小学5年まで家族が少しおかしかった毎日怒られて怒鳴られて家族の誰かと誰かが毎日喧嘩してるような状態で家の中がピリピリしてた姉は不登校でいわゆる世間一般でいう普通ではなくだから私が普通でないといけなかった、というか
親が私は普通であってほしいと期待していたでも小5の時に不登校気味になり私も世間一般の普通ではなくなったそこで親がやっと気づいたのか私に普通でいることの期待をしなくなってやっと身体が楽になった気がしたでも結局その頃からある希死念慮は今でもずっと消えなくて今は環境が改善してても幼少期につけられた傷で今も苦しいし早くしにたい改善してるのに自分は改善されない普通にはなれない、心にはあの頃つけられた傷と埋められない穴がぽっかり空いてるODしてもリスカしてもきっと埋められないし治らない一生私はこれと付き合っていくのだろう
いつか埋まることをねがって生きていくしかない
ここまで支離滅裂な文章を読んでくれてありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
心の何処かに空いた穴
感想2
「普通でいないといけない」という期待があなたの心に傷をつけ穴をあけた一方で、その傷と穴があることが今は「普通になれない」思いにさせているような、心の傷や穴だけではなく、「普通」が過去も今もあなたを苦しめているような、そんなことを思いながら読ませてもらいました。(私自身も「普通」に苦しめられているので、そう思っただけなのかもしれませんが…)
心の傷は目に見えづらくて、だからこそ自分だけでの回復ってとても難しいとも感じています。なのに今の社会は残念なことに人の力を借りるのも難しい現状もあるな…とも思っています。だからこそ、ODやリスカは人を頼らずその傷をどうにかしようとした行動だったのかな…と想像していました。人の力をもっと簡単に借りられる社会になればと思うと同時に、死にトリのような場所もあるので自分や傷に付き合い疲れた時にはまた立ち寄ってほしいな、と勝手ながらに思いました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。ご自身では支離滅裂な文章だと書いてくださっていましたが、あなたがどれほどの重圧の中で過ごしてきたのか、書いてくださったのは人生のほんの一部に過ぎないのかもしれませんが、「心の何処かに空いた穴」がどのようにして空いたのかが、ひしひしと伝わってくる文章だと私は感じていました。
じっくりと読ませていただいて感じた事は、あなたは家族という集団の中で、無意識のうちに「バランスをとる役割」を担わされていたのではないか…という思いです。お姉さんが不登校、親さんが喧嘩している中で、あなたが「普通」でいることによって、崩れそうな家族の形をなんとか保とうとしていたのだと私は感じていました。同時に、それは子どもにとってあまりに重すぎる役割だとも感じていました。
あなたが不登校気味になったことも、「普通でなくてはいけない」という重圧に対する、限界ギリギリの防御反応だったのかも…と私は思います。期待されなくなって身体が楽になったというのは、それほどまでにあなたの心身が悲鳴を上げていた証拠のように私は思えました。(あくまで私の気持ちにはなってしまうんですけどね)
「ODやリスカをしても穴は埋められない」「一生付き合っていくのだろう」という言葉は、苦しさとずっと向き合ってきたからこそ出てくる思いなのだと私は感じています。治らないと思うほど大きい心の穴を常に抱えながら、それでも日常を送らなければいけないような、途方もないしんどさもあると思っています。
あなたがその苦しさを言葉にしてここに書いてくださった事実を、静かに受け止めさせてもらいました。投稿ありがとうございました。