経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

変わりたい

シングルマザー、4人兄弟の末っ子として産まれました。
母はうつ病、姉も小学生時代から精神を病み、現在は双極性障害。私自身も高校時代に双極性障害、チック症により通信へ転校しました。アダルトチルドレンです。自分が大嫌いです。
家は貧乏で、姉がおかしくなる度に、母にはもう一緒に死んだ方が楽なのかなと、小学生の私はよく言われていました。母の愚痴や癇癪が私にはとても負担でした。
通信を卒業後はフリーターとして働いて、家を出ました。それから母とは連絡はとっていません。
2年前、今の彼と出会って精神に安定し始めました。バイトも休まず出勤できるようになり、ちゃんとした社会人として生活ができるようになりました。だから私は今年の4月に就職をしました。会員制のとあるスタジオでインストラクターとして働き始めました。でも先月結局、適応障害、パニック障害になり、仕事を辞めました。厳しい先輩がいた訳では無いです。ただ私が自分の本音を伝えることが苦手なんです。嫌われることを極度に恐れているのだと思います。我慢して我慢して結局体調を崩しました。自分は社会に適合するのは難しいのかなと悩んでいます。
でも1回休んで、また頑張ろうと思っていました。
でもこの前彼に距離を置きたいと言われました。彼は28、私は21です。彼と私は性格が正反対なんです。彼はコミュ力高くて、友達もいて、先輩や部下からも慕われていて、仕事にとても熱心で、高齢なお母様のサポートもされていて尊敬しています。正直私は友達もいなくて彼に依存しています。でもやっぱり彼は遊びに誘われたり、仕事が多かったり、家族もいて。私は彼に過度な期待をしてしまっていて。彼の行動で一喜一憂しています。彼が休日出勤する時も、嫌だとわがままを言ったりして。頭ではわかっているんです。しょうがないって。でも自分に自信もなく、愛して欲しくて。一緒にいて欲しくて。ただ彼には負担だったようです。一緒にデートに行ってくれます。でも好きだよと最後に言われたのはいつでしょう。
私も依存したくないし、お互い自立した上で支え合いたいです。でも上手くいかない。今は失業中なので悩む時間も多く、正直もう私はこの世から居なくなった方が良いのかなと思っています。生きる意味がわからなくなりました。

感想1

幼少期からいかにあなたが家族に傷つけられたのか、そしてそんな経験を持つ中での彼氏さんがあなたにとっていかに大切な存在であったことが文中から伝わってきたような気がしてます。

特に、あなたの経験談の中で「自分が大嫌い」「嫌われることを極度に恐れている」「我慢して我慢して結局体調を崩した」などと語られていることが印象的だったのですが、私は、それほどまでに、あなたが家族の中で我慢を強いられることや、存在を否定されることが多かったのではないかと感じました。
だからこそ、そういった経験が、あなたの中で自分の存在の価値を感じられなかったり、自分自身を尊重するということに抵抗感があったり、容易に認めることができないことなどに影響が出ているのかなと思いました。
他にも、わかってても彼に期待してしまうのも、あなたのなかで幼少期からの積み重なった経験により、自分の存在、言葉、行動に大きな価値を感じられない、自分を信用できないことから、彼氏さんの言葉、行動を頼りに「自分はここにいてもいいんだ」「自分は価値がある人間だ」と確認し、安心したかったからこそのこと、あなたにとっての大事な指標となっていたからこそのことなのではないかと思いました。

しかしながら、「アダルトチルドレン」という言葉もまだまだみんながみんな知っている言葉ではないような気がしているので、あなたの行動や言動の背景を理解することが難しいということはあるかもしれません。そして、そういった理解がなかなか得られないからこそ、あなたも好きでそういった環境に生まれたわけでもないのに、全て、家族をはじめとした環境ではなく、“あなたの今の在り方はあなたの努力の問題だ”と全てを自己責任にされがちなことに私自身はモヤモヤしてしまいます…。なので、あなたのいきづらさは社会の課題も大きく、関係しているかもしれないと私自身は思いました。
とはいえ、自分の価値や存在を全て、他者の言動や行動で推し量ってしまうとあなたも経験されているように「一喜一憂」し振り回されて苦しくなってしまうのではないかと思ったので、どうしたら自分の人生、価値、選択の主導権を自分で握れるようになるのかを私自身考えたくなりました。(きっと、本来、自分の人生、価値、選択を自分が握ることは当たり前にあるはずの権利なのではないかとも思うのですが、なかなかそうではない現実がもどかしく感じます。)

最後に、仕事もうまくいかなかったり、彼氏さんに距離を置こうと言われたり、あなたの中で自分はできていないと感じることが多いかもしれません。ですが、私の目には子どもの頃から、なんとか日々をやり過ごしてきたことにたくましさ、あなたの力強さを感じたので、変わる力も持っている方なのではないかと勝手ながら感じずにはいられませんでした。

経験談へ、投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

家庭環境の中では母親さんからの愚痴や癇癪を受け止めなければいけなくて、あなたの幼少期からの大人に甘えられない日々を想像しています。本音を伝えて受け取ってもらえる機会がすくなければ、本音を伝えることが難しいと感じるのも無理ないように感じます。本当だったら、母親さんを支える大人が周りにたくさんいるべきで、あなたもきょうだいも十分に安心して過ごせる環境を用意する責任が社会にはあったと思います。ただ、そんなことは言っても、それがない中で生き延びるしかない生活の連続があったのだと思いました。
あなたが家を出られたことを読んでまず単純によかったなと思っています。また、彼との関係について読ませてもらって、もしかしたら、あなたは彼といることの中にしか安定を味わったことがないのかもしれないと想像しました。「依存」と表現されていましたが、小児科医の熊谷晋一郎さんというかたが「自立は、依存先を増やすこと」と話しているのを聞いたことがあります。逆説的ですが、支えが少なすぎるからこそ依存症になる(ならざるを得なくなる)のだという話です。私もパートナーへの依存、自傷、浪費などその時々でさまざまな依存症の中にいますが、なんとなくしっくりくる言葉としてずっと印象に残っています。

「依存したくない」と思っても「我慢する」以外の方法があまり見つからなかったりするんじゃないだろうか…と思いました。だけど全方位で我慢すればするほど、我慢できないタイミングがやってくる無限ループがあるように思います。彼という一箇所に集中させるのではなく、ちょっとした支えを増やしていく…といっても具体的にどうしたらいいかなかなか分からない気もします。生活でも仕事でも疲れ果てている今かと思うのでまずはゆっくり休んでほしいと思うのですが、一方では焦ってしまうのもわかる…と思いました。
私は理性で我慢し続けるのがとても苦手なので、我慢しなくてもなるべく自動的に負荷が分散されるような生活の仕組みを作ろうと実験中です。たとえば「死にたい」と頭によぎる量が増えてきたら頓服を飲むとか、このサイトのとりコミュにこっそり書き込むとか、睡眠不足になると病むからiPhoneで睡眠目標を決めておくとか……です。その程度じゃ依存は全然解決はしないですが、すこしは依存度がましな気もしています。これは私の例でしかなく、あなたに合うやり方も他にもきっといろいろあると思うのですが……。多分我慢って「気合い」に近い文化だと思うのですが、実際気合いで解決し続けるのはけっこうむずかしいので、あなたにとって自分で我慢とは別の方法がいろいろ増えていくといいのかな、と思いました。
あまり役にも立たないことをつらつら書いてしまってすみません。個人的には、あなたが安心して過ごせる場所が増えていくといいなと思っています。経験談を投稿してくれてありがとうございました。

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