経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

お荷物

私は小学生の頃に東日本大震災を経験し家を失いしばらく避難所で生活していました。
その後少し離れたところに住んでいた祖母の家に私の家族・いとこ家族・祖父母・とで共同生活をする事になりました。
昔から祖母は私の事が孫の中で1番嫌いでいつも私にだけ当たりが強く祖母の家に避難し一緒に暮らしていた時も面と向かって「あんたなんて生まれてこなきゃ良かったのに」「うるさい、顔もみたくない」など色々と暴言を吐かれました。
小学生の私にはあまりにも受け止めきれず、それ以外にも母親がいとこ家族・祖母から責められ「あんたなんか死んでしまった方がいい」「死ぬのなら外行ってやってくれ」など泣きじゃくってる母親に向かって暴言を吐いてるのも聞いて小学生の私には何も出来なくて凄く悲しくていっぱい泣いたのを覚えてます。
その後、新しく家が見つかり家族だけで平穏に暮らしてたんですが中学に入り少し経ったぐらいでいじめが始まり中学1〜3年生の間小さいのから大きいのまで大小色々な事をされました。
その頃、初めてリスカをしました。
精神科や心療内科にも通いましたが若いからの一言で片付けられまともに診察してもらえずそのまま高校生になり1年生の頃は友達もおり凄く充実した高校生活を送っていたんですが2年生に上がる時にクラス替えがあり仲良かった友達全員と離れ離れになりそのグループで私だけが違うクラスでそこから関係が悪化し仲が良かった子達からいじめられるようになりました。未だに何がきっかけでいじめられたのかわかりません。
新しいクラスにも馴染めず高校2年生で行く修学旅行には行かなかったです。
そんな感じの高校生活を送り私は誰も知り合いがいない県外に就職を決め関東に出てきました。
その時に親と姉も同時期ぐらいで関東に出てきており一緒に暮らしていました。
高校卒業と同時に入った会社は色々な面が合わず直ぐに退職してしまいその後、直ぐに決めた会社で今働いています。
ただ、その会社も後もう少しで退職します。一緒に働いている人とどうしても折が合わず合わせようと努力はしましたがやっぱり無理でそんなことをしてると心がダメになってきて1度自殺未遂をしました。姉が運良く見つけてくれたお陰で死なずに済みましたがその頃からリスカが酷くなってきて毎日、毎日するようになってきてもう一度精神科を受診しましたがその時も若いからの一言でまともに診察をしてくれず……その頃から私のこの死にたいっていう感情は若いからそう思ってしまうのか気の持ちようその一言で済まされて見捨てられたと感じるようになりどんどんリスカが酷くなりそれが親にバレた時凄く怒られました。
そんな日々が続き親にあなたは1回ゆっくり休みなさいと言われ退職するに至りました。
ただ、親も20年以上躁鬱を患っており未だに通院し薬を服用しながら仕事をしています。そんな親に掛け持ちをさせて私はのうのうと休んでいいものなのかと最近はずっと考えていてこんな家族のお荷物みたいなやつは死んだ方がマシだと思うようになり最近は死にたいという感情と戦っています。
今は、きちんと診察してくれる病院が見つかりその先生とゆっくり1歩ずつ治療に励んでいる最中です。
今もずっと死にたいという感情がありますがこれから先この感情が少しでも無くなり穏やかに日々を過ごせるようになったら良いなと思いながら1日、1日を生きてます。

※長々とまとまりの無い文章を書いてしまいすみませんでした。

感想1

あなたの生い立ちや、社会人になってからの体験を読ませてもらう中で、不意に息を飲む自分に気が付きました。祖母さんの暴言やいじめのことは、あなたの心にどれだけの負荷をかけたのだろうと、想像せずにはいられません。
にもかかわらず、あなたが受診をした際に何度も「若いから」という一言で片付けられてしまったこと、私には到底納得できませんでした。読み手の私ですら、怒りとか困惑とか、そういったいろいろな感情が噴出しています。あなたが見捨てられたように感じるのも無理のないことです。
あなたの味わってきた苦しみやつらさは、年齢どうこうで計られるものではないと私は思います。もっと言うなら、人の苦しさやつらさ、それに伴う葛藤を軽視するのって、その苦しさやつらさを加速させてしまいかねないことだとも思っています。
あなたの体験したことは誰かに軽視されていいことではないと私は思ったことを、改めて伝えておきたいです。お荷物という言葉から、あなたがご自身のことを責めてしまう感覚を持っていることが伝わってくるような気がしますが、私としてはあなたの親と同じく、苦しさやつらさが累積している現状、休む時間を大事にしてほしいと勝手に思ったりしました。
もしもこの場所があなたの穏やかな日々に寄与しそうなら、いや、特に目的がなくっても、気が向いたらまた気軽に投稿してみてほしいと思います。この度は投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。ただ生き延びてきたというだけではなく、何度も理不尽なことに打ちのめされながらも、何かを信じて生き続けようとする力のようなもの…震災で家を失い、家族の中でも他の誰よりも冷たい言葉を浴びせられ、それでも「泣くこと」「感じること」をやめなかった、あなたの根にある“強さ”を私は感じました。
幼い頃に、大人から「生まれてこなきゃ良かったのに」と言われることがどれほど心を傷つけるか、私自身も似たようなニュアンスのことを言われた経験があるので、言葉の暴力というより、存在そのものを否定される痛みに近いような感覚があります。あなたがその痛みを抱えながらも、「悲しい」「つらい」と感じ続けてきたということは、それだけ人としての大切な感受性を守り抜いてきた証でもあるのかななんてことを考えていました。
いじめや孤立、そして繰り返し「若いから」で片付けられてきた経験は、あなたが“人として真剣に苦しんでいる”ことを社会が見ようとしなかったということでもあるのかなと私は感じています。若者の苦しみを“思春期の一時的なこと”と軽んじられてしまうことも少なくなく、支援を遅らせてしまう構造的な問題も否定できない部分だよな…と。
あなたの「死にたい」という言葉の奥には“生きたいのに、どうしてもこの痛みに耐えられない”という葛藤があるように思いました。リストカットも、自分を罰したいというよりは、“生きていることを確かめたい”、“この痛みを外に出さなければ壊れてしまう”などという、ぎりぎりの自己防衛の形だったのかもしれないなと私は思いました。そして今、きちんと診察してくれる病院や先生に出会えたことは恐らくあなたの人生において初めて“痛みが否定されない場所”を見つけられたということでもあるのかなと感じ、勝手ながら私まで嬉しいというのかホッとした気持ちになりました。
「死にたい」という感情がすぐに消えることはない(無理に消す必要もないと私は思っていますが)と思いますが、その感情を持ったまま“それでも今日をどう生きるか”を病院の先生と一緒に探していくことが、あなたにとっての“穏やかさ”の一歩なのかもしれないなとも思いました。またあなたにとって死にトリが何か役に立つようでしたら、いつでも声を届けてください。

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