経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分キモい

本当の自分と、会社用の自分がいる。
本当の自分は他人に興味なくて、人見知りで、自己肯定感が低くて、怠け者で、誰かの上に立つことが苦手で、すぐにイライラしちゃう、面倒で捻くれた性格をしている。

でも会社ではそんな自分と正反対の会社用の自分を作り出している。
まっっったく楽しくない飲み会に参加して上司とか先輩とニコニコ話して、いろんな仕事を引き受けて、派遣さんの教育をしたり指示を出したり相談を受けたりする。イライラすることがあっても表に出さない、素直な若手社員としてやっている。

まあ社会人なんてみんなそんなもんだと思う。
本気で楽しくて飲み会に参加してる人はどれくらいいるだろう。面倒だけど人間関係のために参加してる人がほとんどじゃないだろうか。
面倒だからって仕事をやらない人はいないし、誰かの上に立って教育したり指示出しをしたりするのが向いてない人でも、仕事だったらそれをやるのが当たり前。

私は何もすごいことをしているわけじゃない。
私より辛い環境で辛い仕事をしている人はたくさんいる。私は恵まれた方で、普通の仕事をしているだけ。

でも普通の人よりも立っているラインが低いから、背伸びして普通のラインに合わせている。ずっと背伸びしているから、人並みの仕事をしているだけなのに、人よりも疲れやすい。

でも、社会人だったら疲れるのは当たり前。何も変なことじゃないでしょ。

こんなふうに、自分と自分が頭の中で言い合いをしている。

自分が感じているつらい気持ちと、客観的に見た時の自分のつらさが見合っていないのが気持ち悪い。
1人の自分はつらい!!と悲鳴をあげている。でももう1人の自分は「ぜんぜん大変なことやってないのに悲劇のヒロインぶってる」って、1人目の自分を冷めた目で見てる。

昨日も今日も朝起きて仕事に行く準備をしてたら急に泣けてきて、会社に休みの連絡をいれた。
2日連続でズル休みしたのは初めて。
もう戻れない気がして怖い。
一瞬逃げたところで、死ぬまで働かなきゃいけないのに。本当は向き合わないといけないのに。

感想1

投稿ありがとうございます。
自分と自分が頭の中で言い合いをしているというのが、特に私の印象に残りました。主観としては、仕事が本当につらいし、周りに合わせようと頑張り続けることにへとへとになっている。反面、客観的には自分のつらさは大したことではないんじゃないかと感じる。そういう自分と自分が対立した状態は、常に心がザワザワし、仕事へ行っても休んでも別の形でつらさを味わうことになっているのではないかと、私は感じました。
不思議な感覚なのですが、主観のあなたの主張、客観のあなたの主張、対立している意見のはずなのに、私としてはどちらも理解できるなと思いました。どちらもあなたが本当に感じていること、考えていることだからこそ、私から見てもうなずけるものだし、あなたからすると答えが出ずに苦しい対立となっているのかなと想像しました。
ただ、個人的な意見になってしまいますけれど、私は主観のあなたに肩入れしたい気持ちがあります。理由は複数ありますが、一番は仕事に行く準備をしていると涙が出たため休むというのが、私にはズル休みだとは思えなかったことが大きいです。客観的な視点、人にどう見られるかという意識も時には大事だとは思います。だけどその意識によって、涙というあなたの救難信号(に私には見える)がかき消されてしまう、ズルとされてしまうのは、なんだか違うんじゃないかと率直に思いました。あなた自身が感じたこと、内から出る声に耳を傾け、優先してみてもいいのではないかと、私は思いました。

感想2

投稿ありがとうございます。
自分を偽り続けることって本当に苦しいことだよなぁって私も思います。
「あなたが感じるつらさ」と「周囲から見た時のあなたのつらさ」の度合いが合わないと感じることも、あなたのつらさを膨張させているのかなと感じました。個人的には、人が感じるつらさはそれぞれの度合いであっていいと思っていますが、つらさを抱える当人目線、どうしても他人と比べてしまうものなのかなと感じますし、そのうえで「あの人に比べたら自分なんて…」と感じてしまうだろうなとも感じます。
また、会社がどこまでつらさを許容するか、という部分が不明瞭なところも、あなたの不安を助長させる要因なんじゃないかと感じました。つらさを認められないと感じてしまえば、無理に自分を律する場面もあるのかもしれないと感じます。そういったことの繰り返しであなたにとっての当たり前が形成されているように見えました。ただ、その当たり前は少なくとも私から見ると、いい意味で当たり前にできることではないように感じています。
できない部分ははっきりとわかるのに、できている、できるようになっている部分はなぜかすんなり馴染んでしまうから、一定以上の成長を自覚できずあなたの当たり前の一部になっていくのかなと感じました。ただ、「すごいことをしているわけじゃない」と感じられるほどに、当たり前だと感じられるほどに体に定着したそれらは、あなたがひとつひとつ積み重ねてきたものの結晶だとも感じ、もっと自分にご褒美をあげてもいいんじゃないかなぁ、と感じているところです。
つらいと感じているあなたを否定するほかのあなたがいることは、どうしようもなくあなたの心蝕んでいるだろうと感じます。でもそれはあなたの心が深い傷を負っているサインでもあると私は感じたので、それは決してずる休みじゃないよって伝えたいなと思いましたし、身体的なものは目に見えるかもしれないけれど、精神的なつらさは可視化が難しいように感じるから、しっかり心の休まる環境ができたらいいなと感じました。
改めて、投稿ありがとうございました。

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