経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

つらい、なんのために生きているのか

 私は、9月からストレスにより強迫症になりました。突然、頭に過去に関係した人の顔が浮かび、誰だっけとなり、分からないと心臓がドキドキして、脂汗がでます。同僚に電話し、誰だったか確認したりしてしまいます。発症当時は、頭が爆発しそうになり、殺してくれと叫んでいました。確認をすると落ち着くのですが、他人に迷惑をかけたことに、自己嫌悪におちいります。うかぶたびに、治っていないとおちこみます。
 また、テレビやケータイで疑問に思ったことを調べ尽くさないと気がすまない症状もあります。この強迫観念がいつ、頭に浮かんでくるのかわからず怯えています。きっかけをなるべく作らないようテレビをみたり、ラジオをきくのも怖くなりました。
 夜寝れなくなり、睡眠薬を少しずつ増やしています。
 このため、現在休職中です。休職できてよかった反面、毎日が退屈で仕方ありません。当初は仕事から離れることで病気が良くなると思い、歩いたりして、頭に浮かんできて確認し、つらくても気持ちは前向きでした。
 しかし、回数は減りましたが、定期的に今でも症状がでてきてしまい、ドキドキすることがやってくるのがすごく苦しく、つらいです。自分でどうすることもできず、やはり電話してしまいます。迷惑をかけた自分に落ち込みます。
 これまで、なんの目標もなく生きてきました。それなりの世間体は守らなくてはと思って、仕事は我慢してきました。自己肯定感は低いです。他者の評価と自分の評価は全然違います。ネットでみて、小さい頃から大人になっても親の言う通り、仕事では上司の言う通りと自分軸というものがありませんでした。
 お金だけは貯めてましたが、そんなことは関係ない。健康な体と心があればよいのです。これまで暴飲暴食を繰り返してきました。これだけが楽しみでした。そこに依存していました。ですが、30で心不全を経験したのに、返りみずに食欲をおさえられず糖尿病になり、腎臓を壊し、そして心を壊しました。
 毎日、退屈で何もやる気が出ず、朝起きると生きているのかと思い、ことあるごとに「死にてーな」とつぶやいています。自殺はしてはいけないと思います。痛い思いはするつもりはありませんが、いつか誤った行動をとってしまいそうです。助けて下さい。強迫症が治れば他に何もいらないです。治らないのであれば早くなにか病気等で死んでしまいたいです。家で、感情のやりばがなく、「あー!とか、チクショー!とか」叫んだりしています。
 なにをやるにも気力がでずに、親戚にごはんをたべに生き、他は実家で過ごしています。こんな幸せな環境にいるのに、甘えすぎです。なさけない価値のない人間です。
 なんのために生きているのですか?苦しむために生まれてきたのですか。

感想1

心身のコントロールが効かず、自分自身にビクビクとする、落ち着かず不安な日々が続いており大変辛い状況なのだと思いました。休職中であり、体を休める状態を「退屈」と感じるあなたは、心身の疲労を感じる以上に動き続けたり考え続けることに夢中になり、疲れているけれど自分自身を止められない、そんな状態になりやすかったりするのかなと想像しました。「お金だけは貯めてきました」と何気なく書かれていましたが、生活の中で難しいことの一つのようにも個人的には感じていて、我慢を感じつつ仕事を続けてこられたあなたの苦渋の成果と思いました。そして世間体を守らなければと、それなりに生きてきたと書かれていましたが、これも中々器用さが必要な場面も多かったのでは。自分のしんどさや苦しさよりも、無意識のうちに物事を遂行することを優先されてきたのかもしれない。何よりそれが、できてしまっていたのかもしれない。「他者の評価と自分の評価は全然違います」というのは、出来ることは様々あるが何だか生き難い、そんなあなたがいるように感じました。レントゲンを撮るように自分自身のストレスの出どころがあっという間にわかったらいいのにななんて。そしたら、自分も周りも傷を労われるのに。そして自分自身の刺激と退屈の良い塩梅、きっと「チクショー」では見つかりにくい気もします。あなたの体はどんな言葉を欲しているだろうかと想像しつつ、率直な言葉を投稿いただきありがとうございました。

感想2

ある日強迫症状として出現するまでの間にあなたの中で様々なダメージがギューッと濃縮していたのではないかと思います。私の知人でも幼少期からずっと我慢してきたものがある日限界を迎えて強迫的な症状となり、それを何とかやり過ごしながら日々を暮らしている方がいます。私はその方と話していると、脅迫的な行為はまるで必死に「自分を認識しよう」としているように見えます。何らかの暴力で自己意識を奪われたことにより前後不覚になってしまう(自分が自分でいられなくなる)ようなイメージです。あなたはまた違うのかもしれませんが、自分の中に「安心」を持てない状況なのかなと感じました。
あなたは自分軸というものが無いと書いていました。人は自分の意志や感情が尊重される土台の上に「自分」や「安心感」を育てていくと私は思っています。自分が自分でもまぁいいかと思えることがあなたの言う「健康な心」に近いのかもしれません。「チクショー!」っていう言葉ってどんな時に出るかなって自分に置き換えてみると、悔しい、イライラ、どうしようもない、こんなはずじゃない、わけわかんない…そんな時です。あなたが髪をぐしゃぐしゃにしながらややパニックになっている映像を思い浮かべています。自分がどこにいて何をしたらよくてどうなりたいか、どれも分からない時はこんな風に安全な方法で誰かとつながってみることがもっとあってもいいのかもって思いました。
自分のことを言葉にしてみると、不思議とちょっと解毒されたり、我に返ったり、自分を確認できたりするのかなって私は思うんです。これからもこうやって言葉を交わす機会を持つことで少しでもあなたの心が回復していく(濃縮されたダメージが希釈されていく)ことを私は願っています。

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