子供の頃祖父、祖母、母、父、姉と私の6人で住んでいました。姉は何でもできるタイプ。習い事も勉強も私より出来るので、トロくてミスばかりで取り柄がない私は常に姉と母に馬鹿にされる発言をされていました。「また𓏸𓏸(水をこぼすなどの失敗)してる」「音痴」「なんでそんなあほなん?」など。
その中でも失敗すると母に「あんたはおばあちやんの子供やから」と言われていました。
幼かった私はその言葉に「だから母は私のことが嫌いなのか、愛されないのか」と思っていました。
母は父のことも、父方の祖母のことも嫌いで、私といるときはずっと父や祖母の愚痴や悪口ばかりでした。
私は祖父と祖母と一緒に寝ていたので、愚痴を聞きながら、嫌な気持ちながらも母にこれ以上嫌われたくなく否定もできずの日々でした。
中学になると、姉は反抗期になり、母の理想の娘で無くなってきたため、母は私に「姉のようにならない」ということを日々いうようになりました。嫌な気持ちながらも私は母に好かれるチャンスと思い、真面目でいい子で生きていました。
そのころ父と母は別居をはじめ、私は母と2人で暮らし始めました。父と離婚できないのは私がまだ未成年だからだと責められながらも、母に唯一愛されている気がして、いい子に生きました。高校も大学も、仕事も自分で選びながらも、今思えば母の与えた選択肢から選んだ感じです。(今ではそれで良かった部分も大きいです。)
仕事をしても、母と2人で暮らしていましたが、母は私の恋人についても何も知らないのに悪口を言うことが多く(取られるという不安から)耐えきれなくなり、初めて大喧嘩をして1人で暮らすと明言し、初めて母と離れました。
1人暮らしをする予定だったのですが、そのとき付き合っていた彼と同棲をすることになり、そのまま同棲→結婚となりました。
夫はとても穏やかで、非があまりありません。抜けているところはありますが、それも愛されるキャラのような人です。
結婚し2年が経ち、子供について考えるようになりました。私は一度も子供が欲しいと考えたことはありませんでした。でも夫の為ならと1年弱妊活をしてみました。タイミングを管理するのも私、体の負担も私、生理が来て落胆するのも私と、とても苦しくなりました。改めて子供が欲しいのかを考えるとやはり不安の方が大きく、欲しくはないと思い、誘われたときにほんのり断ると「男にはタイミングがある」と断れませんでした。その後寝れず、次の日夫に気持ちを伝えました。するとそれまではあまり感じていなかった不満や嫌な部分が沢山出てきて、私の中では離婚したい。1人になりたい。という気持ちしかなくなりました。
離婚したいことも伝えましたが、急すぎていろいろ試してみよう、話し合いをしようと言われますが、私の気持ちはもう振り切ってしまい、一緒の部屋に居るのも嫌になります。同業者なので、仕事についての話などはできるのですが、家族としての会話は今求めていません。
夫は再構築をしようといろいろしていますが、余計にしんどいです。
何度か話し合いはしていますが、一旦こうしてみて!こう考えよう!と延びていくばかりです。
姉に相談したこともありますが、夫がいい人すぎるので「離婚してもしなくても可哀想やな」「お前HSPとか繊細とか弱いふりしてる図太い奴やな」と言われて何も言えなくなりました。
今まで1人になったことがなく、振り返れば母から解き放たれた喜びと夫に尽くすことが当たり前になっていた気もします。
夫に大きな非はないので離婚の話も進みません。ただ家にも帰りたくない日々です。
気持ちから体調も悪くなるので仕事もしんどいです。
たまに友達の家に泊まったり、1人で出かけたりしますが、夫はもちろんいい気はしないようです。責めることは何も言ってこないですが、言いたいんだと思います。
夫が友だちと遊んでる時間がいちばん気楽です。
離婚して早くお互い幸せになろうよと思います。
1人になりたいです。
無理なのであれば消えたい。
何も考えたくないです。
私なんて無かったことにしてほしい。
夫には感謝もたくさんありますが、違う人と幸せになってほしい。ごめんなさい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
1人になりたい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。読んでいて、根底にある、長い時間をかけて形づくられた“誰かに合わせることでしか自分を保てなかった人生”への気づきと、その構造から抜け出したいという強い願いが伝わってきました。
幼少期から続く“母に好かれたい”という一心で積み重ねてきた生き方は、あなたにとっては「努力」以上に「生きることそのもの」だった感覚ももしかしたらどこかあるのではないかと想像していました。お母さんの感情の揺れを敏感に読み取り、怒らせないように、嫌われないように立ち回ること、その経験が大人になっても続き、今度は夫さんを悲しませないように、波風を立てないようにという形で再現されてしまっているように私には見えました。今苦しんでいるのは夫婦関係そのものというより、「自分が誰かの期待に合わせ続けてきたこと」による疲労が蓄積した結果のように私は感じました。
夫さんに大きな非はないのに離れたいという葛藤は、確かに周りの人からは理解しづらいものだろうな…とも考えながら、でも非がないから離れられないというのは、まるで自分の自由や幸福を“相手の善意”に縛られてしまう構図になってはいないか?とも私は思いました。この社会では、結婚を“安定”と見なしがちで、離婚を“失敗”のように扱う風潮がいまだに根強くあるように私は感じています。それによって、例え心が限界に近づいても、“壊れているのは私のほうだ”と思い込みやすいのかなと…。文章の最後のほうで「無理なら消えたい」「私なんて無かったことにしてほしい」とまで綴られているのは、まさにその構造の中で“自分の消耗を自分の責任として処理してしまう”心のあり方が表現されているように私は感じました。
ただ、私はあなたが“自分の本音をようやく言葉にできている”感覚もあったりするのではないかと思ったりもしています。幼少期からお母さんに対してさえ口をつぐんできたのに、ここまで率直に「もう一人になりたい」と書けたということは、長い抑圧の鎖のひとつを自ら外していこうとしている瞬間でもあるのではないでしょうか。(全然違っていたらすみません)
社会の中で「いい娘」「いい妻」としての役割を期待され続けて、自分の欲求を取り戻すまでに要する時間と痛みは、決して小さくないと私は思います。夫さんが「いい人」であるほど(私としては失礼かもしれませんが、果たして本当に“いい人”なのだろうか?と思ってしまっているところもあるのですが…)、その痛みは他者に理解されにくくはなるとは思いますが、「いい人」と「自分が共にいたい人」は必ずしも同じではないよということを伝えたくなりました。
きっとあなたは、ようやく“誰にも同調せずに存在したい”という願いが自分の中でしっかり芽生えてきたのだと思いますし、それはわがままでもなんでもないし、むしろ自分を取り戻そうとする正しい心の動きなのだと私は思いました。無理に「立ち上がる」ことや「前を向く」ことを求めるのではなく、まずは“今はもう疲れ切ってしまっている”という事実を、社会も周囲も、そして自分自身も認められるようなそんな時間が、どうか訪れてほしいなと願う気持ちです。私もあなたと全く同じというわけではないですが、配偶者との関係性に悩み、周囲からはなかなか理解を得難いのですが長いこと「1人になりたい」と願う者として勝手ながら仲間意識を抱いてしまいました。苦悩は尽きないかもしれませんが、しんどい時はまた死にトリに声を届けてもらい、言葉を交わせたらなと思いました。
感想1
これまで何度も身近な人に傷つけられ、気を遣っては振り回され…という徒労感が伝わってくる内容だと感じました。もう誰かに傷つけられるのも、傷つけたかもと思って傷つくのも嫌、というような気持ちなのかなと勝手ながらに想像しています。「1人になりたい」という言葉が静かに、けれど確かに響いてくる感覚がありました。
夫さんとの出会いと共同生活は、落ち着かない実家での生活と相反するような穏やかさだったのかなと思います。今までの生活にない要素を求めるのは自然な流れなのかなと感じました。ただ子どもについて考える中で、あなたの中にあった違和感や自己主張があらわれ、同時に夫さんが自分の意思を通そうとする勝手さ、配慮の足りなさみたいなものが露呈してしまったのかなとイメージしました。夫婦が人間関係としていくら対等であろうとしても、妊娠・出産は女性にしかできないことなので、そこには一層の慎重さや気遣い、丁寧な合意形成が必要だと私は思います。今回の件以前から溜まっていた不満もあったのだと思いますが、子どもを持つことに関して相手とのズレを感じ一気に心のシャッターが降りることは、図太いとか関係なく、当然といえる心の切り替えなのではと思いました。
あなたが夫さんとの関係を冷静に振り返るほど、夫さんの働きかけに対する心の溝は深まるばかりなのだろうなと感じました。家族という身近さゆえに単に「嫌い」「酷い」と相手を非難できないもどかしさ、その環境に向き合うしかない苦しさをあなたは実家で十分すぎるほど味わっていて、だからこそ夫さんについてもどうか静かに離れたい(極端な何かをせず)と感じているのではないでしょうか。あなたの心の疲れが伝わってほしい…と切実に思います。