいとか、誰かとの繋がりによって安心したい、という意味合いもあるのですかね…。他にも構ってほしいの裏にはいろいろな感情が潜んでいるような気がしています。個人的には、その感情を紐解いたり、苦しむ以外の方法でも人と繋がる方法を模索してみたりすることで、あなたが得られるものがあるのではないかと感じたことは、最後にお伝えしたいと思います。

感想2

まっすぐに、社会に向けられたような題名に、背筋を伸ばすような気持ちで読みました。まるで、連続パンチからのアッパーカット。あなたが自分自身に、これでもかというほど痛みを与え自分を試している。「人っぽい何かとしか自分を認められない」心の辛さがあり、生きる疑問を持ち、未来を憂い、言葉を綴る。あなたは人間の中の人間だと、私は思いました。もがいている本人を跳び超え、その率直な姿は人を惹き付ける何かがあるように思います。

生まれた意味や、生きる意味、残念ながらコレだ!と、答えられる気がしません。私も生きるを実践中だからです。未来の自分の姿もわかりません、ただ旅をしたいと思った時に、飛行機のチケットは買えるだけのお金は通帳に入れておこうと心がけています。なので、未来の自分もきっと旅を時々しているのかなと思います。今の暮らしの中の小さな場面がつながっていき、未来の自分の姿になっていくような気もします。あなたにとって意味を持たないお返事になっていたらごめんなさい、けれどもあなたの投稿に出会えたことを喜んでいる私がいます。投稿いただき、ありがとうございました。

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