経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の精神状態を言葉で表現できない

私は子どもの頃から死にたいと思っていました。もう何歳から思っていたかわかりませんが、小学生低学年の時には既に思っていました。
「もう自分は死ななければいけない」と強く思ったのは小学6年生の夏休みの時です。母親の言いつけを聞かなかった私が悪いのですが、夏休み中ずっと無視されて居ない人のように扱われました。最低限のことはしてくれていたので虐待を受けていた訳ではありません。
でも、その時に初めて遺書というものを書きました。実行する日にちも決めました。涙が溢れました。
結局勇気がなくて実行できませんでした。

母親はたまに無視をする人でした。無視された一番古い記憶は、幼稚園の時です。兄と私が「お菓子を買ってくれるからお父さんの方が優しい」と話しているのを、母親が聞いていたようです。それに怒った母親がそれからしばらく私を無視していました。
幼い私はなぜ無視されているのかも分からず、思い返せば絶望の一番古い記憶がその時だと思います。
しばらく期間が経ってから、母親は無視を続けた理由を説明してくれました。私はとっさに「お父さんよりもお母さんの方が大好きだよ!」と言いました。その時は自分が母親を傷付けたのだと反省しました。

このような無視はそれからたまにあり、そのたびにしばらく無視される期間が続きました。そして無視がトラウマになっていきました。中学生の頃、友達と喧嘩になったときに無視されて、パニックになって教室で大号泣したこともあります。

父親は自己中心的でワガママであり、精神年齢の低い人でした。私は物心ついた時から父親の性格をなんとなく見抜いていました。
父親はそういう性格なので、家庭のことを一切顧みることはありませんでした。
父親と母親が会話しているところは今現在まで一度も見たことがありません。

そういうこともあり母親は当時鬱状態だったのだと思います。というのも、母親は全く笑うことがありませんでした。とあるテレビ番組を観ていた母親が少し笑った時には兄と一緒に喜んだのを覚えています。
それから毎週その番組の時間になると、兄と一緒にテレビをつけて母親が笑うのを期待していました。

母親から虐待を受けたことはありません。ですが、愛情を感じる機会があまりなく育った自覚はあります。
母親から言葉で愛情を表現してもらったことは、記憶している中で一度だけです。5歳の頃に一度言ってもらえたことを未だにずっと覚えています。
それ以外は、言葉で伝えてもらうことも抱きしめてもらうことも、褒めてもらうこともありませんでした。
友達と喧嘩した時も私の味方をしてくれたことも一度もありません。
ですので、私は子どもの時から自然と私は愛されていないと思っていました。

一度虐待のニュースを見た母親が「自分の大切な子どもに何故こんなことが出来るのか信じられない。」と言ったことがあります。その時私はまだ子どもだったのですが、本当にお母さんが私を大切に思っているのかと疑問に思いました。そのくらい自分は必要ないと思って育ちました。

ずっと母親が悪者のように書きましたが、母親は本当に鬱状態で本当に辛かったのだと思います。
そして子どものとき、私は本当に人の気持ちを考える事ができなくて、母親を傷付けるような事もたくさんしました。ですので、私が原因のことが多いのです。もっと母親の気持ちを考えてあげればよかったと後悔しています。

長々と書いてしまいましたが、今の悩みは過去からくる自分の生きづらさを表現する言葉がわからないことです。
自己肯定感の低さから、若い頃何度も失敗しました。でもそれは自分の行動の結果であって、母親のせいだと思うことは一切ありませんし、恨みもありません。今は自分の過去の無責任な行動のツケを払っています。

ですが、やはり心の虚無感や自己肯定感の低さはどうしても拭いきれないのです。
ネットで検索して出てくるのは、過去に虐待を受けていた人やPTSDの方たちに当てはまるような言葉ばかりで、私に合うようなものが見当たりません。

虐待は受けていませんし、ネグレクトも受けていません。普通に接してくれた時の方が多いと思います。
私は30歳手前ですが、今は母親とはもう仲良しの親子です。現在は結婚して実家を離れていますが、連絡もマメに取りますし、2ヶ月に一度は会います。鬱状態にありながらも育ててくれたことにとても感謝しています。

ですが、このたまに現れる抗いようのない絶望感と自己否定感が何者なのかわかりません。過去の自分がもっと愛されたかったと訴えているような気がしてなりません。
一度思い出して考え始めると涙が溢れてきます。死にたいという気持ちは、子どもの時からずっと何かある度に思ってしまいます。

私よりももっと辛い体験をしてきた人がたくさんいるのは分かりますし、そういう人からしたら私は恵まれているのだと思います。
この感情に名前がつけれたら、楽になる訳でもないと思います。でも何か言い表せる言葉が欲しいです。

感想1

「母には時々無視されたけど、鬱状態の中育ててくれたことに感謝している。」「自分よりも辛い人たちがいる、だから私は恵まれている。」あなたの投稿を読み印象的だったのは、あなた自身の感情が言葉として書かれていなかったことでした。自分の身の回りの世話も満足にできない年齢で、頼みの綱である親が無視をすれば当然子どもは、「辛い」「しんどい」「悲しい」「怖い」など強い感情を持つと思います。そして、時がたち悲しみそして怒りが増していても仕方がないような気もしますが、その言葉もどこにも書かれていません。一方で「もう自分は死ななければいけない」「抗いようのない絶望感と自己否定感」という強い感情を持ち、その正体に悩まされているあなたもいます。

すごく薄情な表現になっていたらごめんなさい。母親の鬱病という事情と、あなたが無視をされても良いということはイコールなんだろうかと、何度も読みながら考えてしまいました。間違ったことをしたら注意を受ける、良いことをしたら褒められる、子どもに限らず人間は言葉や文字を介して理解し合い変化と成長をしていきます。言いつけを守らないあなたに対し、「無視」は「自分で考えなさい」という教育的メッセージだったのでしょうか。

死ぬ日を決め遺書を準備した、小学6年生のあなたをは傷ついたままで、幼少期の親との関わりを納得することができず今もずっと苦しんでいる。そして母親と同じように、あなたもあなた自身を無視している。ここまでずっと頑張ってきているあなたに、それは無いんじゃないかと悲しい気持ちにさえなります。涙を流しているあなたに、「わかったよ」っと、一言声をかけてあげて欲しい、少しずつ自分自身の声を聞き合ってくれたなら、と思わずにはいられません。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

以前に読んだ本で、「”無償の愛”は親から子へというイメージが強いが、実際は子から親に対するもののほうがよほど揺るがない」というような一文があったのを思い出しました。愛がなんなのか私はわかりませんが、思いやり、情、親しみ、よりどころ(にしたいもの)というようなイメージがあります。私自身、環境的にはおそらくかなり恵まれながらも親子関係に強いコンプレックスを抱えて育った上でこの一文を読み、妙に納得した覚えがあります。それ以来、親の一挙手一投足を否応なく察知し、自分のできる限りで応えようとするのが子どもという存在なのかなあと私は思っています。それが良い・悪いという意図は無いのですが、あなたの経験談における母親さんの存在感の強さ、母親さんが揺るがない正しさを持った(少なくとも否定できる余地はほとんど無い)存在として表現されているように感じたことで、先述の内容が頭に浮かんできました(ぜんぜん違ったらすみません)。

「自分の状態を言葉に表現できない」「言い表せる言葉がほしい」と書かれていましたが、その発出を(無意識にでも)抑えているのが、今は穏やかな関係を築いている母親さんに対する想いなのかなと、勝手ながらに想像したところです。なぜなら、大人になった今の気持ちのみならず、小さい頃の絶望や痛みさえ、まだあなたは適切に表現する機会を得られていないのではないかと思うからです。これは私自身の体感も交えてになってしまいますが、大人になるにつれ、自分の現状やそこに紐づいた過去の出来事を説明・解釈する術(言葉)は多かれ少なかれ増えていくように思います。一方で、自分の輪郭と足取りがはっきりしていくほどに、取り返せないものに気付いてしまったり、足りないピースを見つけてしまったりするような気がしています。そして(傍から見て)大人になっていくほどに、当時拾い上げられなかった子どもとしての感情や「らしさ」を表現するのは難しくなっていくように思うのです。私は折に触れて過去の傷を外に出すよう心がけているのですが、上手く出せずかえって傷ついたり、自分の嫌な部分を覗くようでひどく苦しくなったりするので、必ずしも「表現できるようになったほうがよい」とは思いません。ただ「わからない」ままなのも、「自分はきっと大丈夫だったはずだ」と思考を修正し続けることも、「愛されたかった」という願いが心にくすぶり続けることも、どれも苦しくて当然だし、言葉にならないぶん涙として外に出ているのが今なのではないかなと私は感じました。

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