経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

こうなるなら10年前に死んどきゃよかった

小さい頃から「大人になったら誰も助けてくれない、(学校を休んだり等すると)社会に出たらやっていけない」と厳しく言われ育った。

小学生の5年半の間、学年中、他学年からいじめを受け、中学でもスクールカーストに苦しんだり、いじめを受けていた。学校では人間扱いされないことが当たり前だった。された事を訴えても先生は「はい」の一言で終わらせるなど、大人は誰も助けてくれなかった。目の前で起きた出来事の話しかしてないのに、誰も私の話を信じてくれなかった。

第1志望の高校に進学できたものの、人間関係のトラブルに巻き込まれ、病院で適応障害と診断される。受け入れられなかったから無理して通学していた。この時の主治医は、人生で初めて私の話を信じてくれた人だった。
そのまま心身共に潰れて3年の時に通信制に転学。未成年なのに飲酒や喫煙ばかりしている同級生ばかりで友達はできなかった。
学校に通い続けるのは辛かった。自律神経失調症で身体も重く、身体的にも辛かった。でも、ここで休んだら社会で通用しない人間になる。だから学校に行き続けたし、身体を傷付ける自傷行為は絶対にやらなかった。
社会は苦しい場所だと叩き込まれたから、20歳までに死のうと思っていた。

親は21歳で私を産んだ。将来に何一つ見通しが立ってないデキ婚だったし、貧困家庭だった。休日は1人で家にいることが当たり前だった。両親は仲が悪く、父は私が小学生の時に仕事を辞め、養育費を1円も払わなかった。父は時々帰ってきて、暴言を吐かれ、暴力を受けた。母が泣いているところを何度も見たし、両親の喧嘩の声を何度も聞いた。私が小学4年生の時に離婚。高校生の時に、父のLINEのアイコンが知らない赤ちゃんの写真になっていたことから再婚し子どもを作ったことを知った。(父とは絶縁済。)

小学五年生の時にはじめて「自殺したい」と思った。その気持ちは10年以上経った今も変わっていない。

母の学歴コンプレックスが理由だとは思うが、高卒後の進路は4年制大学しか選べなかった。私は家にお金がないから、高卒で働いて家にお金を入れることが1番いいと思っていた。

大学入学後、「資格を取らなければ大学に行かせた意味が無い」と言われ続け、学科のカリキュラムで取れる国家資格取得を目指すこととなった。精神的に不安定になりながらも実習に行き、国家資格を取得し、卒論を書き上げ卒業した。この4年間の間に、卒業後実家を出るために貯金をしていた。親の反対を押し切って家を出た。

住み慣れた土地での就職を希望したが、離れた場所で働くこととなった。縁もゆかりもない土地で、何も分からないまま働き始めることになった。知らない人達に、育った場所とは全く違う価値観を押し付けられ、教育放棄されAIに相談する日々。仕事に対する意欲はなくなりどんどん精神的に参っていった。結果、うつと診断され休職することとなった。

生い立ちを話したら「よく生きてたね」と言われたことが何度かある。そう言われるということは、私はいつ死んでもいいということだ。
地獄みたいな人生の中で何をしても報われなかった。自分の為になると思ってやったことも、人の為になると思ってやったことも、全部無駄だった。もう全部終わらせたい。全部終わらせる勇気がほしい。

感想1

学校や家庭、職場などがあなたの居場所として機能せず、常に戦々恐々とした心境で過ごしてこられたことが伝わってくるようです。
私としては、幼い頃のあなたが「大人になったら~」、「社会に出たら~」という言葉を繰り返しかけられてきたことに、勝手ながら憤りを覚えてしまいました(実は私もそれに近いことを言われた経験があります)。それらの言葉が全くもって間違っているとまでは言いませんけれど、大人になった後のことや、社会に出てからのことなんて、自分含め誰にもわからないことだと思うので、決めつけないでほしいと私は感じます。それに、それらの発言はこれから大人になっていく人たちに対し、不用意に漠然とした将来への不安を抱えさせてしまうものだと思います。大人になることが楽しみではなく重圧になってしまうのは、それだけで十二分に苦しいことだと私は思うのです。
あなたは上記の言葉以外にも、何度も鋭利な言葉をかけられた経験もあるのではないかと思います。人間扱いされないのが当たり前というくらいですから、私の想像を絶するような、人によっては信じられないような体験をされてきたのだろうと想像しています。それでも、受診をして今までは信じてもらえなかった話を主治医に伝えたり、つらいながらも学校には行き続けたり、大学に通いながら実家を出るために貯金をしていたり。苦境に立たされながらもできることを探して、冷静に物事を運んでいる印象がありました。いろいろな方法で、大人になる・社会に出るための準備をじっくり行なったということなのかなと私は感じました。
そして今、長い時間をかけて行なった準備が、あなたとしては無駄だったのではないかと感じずにいられない状況ということなのかなと読み取りました。経験談を読ませてもらえばこそ、その苦しさや喪失感がどれほどのものなのか、ありありと伝わってくるように思いました。ただ、私なりにあなたのしてきたこと、積み重ねてきたものがあることを感じ取ることができた気がしていて、それらを尊重したいなと率直に思ったことはお伝えしたいと思います。付け加えて、今の場所があなたを尊重せず、価値観を押し付けてくるような場所であるのなら、別の場所に移ることも選択肢の一つなのではないかと思ったりもしました。

感想2

「大人になったら誰も助けてくれない」という言葉が、あなたが自分一人で闘うことを周りに押し付けられた言葉(ある種の呪い)のように感じながら読みました。周りに助けを求めても受け取られない絶望感、休んだり回避したりすることを許されないようなプレッシャーに取り囲まれ、あなたの抱える孤独や痛みはどんどんと内に溜め込まれていった(そうする他なかった)ように想像しています。その中でも自分の生き方を考え、行動してきたことはあなたの力だと思うのですが、それらによって生きることが楽になるわけではなかったという手ごたえのなさがあなたを虚しくさせ、希死念慮に至らせているように思えました。経験談は全体として淡々と描かれていたように感じましたが、タイトルや文末の言葉に、やるせなさや生きることへの徒労、その切実さが滲んでいるようにもイメージしました。

客観的に聞けば多くのトラブルや選べない理不尽に巻き込まれてきた話として「よく生きてたね」という反応になるのかなと思いつつ、それ以上に「必死」だったのではないかと私は解釈しました。後から振り返ってどう思うかよりももっと手前のところで、その時々のあなたが必死に生き延びようとし、社会や他者と繋がろう(コミュニケーションを取ろう)としてきたのではないでしょうか。勝手な想像かもしれませんが、どの瞬間も地獄のようだと絶望しながらも同時に、自分の居場所(活路)を社会の中に見出そうと模索し続けてきた方なのではと思いました。

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