経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私はずっと優等生でした。
生まれた時から自分というものを人前に出したことがなかった。
本音も言えたこともないし、会話も通じたことがない。
辛くても悲しくても常に笑顔で人が望んでいる言葉を探しては伝えていた。
でも中3の時に、それが急にできなくなった。
最初は何が起こったのか戸惑っていたけど、今思えばそれが人生で初めての産声な気がした。
それからは、毎日死にたかった。
精神病院に行ったら、境界性パーソナリティ障害だと診断された。
元々不安障害と発達障害傾向があったところに、機能不全家族に育てられ、自分について考えることもなく偽ってきたためその2次障害で病気になったということだった。
今も自分の軸がなくて、毎日死にたいって思ってる。
彼氏とは12人と付き合ったけど、ワガママだと、メンヘラだと言われて全員と別れた。
今は13人目の彼氏と同棲している。
自分はどうしても分からないことがある。
みんなどうして恋愛をしないのか。
どうして結婚をしないのか。
そう簡単に割り切れるのか。
そこまで恋愛や彼氏に依存しなくても、自分の楽しみがあり、自己表現ができて、仕事もできる。
その「普通」が私にはないから。
人は誰しも何かに縋って生きていると思う。
でも自分はそれが過度になってしまいいつも人を振り回してしまう。
本当は愛が欲しい。
人と繋がりたい。
人のことを想いたい。
でもそれができない。なんでだろう。
音楽が私を唯一救ってくれたものでした。
でもその音楽で生きていこうと仕事にしたいと思った。
でもその心の居場所もメンヘラと不安によって奪われた。
どうしても歌がやりたかった。
でもできない。
今は生活保護を受けている。
過食で4年間で35kgも太ってしまった。
鬱っぽくて家にひきこもっている。
今まで一度も働けたことがないから、働く方法も自立の方法も分からずただ彼氏に全部やってもらっている。
寂しい。
人を愛する感情なんて無ければよかった。
そしたらこんなに苦しい思いをせずに済んだかもしれない。
分からないけど。
あと少し、あと少し。
あと少し、あと少しなのに。
あと少しで届きそうなのに。
光が見えそうなのに。
そんな最中にいます。
この投稿がほんの少しでも同じような気持ちでいるどこかの誰かに届きますように。
悪いのはあなたじゃない。
おかしいのはこの社会です。
なにも必要ない。
あなたは生きる価値がある。
絶対に絶対に。
人生で一番恐ろしいのは、自分を失うことです。
死にたくてもいい。
何も無くてもいい。
ただ生きているだけで、それだけで偉いんだということ、すごいんだということ。
勇気があって誰よりも優しくて、他の人には見えない真実が見えるはずです。
それを信じてみてください。
探してみてください。
あなたが自分のことを愛せなくても、私はあなたのことを応援しています。
これらは全部私が自分に言ってあげたかった言葉かもしれません。
そんなエゴがたくさんある世の中ですが、少なくとも私はまだ、どうやら生きていたいみたいだと気づけました。
ありがとうございます。
感想1
優等生でいないといけない…という思いがあったり、そうせざるを得ない状況下で苦しみながら過ごしてきたことを感じました。同時に、そうなったキッカケは何かあるのだろうかと気になりつつも、文中にあったように、家庭の影響は大きかったのではないかと想像しました。急にできなくなったけれど、それが産声ではとあなたが認識したところは、とても印象深かったです。やっと、やっと声を上げられた・自分を自覚した、そんな体感を得た瞬間だったのかなと想像し、声なき声でも、大きな叫びだったのかなと思いました。でもそこから、死にたい気持ちも顔を出してくるようになったのですね。それまでにも、死にたいことや違和感はあったけれど、心の奥底に自分でどうにか抑えていて(そうしなければいけないような、周りの圧もあったのかなと思います)出さないようにしていて、だけど産声をあげてから、ある意味で全面に出てきて抑えも効かなくなった状態をイメージしました。「自分について考えることもなく偽ってきた」とありましたが、考える心の余裕もなかったんじゃないかと思いました。
自分の軸がなくて、ブレを感じながら、その状態で希死念慮があることを考えると、この気持ちの持ち主は誰なのか(何者なのか)どうしてなのか・自分は一体何なのかと感じて、更に苦しさが増えてしまう気がしました。
彼氏と付き合っている時のあなたは、「自分」そのままでいられている感覚はあるのでしょうか…。気持ちを抑え込まないといけないような関係性でなく、自分そのままで関わりをもてているのか気になりました。(ワガママ・メンヘラと言われている、というのを読み、冒頭部分と比較して気になったところでした)
そして、疑問に思うことを書き出しながらも、自分の心を見つめ、探っている様子も感じました。出来ないことに苦しみながら、あなたなりに自分の感じていることや思うことを蔑ろにせず、受け止めている部分もあるのだろうかと、私の勝手な想像です。そんな私も、人との距離感がうまく掴めず、過剰になってしまうことがあります。特に恋愛においてはそれが顕著に出ることも自分で感じていたので、あなたが欲する愛や繋がりなど、勝手ながらとても共感していました。私の場合、今度こそ失敗したくない・次は上手く関わりたい…と思う気持ちも強く、それがまた厄介で結局うまくいかないこともあります。でもやはり適切なバランスはわからないし、望むものも変わらずなので、そこでまた苦しむループに陥っていたりします…。
音楽に救われたところも少し似ていて、また勝手にですが頷いて読んでいました。やりたかったことができない・そしてその原因は自分なのではないかと思うと、自信も無くすしとても悔しい気がしています。あなたのいう「メンヘラと不安」はどんなもので、どう湧き出てくるものなのか…私の感覚と擦り合わせながら・自分なりに色々イメージしながら読ませてもらった部分でもありました。
あと少しで届きそうと思うのは、もう少しで自分の最後のパズルのピースが見つかりそうなのをずっと探し続けている感覚かなと思いました。詩的な表現になってしまいましたが、何かを求めて手を伸ばしているあなたが浮かんだ気がして、書かせてもらいました。
自分に言ってあげたかった言葉かもしれなくても、こうやって書き出すことに意味はあると私は思います。「少しでも同じような気持ちでいるどこかの誰か」の一人である私に、このように届いたことが事実です。
また、自分を失う恐怖や絶望を知っているあなたは、”失ってからも取り戻せる”という希望も知っているのかもしれない、と私は思いました。
投稿ありがとうございます。
感想1
優等生でいないといけない…という思いがあったり、そうせざるを得ない状況下で苦しみながら過ごしてきたことを感じました。同時に、そうなったキッカケは何かあるのだろうかと気になりつつも、文中にあったように、家庭の影響は大きかったのではないかと想像しました。急にできなくなったけれど、それが産声ではとあなたが認識したところは、とても印象深かったです。やっと、やっと声を上げられた・自分を自覚した、そんな体感を得た瞬間だったのかなと想像し、声なき声でも、大きな叫びだったのかなと思いました。でもそこから、死にたい気持ちも顔を出してくるようになったのですね。それまでにも、死にたいことや違和感はあったけれど、心の奥底に自分でどうにか抑えていて(そうしなければいけないような、周りの圧もあったのかなと思います)出さないようにしていて、だけど産声をあげてから、ある意味で全面に出てきて抑えも効かなくなった状態をイメージしました。「自分について考えることもなく偽ってきた」とありましたが、考える心の余裕もなかったんじゃないかと思いました。
自分の軸がなくて、ブレを感じながら、その状態で希死念慮があることを考えると、この気持ちの持ち主は誰なのか(何者なのか)どうしてなのか・自分は一体何なのかと感じて、更に苦しさが増えてしまう気がしました。
彼氏と付き合っている時のあなたは、「自分」そのままでいられている感覚はあるのでしょうか…。気持ちを抑え込まないといけないような関係性でなく、自分そのままで関わりをもてているのか気になりました。(ワガママ・メンヘラと言われている、というのを読み、冒頭部分と比較して気になったところでした)
そして、疑問に思うことを書き出しながらも、自分の心を見つめ、探っている様子も感じました。出来ないことに苦しみながら、あなたなりに自分の感じていることや思うことを蔑ろにせず、受け止めている部分もあるのだろうかと、私の勝手な想像です。そんな私も、人との距離感がうまく掴めず、過剰になってしまうことがあります。特に恋愛においてはそれが顕著に出ることも自分で感じていたので、あなたが欲する愛や繋がりなど、勝手ながらとても共感していました。私の場合、今度こそ失敗したくない・次は上手く関わりたい…と思う気持ちも強く、それがまた厄介で結局うまくいかないこともあります。でもやはり適切なバランスはわからないし、望むものも変わらずなので、そこでまた苦しむループに陥っていたりします…。
音楽に救われたところも少し似ていて、また勝手にですが頷いて読んでいました。やりたかったことができない・そしてその原因は自分なのではないかと思うと、自信も無くすしとても悔しい気がしています。あなたのいう「メンヘラと不安」はどんなもので、どう湧き出てくるものなのか…私の感覚と擦り合わせながら・自分なりに色々イメージしながら読ませてもらった部分でもありました。
あと少しで届きそうと思うのは、もう少しで自分の最後のパズルのピースが見つかりそうなのをずっと探し続けている感覚かなと思いました。詩的な表現になってしまいましたが、何かを求めて手を伸ばしているあなたが浮かんだ気がして、書かせてもらいました。
自分に言ってあげたかった言葉かもしれなくても、こうやって書き出すことに意味はあると私は思います。「少しでも同じような気持ちでいるどこかの誰か」の一人である私に、このように届いたことが事実です。
また、自分を失う恐怖や絶望を知っているあなたは、”失ってからも取り戻せる”という希望も知っているのかもしれない、と私は思いました。
投稿ありがとうございます。