経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わたしの人生

2023年、地元で新卒入社して3日で退職、その後図書館非正規職員になって半年後、ストレスによる突発性難聴とコロナ、インフルエンザと立て続けに病気に見舞われ退職。最悪の年明けでした。
2024年には鬱々とした気持ちが晴れないまま焦燥感から就活をやり直して、県外に就職するもまた地元に戻ってきてしまいました。
2025年、6月に地元の本屋のバイトに受かりました。しかし、元々人と接することが苦手なのに選んでしまった仕事なので、当然苦しい。ストレスから7月末には盲腸になり、即入院して手術となりました。踏んだり蹴ったりです。
家に居ても職場にいても、本当の安息の地は、心を許せる相手はいません。兄は自閉症で無職、定年を迎えた父は再雇用された職場のストレスと将来の不安もあってか、どんどん神経質になって毎日母と口喧嘩しています。祖母は祖母で、母にあれこれと我儘を言っています。
母は昔からヒステリックで、気分の波が激しい。私が母の言うことを聞かないと不機嫌になり、言うことを聞くと機嫌が良くなります。昔からそんな母が怖くて、でも愛されていると思いたくて、母が他の家族のことで怒ったときには、必死で機嫌をとっていました。けれど最近は、SNSや本を通じて、そんな親はおかしいのだということに気づき、「私の母は多分一生、私が求める愛し方をしてくれないのだ」と段々認められるようになりました。今年入院中に見たあるアニメのおかげでもあります。
職場でも苦手な人が2人いて、今は寝不足の日々です。
どうしてこんなにも生きづらいのだろうと考えて考え抜いて、精神科に行って私はなにかの発達障害ではないか、と聞く決心がつきました。昨今の発達障害への理解と認知が進む中で、ずっと私の心の中でひっかかっていたことでした。
結果、私はADHDと精神科医にあっさりと認められました。身体的な障害と違って、この発達障害は一見してわからない。母に恐る恐る、ADHDだったよ、というと「だろうね」となんの感慨も慰めもなく言われました。母はやはり、私には基本興味がないのです。だってそう思っていたなら、私が苦しんでいるときに「精神科に行ってみない?」と手を差し伸べてくれた筈です。私はもう絶対に、どれだけ母が私を心配するふりをしていても、心を動かしたりしないと決めました。
私の生きづらさは、生活面や仕事面で顕著に現れています。さっき使っていた物を紛失して、1日に何度も探しものをしています。馬鹿みたいに。抽象的な概念(数字の計算)が苦手で、小学生の時から算数は高得点をとった試しがありません。
仕事面でも、皆は一度説明されたらさっと出来るようなことを、私は簡易メモを取って家で書き写し何度も復習して、失敗して、復習してやっと慣れる。普通の人が40%ないしそれ以下の労力でできることを、私は100%、死に物狂いでやっています。
私はADHDで、毒親の母がいる貧乏な機能不全家族の女で、こんな三重苦一体全体前世で私は何をしたんだと叫びたいくらいです。悲劇のヒロインぶって自己陶酔に浸ってるだけなのかも、と考えることもあります。
同級生は普通に就職して、普通に会社の同期や先輩達と飲みに行っているのに、私だけが泥沼を這っているようで苦しい日々です。
でも、私の生きづらさの正体が今になって急に明確になって、私が(ADHDや母のこと)乗り越えていくべきものがわかったことで、去年の私よりずっと成長できた気がしています。それだけが今の救いです。一番の拠り所となるはずの家族を信頼できないこと、自分が人よりも劣っていること、さらに体も脆弱なこと。課題は山積みです。こんなに苦しくて辛い状況なのに、何故かワクワク感もあります。早く死にたい、という気持ちを抱えながら、まだちょっとだけ生き長らえて、マシな自分になってみたいと思います。

感想1

エピソードや価値観など、要所要所で共感しながら読ませていただきました。生活の基盤が思うように安定しない中で、家族との関係性に立ち返り、自分自身の特性やメンタルの取扱いにもがき…という変遷に、他人事ではない気持ちになりながら感想を書いています。特に、母親に対する願いと諦めの部分は、投稿者さんの心のベースになっているように感じました。漠然と続く不足感・不安感のようなものもあるのかなと想像しています。

勝手なイメージになってしまうかもしれませんが、幼いころから「ふつう」を願う、あこがれのような感覚があったのではないかと想像しました。それ自体は多くの人が抱く感覚ではあると思いますが、性質的に適応するのが難しく、かつそれを周りに認められなかったりマイナスとして評価されたりすると、なおのこと「ふつう」への想いが強まるような気がしています。私自身特性的な偏りがあり、何年たっても出来ないことが多く、それを必死に補う(隠す)ことにものすごく疲れます。近年はなるべく、無理に補わなくてもいい仕事探しをしているのですが、それはそれで「やっぱり”ふつう”は諦めなきゃいけないのか…」と複雑な気持ちになります(そもそも”ふつう”ってなんだろうという議論もありますが、”ふつうらしきもの”はきっと世の中にあるんだろうなと思ってしまう)。自分が求めているものと実際にズレがあるときに、それを「違い」として認めることは難しくて苦しいことだと思います。同時に、投稿者さんが「ワクワク感」と表現していたように、認めるからこそ見つかる「自分が生きられそうな余白」もあるから、少し希望が持てるのかも…とも思います。そして、自分の中での捉え方が変わることで生きることにわずかでも前向きになれるのだとしたら、今の社会の生きづらさや「障害」という概念・評価軸は、やっぱり自分たちの外(社会)のほうに課題があるのかもしれないな、なんてことも考えました。

話がそれてしまった気もしますが…タイトルになっていたような「わたし(あなた)の人生」を歩んでいく過程で、社会との繋がりや社会の目は切っても切れないものなのだろうなと感じるとともに、死にトリ含めた社会のほんの一部でも、誰の評価も受けずに「わたし」と向き合えるような場であってほしいという気持ちになりました。

感想2

投稿ありがとうございます。全体的にさっぱりとした口調だと感じたのですが、その中にあなたのつらさや憤り、そして興味などの感情も見え、率直な思いが書かれた経験談だと感じました。私もADHDで、また実家の親と不仲なのもあり、読みながら勝手に「わかるなぁ」と思う場面が何度もありました。
職場でも気を抜ける瞬間がないなか、家もピリピリしている状況だったら、心身ともにすり減ってしまうばかりなのだと想像します。ストレスが心身に現れて、「踏んだり蹴ったり」というのも頷ける気持ちです。私も一時期メンタルを崩して実家に戻って暮らしたとき、仕事も実家での暮らしもしんどかったので、その時の回復ポイントのなかなか見つからない感じを思い出していました。
私も長く現実世界に「安息の地」がなくて、アニメや小説やゲームの世界に没頭することでなんとか現実を凌いできました。あなたがアニメから自分の生活を振り返ったというのを読んで、それもわかる気がする、と個人的には思いました。

幼少期から、あなたが母親さんの機嫌を取らなければとプレッシャーを感じながら生きてきたら、人との関わりで気を張ったり、消耗してしまう場面も多いのではないかと思います。職場でも苦手な人がいるということで、無意識に緊張することも多いのかもしれません。
でもその中であなたは家族との距離を見つめ直していたり、自己理解を深めながら生活しているのだと思います。それがとても印象的でした。

また、「何故かワクワク感もあります」という一文にとても興味を惹かれました。これまではどう対処したらいいかわからない状況から、ADHDや母親さんとの関係のことに焦点が当たったことで、なにかすこしポイントを掴んできた手応えみたいなのがあったりするのかな?と想像しています。私も長年死にたいと言いつつ、それなりに生きてきてしまっているもので、自分の中にも一つには絞れないいろんな気持ちがあることを感じています。あなたの感覚や考えの動きをもっと聞いてみたいなぁと思いました。

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