もう終わらせていい人生だと思います。
どんな言葉をかけられても、今の現状が酷すぎて私の心には届きもしないし響もしない、救われるなんてたった一瞬の出来事。何か一つ問題を解決しようとしても他の問題が邪魔して結局解決しない、進みもしない。沢山の問題が上手いように絡み合って解けない、解こうとすれば他の問題が出てきて、現実を思い知らされる羽目になって、余計に絡まり合って…。だから、ただただ願うんです、いっそ全部壊れたらいいのにって、絡まってもう解けなくなってしまったなら、もう捨ててしまばいい、この命も終わってしまえばいいとただ願うしかできないんですよ。
きっと生まれた時からこんなに絶望する事は決まっていたんですよ、この家族に生まれた時点でもうダメだった、変えようがなかった、生まれてしまった以上そんな事について悔やんでも意味ないので考えませんが。私の両親はシンプルに相性が悪くていつ離婚してもおかしくありませんでした、母親と父親は会話する時ずっと敬語で、今考えたらめちゃくちゃ冷たい家だなと感じます、小学校に入ったあたりから夫婦喧嘩も増えていきました、学校ではいじめられたりもしました、そこで希死念慮が初めて生まれました、父親に「死にたい」と言ったら川に捨ててやると言われました、あまりにも衝撃で今でもよく覚えています、小学1年生だったので、きっとふざけてるって思われたんでしょうね。それからも私は生きていくうちに色々と希死念慮が生まれました、思い返してみると不幸な事が多いと感じられました、でも、5年生に上がり、友達が沢山できました、外で遊んだり、ゲームしたり、一緒に絵を描いたり、話したり、笑ったり、友達がいたおかげで、学校に行きたいと思えるようになりました。そして、私の人生が変わりました。親が離婚しました。それを知ったのは6年生の時で、それまでは父親が仕事の都合で家を離れると伝えられていました、それをきっかけに私はさらに希死念慮が増幅しました。学校では、友達ができた事によって、嫉妬心を知りました、私は相当嫉妬深く、友達が別の人と話してるのを見ただけで自分の存在が如何に微塵なものなのかと考え込んで嫌になって苦しくなるほどです。それから色々と上手く行かない事が増えて、希死念慮がさらに増幅していき、一番酷いのが性別違和でした、微細に私の体と心の性別はズレていっていて、6年生にはもうかなりズレていました、言っておきますが、体の性別は男性です、友達には「女子と喋ってるみたい!」と言われる事もあり、友達も女性の方が圧倒的に多く、好みも男子とはかけ離れているもので、自覚するには十分でした。お母さんは勘付いてくれていたのか、そんな私に寄り添ってくれました。中学に上がり状況はさらに悪化しました、父親と母親が入れ替わったのです……詳しく話すと、今までは父親が別居し、私と母親と弟の3人で暮らしていたのですが、とある日を境に、母親が別居し、父親と私と弟と再婚相手の4人で暮らす事になりました。本当に残酷な事です、父親が別の人と再婚していました、それにその人と暮らす事になるなんて、ただただ部屋で泣く事しか出来ませんでした、父親と再婚相手の前では笑って取り繕って頑張りました。そこから私の人生は壊れました。父親はかなり性格が終わっている上に、私の性別の事も知らない、そして私の髪を短く切り、服や物も男物ばかり買ってきて、私は鏡で自分の姿を見る度に絶望し吐き気がして、鏡が嫌いになって、これで学校に行くのが嫌で、自分が醜くて泣いて叫んで泣いて。
そして、定期テストが始まりました。前期では勉強もしていたし、成績も平均的でした。しかし、ネットが使えるようになり、それに漬け込んで勉強も課題も出来なくなっていきました、普通に私が悪いですね。後期に入ってからは提出物もほぼ未提出でテストの点もほとんど赤点。後期の三者面談で全てバレました。そして帰りの道で殴られました。蹴られました。罵倒されました。それから朝起きるのが嫌になって毎日家に帰ると睨まれてスマホも取り上げられて毎日机に向かって勉強してないと怒鳴られるようになって怖くて辛くて苦しくて、そこから私は本当に死のうと考えました、でも頑張って塾も通って勉強したら、あっさりスマホも返してくれて罵倒される事や陰口をたたかれる事も無くなりました、でもそこから毎日のように誰かに怒鳴られるような感覚がして、家に帰るのが怖くなって、勉強をするのが怖くなりました、吐き気がするんです。もうその時点で生きる希望はありませんでした。学校では先生に怒られるし、毎日全員から嫌われているような感覚がして、テストの点も悪いまま、提出物は何も出来てないし。そのまま1年生が終わりました。2年生に上がって、気持ちを切り替えて頑張ろうと思っていたんですが、そんな簡単に上手くはいきませんでした、私の怠惰は全然消えなくて消えなくて、友達の方がよっぽど優秀で、劣等感が募って、MtFの私からしたら、女子は憧れであり、毎日話しては嫉妬して、男の私より女友達の方が大切で、そりゃあそうで、自分の性別が憎くて、家でもまた夫婦喧嘩が見られるようになりました。そんな日々を過ごしているうちに、再婚相手が妊娠しました、もう訳がわかりませんでした、でもそれで、決めたんです、死のうって、新しい子供ができるなら、私はもういらないって、役立たずでバカで性別違和の期待外れな私はもう用済みだって、気がついたんです、これ以上生きたって意味がないって。
そして夏休み、2年生最初の三者面談の日、私は家を出ました、もう帰るつもりはありませんでした、本気で死ぬつもりで家を出ました。でも、夜中には警察に保護されました、頭がほぼ回らなくて、ずっと吐き気がしました、警察署で、声を出して泣いてしまいました。親は今までのがまるで幻覚だったかのように、気持ち悪いほど心配してきました、今更か、と苛立ちを覚えました。一応いろいろ聞かれたので、泣きながらも経緯を話しました、そこで、離婚や再婚のことを謝ってくれました、そういえば、一度も謝られたことがなかったなと気がつきました、余計に苛立ちました、でも、私に怒鳴ったりする事もなく、もう勉強の事も口うるさく言わないと話され、なんだか私は信じてしまいました。
カウンセリングを受ける事になりました。そして精神科に通う事になり、薬も出されました。そこからはなんだか親も優しくなったような気がして、家でも怖い声はあまり聞こえなくなりました、もちろん嫌な事もありましたが、もしかしたら何とかなるんじゃないかと思え、私は、頑張ってみようと思えました。
それから夏休みが終わり、今です。父親のモラハラは無くなりませんでした、それに新しい子供も生まれます。性別の事も言えていないし、鏡で自分を見ると死ぬほど苦しくなって、学校でも今やほぼ全員から無視されています、最近はもう疲れて、頭が回らないです、何かをしているとすぐにイライラしてしまいます。成績も一年生の時より悪いです。塾もずっと休んでます。親の機嫌も最近悪いし、さらに離婚しそうです、赤ちゃんが産まれる事によってこれからの生活もきっと苦しくなります。親の機嫌ももっと悪くなって経済的にも悪化して。同級生に、家のことがバレたらどうしようと不安です。頭がおかしくなりそうです。消えたいです。また逃げたいです。折角生きようと思えてきたのに、また結局死にたいと私は願っています。信じても結局死にたくなります。これが私なんですね。もう生きていく意味がないです。もうだめです。早く消えてしまいたいです。性格が悪いです。もう誰も信じられません。頭がわるいです。なんにもできません。来年には3年生です。通信制に行くしかないと思います。親は許してくれるのでしょうか。きっとまた怒られます、怖いです、どうしようもできません。精神科はもうほぼ意味を感じません。カウンセリングも、毎回毎回同じことを聞かれて、ほぼ私に任せるような感じで、気を遣うし、しんどいし、もう嫌です。他でもカウンセリングを受けています、そっちはちゃんと話聞いてくれて、なんだか安心します。でも月に一回だけなのが凄く苦痛です。唯一安心できる時間が月に一回しかないのが辛いです。待てません、その間にどれだけの苦痛が待ってることか。明日でも生きたくないのに。もう頭が回らないんです。変な文章書いてたらごめんなさい。こんな頭のおかしいバカみたいな気色の悪い痛々しい文章、最後まで読んでくれてありがとうございます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
どう贖罪すればよかったのですか
感想2
幾重にもかさなる苦しさの中でなんとか息継ぎをしているような、もう疲れたからこのまま沈んでしまいたいような、そんな状況なのだと感じました。自宅も学校もつらい中で、逃げ場のないような苦しさがあるのかなと思います。その中で安心できるのが月一のカウンセリングだけだったら、回復よりすり減りが上回ってしまうのも無理はないと思いました。あなたが贖罪する必要も謝る必要もないと私は思いますが、そんな状況では自分が悪いとする以外にどう折り合いをつけていいかわからない感覚もあるのかなと思いました。
家庭環境についても、あなたの問題ではない問題がたくさんあなたにのしかかって、傷つけているように思います。父親のモラハラや暴行などについても、父親の調子や安定度に左右されてしまう部分も大きいのかなと思いました。「怒鳴ったりする事もなく、もう勉強の事も口うるさく言わない」という約束は、警察などの手前そう言ったのかもしれないし、そのときは本心からそう思ったのかもしれないですが、それを自分でもコントロールできない状態なのかなとも思います。
本当であれば、暴力は支配的な関係のない場所で子どもは安全に育つ権利があるし、それが親だけでは難しい状況なら、別の大人や制度などがサポートしたり、別の場所で安全に暮らせるようにしなければならないと思っています。
でも、それがあまりにも行き届かない実情があることをくやしく思います。
私は最近、動物も人間も、生物学的には男女の二つにきれいに分けられるものではないということを知りました。私たちの体も生まれた時に勝手に「男」「女」と医師に判断され、戸籍に記載されてしまいますが、それはただ生まれた時に便宜上戸籍上に割り当てられた性別なだけで、体そのものの性別でもないということです。
ただ実際のところ、この社会は「性別」をベースに人に「らしさ」を求めるプレッシャーがとても強くあると思います。その中で性別に違和があるということは、生活のとてもたくさんの場面で苦しい思いをするということだと思います。私はそういう社会の方が変わっていくべきだと思うし、歴史を見れば、少しずつでも変わってきているとは思います。ただ、まだまだ問題ばかりの状況なのも確かで、はがゆい思いがあります。
私自身、押し付けられる性別役割的なものが苦手で、負担に感じることや、嫌悪感を抱くことが少なからずあるので、そういうものがなくなってほしいし、なくしていきたいです。
あなたにとってどんな自分でありたいか、ありたくないか、どんな自分を表現したいか、したくないかをなにも押し付けられず、当たり前に尊重するような社会であればあなたの苦しさのいくらかは減るのかな……と考えていました。
あなたが周りに気を遣わずに、のんびりと過ごせる空間はどこかにないんだろうか…と思ってしまいます。死にトリも息抜きになる場所かはわからないですが、また気が向いたときにきてもらえたら嬉しいです。投稿ありがとうございました。
感想1
ずっと一人で抱えてきた思いをとにかく出してみた…という覚悟というのか、勢いのようなものを感じました。素直な気持ちを誰かに伝えることはあなたにとって、強い不安や危険が伴うような感覚があるのかもしれません。最後の方に「頭のおかしいバカみたいな気色の悪い痛々しい文章」と自ら書いていましたが、読んでみてそんなふうにはまったく思いませんでした。一人で孤独に抱えてきた気持ち(荷物と言い換えてもいいかもしれません)をようやくこうして出せた(降ろした)ような気持ちでホッとしました。
今、素直な気持ちを誰かに伝えることはあなたにとってとても大切なことなのだろうと思いました。自分の話を受け止めてもらえる月1回のカウンセリングが待ち遠しい気持ちも、その機会が月に1度しかないつらいのも痛いほど伝わってきました。それは、長い間伝えたい気持ちがありながらも、誰にも言えずにいたことを物語っていると感じました。
性別については少しずつ多様性が理解されている側面はあるにしても、自分の身体はいつも自分についてくるので、周囲の理解が広がったとしても逃れられない苦しみがあるのかもしれません。私のFtMの知人は「無人島に行っても自分は苦しみ続ける」と話していて、そんな当事者の話を聞くと性別に伴う苦しみは簡単ではなく、それぞれの苦しみや痛みがあるのだろうと思います。
冒頭で自らの問題は解決することはないと書いていたのが私には印象的でした。どこか、救いや理解をシャットアウトしているような気配もありましたが、読み進めるうちにあなたがこれ以上自分の心が傷つかないように張った防衛線なのかもしれないと感じました。本当は救いや理解、そして解決を強く願っているけれど、願いは願うことで裏切られ、打ち砕かれ、痛みを伴います。これ以上、自分を傷つけない、苦しめないためには期待や願いを抱かないようにしようと宣言してから自分の気持ちを書いたのかもしれないと想像しています(違っていたらすみません)。
強く防衛線を張りたくなるのは、現実の苦しさから家を飛び出した経験も関係してるのかもしれないと感じています。子どもは親に養ってもらわなければ生きていけないため、暴力や否定に満ちている家庭であっても、容易にそこから出ることができない現実があります。あなたが置かれていた環境はあなたにとっては相当に過酷だった(おそらく今も続いているのだろうと思います)と私は思います。性自認に関して理解されずに、周囲からの強く常識や当たり前を押し付けられ、勉強という特定の価値観で厳しく評価され、暴力まで受ける生活は安心安全の土台を作ることの妨げになったのではないかと推測します。安心安全の土台が築けなければ、強い嫉妬心で苦しんだり、混乱して訳が分からなくなったりすることも無理もないと感じました。しかし、あなたは自分の力と意思で家を飛び出しました。私は心の中で拍手をしました。しかし、その力と意思のある行動が解決につながりそうで、つながらず現実に戻されてしまいました。現状から逃れたいというかすかな希望の芽が摘まれた経験になってしまったのなら、あなたからパワーを奪い、諦めや自己否定を強めることになってしまったのかもしれないとも想像しています。
ここまであなたが自分の気持ちを抑え込み、自分自身を強く律するような厳しい表現をする背景には大人たちが子どもの自分らしさを認めてのびやかな育ちを応援できない厳しい現実があると思いました。また、それは大人たち自身もそれぞれの自分らしさを認めて生きることが許されない、息苦しさを抱えていることも意味していると感じます。したがって、あなたの苦しさや問題はあなたのものであると同時に、私たちが暮らす社会の問題であり、私の問題でもあると思うのです。だから、一緒に考えていきたいと思っています。そして、一緒に考えていくためには、あなたが書いてくれたようなリアルな声をもっと知る必要があると思っています。こうして、書いて送ってくれたことをありがたく思います。
最後に、家から出て少しでも自分らしく生きていく道を探る方法もあると私は思っています。先程、お伝えした通り今の社会は一人ひとりの個性をそのまま尊重できるような状況ではなく、問題がたくさんあるので「あなたらしく生きられます」と宣言することはできません。ただ、まだまだ捨てたもんじゃないところもあると思いますし、何よりもこうして自分が感じる苦しさを伝え合える機会があることはとても大切なことだと思っています。もしよかったら、自分の気持ちを伝えられる人や場所を少しずつ広げてくれたらと思います。
少なくとも、私たちはあなたの声をいつでも待っています。