経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

育児にも向き不向きがある

私はASDとADHDと不安障害を抱えながら娘を出産しました。

当初は子どもを持つことに恐怖がありました。
ですが夫が子どもを強く望んだことと、子どもがある程度の年齢になれば楽しそうだなという気持ちはあったことから、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で臨みました。

世の中の方々は当たり前のように子どもを産み育てているし、あれだけ苦手だった車の運転だってできるようになったのだから、なんだかんだちゃんと育児できるだろう、と楽観視していたところもありました。

ですが生まれてみて、産声からもう恐怖でした。
帝王切開の手術台の上にまだ乗っている時点で、育児への恐怖は始まっていました。
この泣き声に慣れるのだろうか、「なにを要求しているのかわからない」という状況に慣れるのだろうか。
怖くて怖くてあらゆる人やネットに相談しました。

みんな口を揃えて「慣れるよ」と言いました。
退院しました。慣れません。
みんな口を揃えて「1歳になる頃には慣れるよ」と言いました。
1歳になりました。慣れません。
何人かが「ちょっと…何らかの支援が必要かもね」と言いました。
そしていま、2歳です。まだ慣れません。
毎日毎日、新社会人の4月1日のような日々です。

どこに相談しても、だれに相談しても、「休めるときに休んで」としか言われません。
それはどうすればいいのでしょう。
心のレーダーが娘の様子を絶えず窺い、娘が生まれてからの800日以上、一瞬も休まったことなどありません。

特性と育児の相性は最悪です。
それなのに「育児に向き不向きがある」ということは禁句であるかのように、だれも言及してくれません。
育児検定試験があればいいのに。落第すれば楽になるのに。と何度も思いました。

これだけなにもかも終わりにしたいと思うのに、娘と離れ離れになることは耐えられないのです。
生きづらさの根源を失いたくないだなんて、とんでもなく地獄です。

早く育ってくれと願いながらも、たどたどしいお喋りを聞き、柔らかくて甘い匂いのする身体を抱きしめ、今日もぐちゃぐちゃな気持ちです。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
タイトルとともに、ご自身の率直な胸の内を語ってくれた文章だと感じました。

漠然とした不安や恐怖を抱えつつも、夫さんの意向や、ご自身なりの育児のイメージを膨らませながら、出産という選択をするまでに、いくつもの感情が交錯していたことを感じました。
周囲が口を揃えて言った「慣れるよ」の一言は、絶え間なく続く恐怖感が伝わらないもどかしさだったり、肝心なところでそっと突き放されるような言葉にもなり得ることを想像しました。
「毎日毎日、新社会人の4月1日のような日々」と表現してくれましたが、日々の不安と緊張感がこちらにも伝わってくるような思いでいます。

「休めるときに休んで」という言葉は、あなたの中でほとんどピンとこないアドバイスであることも伺えました。
「休む」ということがどういった状態を指すのか、そもそも休んで何か変わることがあるのか・・根本的な疑問もありますが、放っておけば命を失いかねない小さな存在に対して「責任」のレーダーは365日24時間作動しますし、「もしも何かあったら・・」と絶えず不安が浮かぶことは、無理もない状況だと感じます。
夜泣きの対応や、抱っこ、トイレや食事のサポートなど、子どものニーズは突然かつ予測不能で、「やっと一息つける・・」みたいなタイミングに限って何かが起きるということも往々にしてあるように思います。
特性と育児の相性について書かれていましたが、変化が多くマルチタスクを求められる状況は、特性の有無に限らずとも、心身を消耗し疲弊してしまうように感じます。

「育児には向き不向きがある」という言葉も、考えさせられました。
「自分は育児に向いてないし、いっそ誰かに指摘してもらいたい」と、そういった気持ちもあるのでしょうか。
育児にまつわるさまざまな事象は、一つの側面だけで捉えることが難しいのかもしれません。
ある部分は苦にならなくても、別の部分ではとてつもなくしんどく感じたり、掴みどころのないことの連続のように思います。
そういった「なんだかよく分からない」感じや、育児に明確な答えや正解がないことなどは、あなたにとってバランスの取りづらい苦しさであるように感じました。

文末には、娘さんに対する切実な葛藤が書かれていました。
日々に追われながら、簡単に整理がつく感情ではないとも思いますが、またよかったら気持ちを書き置いていってもらえたらと思っています。

感想2

とても率直な気持ちをそのまま書いてくれたことが伝わってきました。特に印象的だったのは「生きづらさの根源を失いたくないだなんて、とんでもなく地獄です。」という一文です。どこか矛盾があるようにも感じられるかもしれませんが、私はある意味、揺るがない真実だと思いました。世の中にあふれている、親になれば自然と子育てができるとか、慣れるという何となくのイメージを一蹴する真実の力がそこにあると私は感じました。
私は明確に子育てには向き不向きがあると思っています。それは子育てに限らずどんなことにも向き不向きがあると思うからというのもありますが、特に子育ては非常に特殊な作業でもあると思うので、他のことよりもより向き不向きはあると思います。子どもという自分とは別の人格を持った意思疎通の難しい存在に対して、求められるケアをし続けることは自分の気持ちや時間、ペースなどあらゆることを二の次にする必要もありますし、何よりも予測や予定が全くたてられないものです。そんな特殊な作業に向き不向きがないわけがありません。それなのに、あなたが「禁句であるかのよう」と感じるのは、社会が親だけに子育ての責任を押し付けようとしている実態が関係していると私は思っています。「親であれば責任もってちゃんと育ててくれるべき」という暗黙のプレッシャーがあなたを苦しめているような気がするのです。
ただ、子育てに向き不向きがあるからといって、向いている人だけがやってもよくて、不向きな人はやるべきではないとは思いません。なぜなら、子どもは親という限られた存在に依存して育つものではないと思うからです。それはどんなに向いている親に育てられたとしても、限られた人間関係の中だけで子どもが育つことは子どもの可能性を狭めてしまうことになると思うのです。だから、親が子育てに不向きなところがあっても、他の人が必要に応じてサポートすればよいと思います。子どもの発信や要求を理解し、必要なケアをする作業は保育所などできるところはたくさんあります。そうしたケアと同じぐらい、いやそれ以上に子どもにとって大切なのは子どもの存在を受け入れてくれて、真剣に向き合ってくれる大人だと私は思っています。その点において、私が印象に残った一文のに書いていた「生きづらさの根源を失いたくない」にあなたが子どもさんを受け入れ、共に生きようとする真剣さが強く込められた表現だと感じています。
そして、自分の力量を客観的に見つめ、子どもの考えていることがわからないと認めることもまた、子どもと付き合う上ではとても大切だと思います。大人の都合で子どものことを扱うのではなく、子どもの要求や意思を心から尊重したいからこそ感じる不安や恐怖であるとも言えると私は思いました。そういった意味では確かに子どもの世話をする上で不向きな部分はあるかもしれませんが、子どもを自分とは違う存在として尊重したいというマインドはある意味では子育てに向いているとも言えるのではないかと私は感じました。
慣れないところや不得意なところは遠慮なく周囲を頼っていいと私は思います。親が自らの力量の限界を自覚しながら必要なところは誰かに助けてもらう姿は、子どもの成長の後押しになりそうだと私は思いました。

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