経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の人生

幼い頃は両親が喧嘩している場面を黙って見ているしかなかった。
普段は穏やかだが、怒るとヒステリックな母。父はろくに仕事せずでギャンブル癖。その後両親は離婚し、母、祖父と祖母と生活するようになった。そこで私は存在を否定されて育った。

家族の望む結果が得られなければどれだけ努力していても全否定される。やりたいことや好きな物など、不要なものと判断される事があった。簡単にはゲームや漫画はNG。アニメはほぼ見ず、おもちゃなどは必要最小限といった感じで、後は外で遊ぶか勉強するかの2択しかなかった。

家族は自分の正当性を証明するためによく怒鳴り、感情的な単語を軽々しく使い、時には私に暴力を振るうこともあった。私は臆病で人の顔を伺う性格になってしまった。

小学、中学時代は趣味嗜好が制限されていたため、共通の話題も非常に少なく苦労した。物事の考え方に大きなズレが生じていた。私はこの事を先生や家族、友人に相談したが、私の心に寄り添う事はしなかった。私はその頃から「世の中の人は私の考えなんかどうでもいいのだろう」と思うようになった。毎日平穏無事にやり過ごし、なにかトラブルがあれば自分が悪者になればいいという気持ちで過ごすしかなかった。誰かに相談しても無駄に時間がすぎるだけだとも感じた。

高校は進学校に入学した。そこには私と違って家族に愛されて育った同級生が大勢居た。もちろん話題などには付いていけず、私はここに居場所がないという気がして自暴自棄状態になった。不登校したかったが家族に申し訳なく、無理をしてでも通学した。その時に改めて「自分は自分を尊重されずに育ったのだ」と確信した。それ以降の学校生活ではどうでもいい言葉を繋ぎ、休日は一切休むことなくバイトして今後の生活のための資金を稼いだ。数少ない友人は心配する気配はなく、先生は無関心、家族は勉強しつつ働けといった感じなので、私が心身磨り減らしても相変わらずであった。

一人暮らしと就職はできた。ただ、就職前説明とは全く違って、パワハラやモラハラ、おまけにカスハラのオンパレードな環境に身を置かざるを得ない環境であった。私は生活のために身を削り、体調を崩そうが働き続けた。しかし、いままでの代償なのか不明だが、髪の毛が抜け落ちて体重も減ってしまった。転職を考えようにも体力が残っていない。数少ない休みは布団で気絶しているだけである。やりたいことも、興味もだんだん失せてしまった。スポーツはもちろん、テレビや音楽、動画コンテンツを見てもなにも感じられなくなっており、時代にも社会にも取り残されたまま、このまま消えてしまってもいいかもしれないと考えている私がいる。

はたらけど はたらけど猶 わが生活楽にならざり ぢつと手を見る

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。声を上げることが許されなかった時間があなたを長いこと取り巻いてきたのかなと想像しながら読ませてもらいました。両親の喧嘩を前に、幼いあなたは状況を変える力も、逃げる選択肢も持たないまま、ただ黙って場をやり過ごす役割を引き受けてきたのだと思いますし、その時点で子どもが背負うには重すぎる緊張感が日常になっていたのではないでしょうか。
離婚後の家庭で、努力や過程ではなく「結果」だけで価値を測られ、好きなものや興味を切り捨てられていくことも、自分という存在そのものが条件付きでしか認められない感覚を抱いたのではないかなと感じました、怒鳴り声や暴力、正当性を押し通す大人たちの姿の中で、臆病になり、人の顔色を読むことが生き延びるための術になっていったのは、性格の問題というより精一杯あなたなりの環境への適応だったのだと私には映りました。
学校生活での孤立感も、ただ“話題が合わない”という表面的なズレではなく、育ってきた土台そのものが周囲と違っていたことから生じた隔たりのように感じ、私自身も似たような感覚を学生時代抱いていたなぁ…と思い返していて、相談しても受け止められなかった経験が重なっていき、「世の中の人は私の考えなんかどうでもいいのだろう」という諦めに至るのは無理もないことだと自分事としても思うことです。自分が悪者になれば場が収まる、波風を立てなければ生き延びられる…そうやって沈黙を選び続けてきたのはあなたの弱さによるものではなく、当時の社会や大人たちがあなたの苦しさを引き受けきれなかった結果でもあるのではないかと、どうしても考えてしまうのでした。
就職後の過酷な労働環境についても、説明と違う現実やハラスメントが常態化した空気、それでも生活のために耐え続けるしかない状況にあるのだとは思いますが、髪が抜け、体重が減り、興味や感情が薄れていく今の状態は、心が限界を超えたというサインでもあると私は思いました。「何も感じられなくなった」こと自体が、これまでどれほど無理を重ねてきたかを示しているようにも思います。
今すぐ気力が湧くのは難しいことだと思いますし、奪われてきたものを取り戻すのにはあまりに気が遠くなるような感覚にもなるかもしれませんが、今は自分を回復させることを優先させてほしいなと、少しでもまずは心が休息できる時間があなたに訪れてほしいと強く願っています。

感想2

強い孤独感とその孤独の中でもなお、自分の力で何とか耐え忍び、踏みとどまろうとしている姿を感じました。こうして、その気持ちを綴り、届けてくれたことの重みを静かに受け止めています。一人で抱えていたものを自分以外に開いたことに大きな意味があるように思いました。
あなたの経験談を読み、あらためて「尊重」という言葉について考えています。明確に「尊重されずに育った」と思うに至ったプロセスにはここには書ききれない日々の積み重ねがあるのだろうと思いました。本来は安心や安全の土台を育むはずの子ども時代に周囲の大人に気を遣い、顔色をうかがいながら過ごしたことは想像以上にあなたのエネルギーを消耗させたと思いますし、同時に他者や自己への信頼を育むことこと阻んだように思えました。子どもは親を選べませんし、子ども自らが育つ環境を変えることもできません。そのように弱い立場である子どもを守り、育つ環境を保障できない現実があることに私は強いもどかしさを感じます。そして、たとえ家族に尊重されなかったとしても、家族以外に尊重される機会があってほしいという気持ちになりました。ただ、幼い頃から、周囲の大人に対して委ねてもいい存在ではなく、警戒し、気遣うべき存在として認識せざるを得なかった経験は人を信頼し、頼ることへの抵抗感や恐怖、不安を生み出しているのではないかと想像しています。万が一、信頼できそうな人に出会ったとしても、関係を作る難しさがそこにはあるのだろうと思います。誰かを頼ることは時にはおおきなリスクも伴いますので、あなたが一人で何とか苦境を乗り越え、苦しみを抱えてきたことも必然なのだろうと思います。
だからこそ、こうして書いて送ってくれたことにあなたの底力を私は感じます。職場で大きなストレスに晒され、身体症状も出ていて、楽しみも感じられないような状況でも、その気持ちを記して表明する力があることに注目したいと私は思います。転職する気力がないと書いていましたが、何かしらのサポートを活用して、心身を休ませることができる環境に身を置いてもいい状況だと私は思いました。これまで十分に頑張り、ギリギリまでやってきたのですから、休む権利も立ち止まる権利もあなたにはあると思います。この投稿が本来の力を取り戻すきっかけになることを願っています。

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