物心ついたときには既に小児喘息といわれておりました。そんな年齢で診断をいただいていたのだから相当に良き親のもとに生まれたのでしょう。だからこそ苦しいです。
おそらく私が就職できることはないでしょう。幼少より気管支喘息とお付き合いしていたせいかは判りませんが、とにかく体力がないのです。1日8時間働くための体力さえありません。がんばっても7時間で限界が来てしまいます。8時間働いた日は、家に帰るとほとんど気絶するように眠ること以外なにもできません。疲労の回復も追いつかず次の日に引きずるので、こんなことを毎日繰り返すなんてとうてい叶わないと思わされます。
前は勤務時間中ずっと立ちっぱなしの仕事をしていました。現在は立ちっぱなしと比べれば遥かに身体的負担の軽い仕事をしているのに、それでも8時間働けないので、ずっとアルバイトです。
だからといって1日8時間働かなくてもいいような、たとえば絵を描いたり、なにかを作って売るというような仕事ができる体力もスキルもありません。なんにもないんです。
もっと体力をつけておけばよかったと思うのですが、幼いころのほうが喘息が重かったため、体の基礎ができる時期にあまり運動ができなかったのだろうとも思います。今でも少し体調が悪い日は、走ると咳が出ることがあります。
誰も悪くないのはわかっているのに、私を片道30分かかる大学病院に通わせてくれて、大学の学費まで払ってくれた親に返せるものがなにもないのがしんどくてたまりません。親から見た子どもというのは生きているだけで可愛いものかもしれませんが、生きているだけでは私が納得できないのです。
せめて払ってもらった学費くらいは返したいと思うのですが、親が生きているうちに数百万円を返すなんて、正社員になれなければほとんど不可能でしょう。けれど1日8時間働かなくていい正社員というものは見つけられなかったので、きっと私は親が死んだとき「なにも返せなかった」と思うのでしょう。
それだったら先に死んでしまいたいと思うのです。親になにかお返しをしたいという気持ちで自分を雁字搦めにしてしまっていることは重々承知しているし、死んでしまえば本当になにもできないままだということもわかっています。それなのに、これ以上生きていても死ぬまで迷惑をかけ続けるだけだから、だったら死んで少しでも負担を軽くすることが、なんにもできない私にできる唯一のことなんじゃないのかと思うのを止められません。
今から何かできるようになればいいのかもしれません。しかしできることを探すのにも作るのにも体力が要ります。専門学校などに通うことになればなおさらです。大学は2年間フルリモートだったので、実質的には2年通えば卒業できました。もうこれ以上なにも頑張れる気がしないのに、頑張らないとどうにもならないのです。
喘息も苦しいです。以前よりはずっと良くなりましたが、季節の変わり目になると、苦しくて夜眠れなくなる日があります。息が吐けないのでほとんど声を出すことのできない日もあります。こんな体でできる、生きていくのに充分なお金を稼いでいける仕事なんてあるものでしょうか。
呼吸さえまともにできない体だったら今すぐ息の根止まってくれて構わないと思うのに、体もそれは嫌なようで今日も息をしています。ヒューヒューという雑音の交じった息です。どうして早く止まってくれないのでしょうか。
自分なんてきっといないほうがいいと思っているのに、勇気がなくて死ぬことさえできない私に、できることは何かあるんでしょうか?
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
気管支喘息ってわりと死にたい
感想2
気管支喘息について、その病名はよく聞いたことはあっても、実際の苦しさについてじっくりと聞いたことがなかったので、改めて淡々と綴られるあなたの経験を読み、特有で固有な苦しみを少し知ることができました。そして、この苦しみは果たして気管支喘息を患うあなた個人の問題なのか?という問いが浮かびました。
最初の方に出てきた1日8時間働くということについては、最近ちょうど私の周りでも話題になりました。人はそれぞれ集中時間や持続時間、エネルギーの使い方や消耗の仕方など違うはずなのに、どうして1日8時間、週5日働くのが当たり前になっているのだろう?という疑問が出たのです。もしも、世の中の働く時間や日にちにいろいろなバリエーションがあり、自分のコンディションやポテンシャルに応じた働き方をそれぞれがしているとしたら、あなたはこんなに苦しくなっただろうか?と考えています。
そして、学費を親から出してもらったこともあなたは後ろめたく感じている様子でした。あなたに限らず、経験談には親から学ぶためのお金を出してもらうことを申し訳ないと感じたり、恩返しをしなければならないという焦りや苦しさを持つ人も少なくないと感じます。また、親の経済的な事情によって学ぶことを諦める人もいます。そう考えると、どんな人でもお金の心配をせずに学ぶことができる社会であれば、そうしたことで心苦しくなったり、後ろめたくなったりする人はいないのではないか?と思う私がいます。学びたい人が学びたいときに学ぶことができて、そして、その人が一番パフォーマンスを発揮しやすい環境で働いてもいいような体制や考え方がある方が多くの人たちが穏やかに暮らせるのではないか…あなたの経験談を読むことよって、私たちが暮らす社会について思いを巡らせています。
ただ、そういった社会の課題とは別に病気と付き合いながら生きることは簡単ではなく、他の人からはわかりにくい苦しみはあるのだろうと思います。今回、このように自分から見える景色を率直に書いてくれましたが、実はこのようにいろいろな人たちが自分から見える風景や自分が感じる痛みや苦しみについて、率直に開示しあい、理解しあえることが何よりも大切なのかもしれないとも感じました。
ありのままの思いを届けてくれて、ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。私も幼少期から喘息だったので、仲間だ…!という気持ちで読みました。とても体力がないし体調を崩しやすいので、うんうんと頷く箇所がたくさんありました。私も子どもの頃学校に行けないことや入院も多く、朝晩の薬と吸入もわずらわしく、周りと同じようにできない自分ということをずっと意識して生きてきたように思います。
でも一方では、私の場合は両親も喘息持ちで、とくに母は悪化させて入院していたこともあったりしたので、できないことがあって当たり前という感覚もあったのかもしれません。
私は喘息自体は大人になるにつれて軽快しても、自律神経が弱かったり、単純に体力もなかったりして働くことはとても難しく、無理してフルタイムで働いたりもしていましたが、心身ともに動けなくなり、休職や退職するのを繰り返していました。ずっと立ちっぱなしの仕事はものすごくハードですよね。それをできる人が世の中にすくなからずいることにむしろ衝撃があります。
「がんばっても7時間で限界」など、なにか後ろめたいことのように書いてあったのが印象的だったのですが、個人的には、そうやって自分に合う働きかたを模索しているのはすごいことだと思いました。なにせ私は何度も休職や退職を繰り返すまで、なにを変えなければいけないのかになかなか気づけなかったのです。それからしたら、あなたが自分にマッチする働きかたに自覚的で、その中で改善をしようとしているのはなかなかできることではないと感じます。
私はいまフルタイムはやめて、リモートワークを組み合わせなんとか生活しているところです。少なくとも、そうするようになってやっと、気絶するような感じではなく、心身が動けないような鬱状態になることはなく、ある程度は生活を維持できるようになってきました。本当はそういう隙間の仕事みたいなのがいろいろあるはずで、それは「絵を描いたり、なにかを作って売る」みたいなスキルの仕事に限らない気がします。ただ、世の中でそういう仕事はどこにあるのかわかりづらく、見つけづらいとも感じています。
あなたは親御さんに感謝の気持ちがあるからこそ、一方的に受け取るばかりと感じる中で、せめてお金というわかりやすい価値についてはしっかり返したい思いがあるのかなぁと思いました。それもひとつの考え方で、いいとは思います。ただ、それだけが選択肢でもないように思いました。
私は親に返したいというよりは、世の中で持ちつ持たれつをしているので(道路だって水道だって物流だって多くの人の力で成り立っていますし)、等価交換的に返すよりも、学んだことや得た力を社会の中に広く還元していきたいという思いがあります。親に対しても、私は学んだことや知ったことを伝えたり、感じたことをお互いに分かち合ったりすることにも意味があると感じています。
社会への還元ということでいえば、私はあなたの経験談が発信されたこと自体が社会の中でとても価値のあることだと思っています。私は「もうこれ以上なにも頑張れる気がしないのに、頑張らないとどうにもならない」とあなたに思わせるのは、健常主義がはびこる社会構造の問題だと思っているからです。ちなみにこういう考え方を「社会モデル」と言ったりします。
残念ながら喘息の大変さ、体力がない中でのむずかしさを知らない人はとても多いと思います。喘息と言っても、一人一人の経験も違います。その中で、それがどんな体験なのか、どんなふうに困るのかを表現することには、とても大きな意味があると思います。死にトリの経験談というコンテンツ自体がそういう意味を信じてやっているものでもあると思っています。
また、似たような経験をしていても、自分で言葉にすることが難しかったり、こんなこと言ったらいけないんじゃないかと思ってだれにも言えなかったりすることも多く、そんなだれかを勇気づけることもあるのかなと思います。私自身この経験談のタイトルを読んですごく親近感を感じ、投稿してくれたことをうれしく思いました。
私は現在も体調は悪いし先行きの見えない中生きていて、あなたの役に立つことを言えずに申し訳ない気持ちでいます。ただ、ここにも少しだけ似た経験をした人がいるよ、ということを伝えたくなりました。そしてほかにもそんな人はたくさんいるはずなのだから、そういう人にとって無理のない選択肢がもっと世の中に増えていくことを心から願います。