経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私は毎日思い出し怒りをする
1人で脳内で誰かに怒りをぶつける
相手は先日揉めた上司なこともあれば、
死んだ母親なこともあるし、さまざま
あの瞬間言われた腹の立つ相手の言葉を思い返して、
もっと言い返してやれば良かった
もっとこんなふうに切り返せば良かった
という思いが沸々と湧き上がる
脳内の相手に何度もそれをぶつける
時間が経てば怒りはおさまるものもある。
でも、私の自尊心を傷つけた相手への怒りはおさまらない。
私を非難したり、私のせいにしてきたり、私を軽んじた言動をした相手は大嫌いだ。
度々脳内で怒りをぶつけることになる
別にその場で言い返してないわけじゃない。
でも、いい足りなかった、もっと攻撃的な言い回しがあった、もっと論破したかった気持ちが強い。
6秒数えれば怒りはおさまるとか、
寝れば忘れるとか、
そんなことはない。
私はそんな能天気じゃないし記憶力もいい。
土下座して謝れ!と相手に思うこともあるが、
謝ってもらったところで許さないし、
謝る行為で相手が区切りをつけて楽な気持ちになるくらいなら謝られたくないとも思う。
私が本当に怒った時、怒りは深いんだと思う。
怒りというエネルギーが持ててるだけいい。
私はそれが持てなくなった時、生きてても辛いだけだとなって死にたくなってしまうから。
だからまだ今日は正常だと思う。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
怒りという感情は特に、つらい気持ちとは別方向でうまく付き合っていく事が難しいなと個人的に感じている私ですが、投稿者さんの怒りとの向き合い方を投稿を通して教えていただいているような感覚になり「なるほど!」という感じです。
投稿者さんにとって怒りは「自分の精神を保つための線引き」をこなしているんだなと感じました。「日に日に募るつらい気持ちが限界を迎えないために、すこしづつ怒りを通してつらさを消化している」のか、「そもそもつらい気持ちにならないようにするため」なのか…誰しもつらい気持ちを自覚する場面は少なからずあるんじゃないかな、と個人的に感じているところがあるので、投稿者さんにとって脳内の相手に怒りをぶつけることは「そのつらさと極力真正面から向き合わないようにするための自己防衛の手段」なのかなと感じました。
また、これまで受けてきた心の傷を「怒り」で覆っているようにも感じました。覆っている「怒り」がなくなってしまえばむき出しの傷があらわれてしまう、そうならないために本能的に「怒り」が機能していると考えると、投稿者さんが「怒りというエネルギーが持てているときは正常」と表現されていることにとても合点がいったし、同時にそういった「怒り」感情に対し投稿者さんはどのような思いをもっているのだろうと気になりました。
投稿ありがとうございました。
感想2
読ませていただきました。私はどちらかというと寝たら忘れることが多いタイプなのですが、寝ても忘れられないこと、というのが時たまあります。そんな時の気持ちのやり場のなさというのをあなたの文章を読みながら思い出しています。
あなたの怒りが収まらないのは、自尊心を傷つけられた時ということをはっきりと書いてくださいました。「その場で言い返してはいるけれど、言い足りなかった、もっと攻撃的な言い回しがあった、論破したかった」という気持ちは私も時たま身近な人に対して抱いたりします。家に帰って言葉のナイフを研ぎ澄まし、改めて論破に向かうことさえあります。それができない相手だと、じゃあその気持ちはどこに置けばいいんだろう。そんなことを考えていると、能天気じゃないし、記憶力もいいと書いてくれた通り、あなたはきっと頭のよく回る人なんだろうなということを思います。
怒りについて考えると、怒るって多分「自分を守りたい時」なんだなあと思うことがあります。傷つけられた時、傷つけられそうな時、怒りが出てくるのは本能として当然のことだと思いますから、怒りのエネルギーを持っている時は正常、とあなたが書いてくれた通りそうだと私も思います。
傷ついた分「癒し」がなければ、ずっと傷ついた傷が痛み、怒ることしかできないこともあるのかな、とあなたのお話を読みながら仮説を立ててみました。生傷で考えてみても、治りにくい傷を誰かの不手際や故意的に受けた場合には、痛みから怒りが蒸し返すことも多々あります。(注射を何度も失敗され、注射したところがずっと痛んだ時に、痛みが消えるまでずっと看護師さんにムカついてたことがあります・・笑)
あなたが、上司や母親にどんなことを言われて傷ついたのか、そりゃ傷つくよね、ムカつくねって話し合ってみたい気持ちになりました。傷に塩を塗るような人もいるけれど、優しく手当てしてくれる人がいたら、傷の治り方は違うんだろうか。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
怒りという感情は特に、つらい気持ちとは別方向でうまく付き合っていく事が難しいなと個人的に感じている私ですが、投稿者さんの怒りとの向き合い方を投稿を通して教えていただいているような感覚になり「なるほど!」という感じです。
投稿者さんにとって怒りは「自分の精神を保つための線引き」をこなしているんだなと感じました。「日に日に募るつらい気持ちが限界を迎えないために、すこしづつ怒りを通してつらさを消化している」のか、「そもそもつらい気持ちにならないようにするため」なのか…誰しもつらい気持ちを自覚する場面は少なからずあるんじゃないかな、と個人的に感じているところがあるので、投稿者さんにとって脳内の相手に怒りをぶつけることは「そのつらさと極力真正面から向き合わないようにするための自己防衛の手段」なのかなと感じました。
また、これまで受けてきた心の傷を「怒り」で覆っているようにも感じました。覆っている「怒り」がなくなってしまえばむき出しの傷があらわれてしまう、そうならないために本能的に「怒り」が機能していると考えると、投稿者さんが「怒りというエネルギーが持てているときは正常」と表現されていることにとても合点がいったし、同時にそういった「怒り」感情に対し投稿者さんはどのような思いをもっているのだろうと気になりました。
投稿ありがとうございました。