私は小学校高学年の頃から不登校が始まった。
おそらく理由は、人間関係が理想通りにいかなかったから。
その頃はまだ友達に恵まれていた。
でも、中学入学と同時に隣の区に引っ越したことで0からのスタート。
友達がなかなか出来ず、同じ係の人とも上手くいかず。
そんな中で私は、たまに学校を休みながらもなんとか通い続けていた。
だけど中一の夏。私は死ぬつもりで家を出た。
でもこの頃スマホを親にアプリで管理されていて、位置情報で気づかれてしまった。
それからも、ただぼーっと夜道を歩いたり、深夜に家で皆が寝てる時に死のうかなと思ってみたり…。
そんな行動が増えてきていた。
そして中一の秋。私は無気力になった。
心に大きな穴が空いて、何も考えたくなくて、何もせず家にずっと引きこもってた。
そうしているうちに、少しだけ回復した。
とは言っても、動画を見たいと思えるようになっただけ。
そこからはずっと動画ばかり見ていた。そこで推しを見つけた。
そのおかげで最終的に学校に行けるぐらい回復して。私は推しに救われた。
中2は毎日通った。それから私は高校2年生までずっと問題なく通えていた。
ただ、その間も苦しみ続けた。
心は一時的に満たされた気になって、結局すぐ空っぽになる。それを繰り返していた。
高校3年生になって5月初め頃に、また不登校になった。
原因はある友人を大嫌いになったこと、進路を考えるのが嫌だと思うようになったこと。
それに加えて、親が私と相性が悪い人だというのもしんどくて。
それが原因でまた家出して、今度はスマホを持たずに遠くまで行って。
結局ノープランだったから警察署に自分から行って、親に迎えに来てもらったり。
死にたい気持ちが強くなってきて、そんな時に新たな推しが出来た。また救われた。
今年留年して、4月から5月末まで通って結局また不登校になった。
流石に卒業したいので、10月から通信制高校に行くことが決まった。
何もせず家にいても毎日のように将来への不安を感じるが、なんとか乗り越えている。
私ってこんな風に生きてきたんだな。
今日なんとなく寝れなくて、前向きになりたくて、この文章を書いてみた。
少しだけ楽になったような気がする。
死にたくなるような毎日だけど、今日も、明日も、生きてみようと思う。
感想1
投稿者さんの小学校高学年時代から現在の高校時代の様子を思い浮かべながら読ませていただきました。文書を読んでいて、ここ数年間の中でたくさんの色んなことがあり、投稿者さんがもがきながらも、それでも最後は「生きてみようと思う」という気持ちになったことが伝わってきました。
私は学校の人間関係で心地よい関係を作るのは難しかったので(私は本当の友達が学生時代にほぼいませんでした。)投稿者さんの文章に思わず共感してしまった部分がありました。
死ぬつもりで家出をしたり、お家に引きこもったり、死のうかなと思ってみたり、とありましたが、そのような様子から投稿者さんがすごく追い詰められていた様子が伝わってきました。
文章のなかで、学校の友人関係が上手くいかなかったこと、親との相性について悩んだこと、進路を考えるのが嫌になったことなどがあげられていました。学生時代はどうしても、学校と家が生活の中心になってしまうので、その中で居心地のよい場所を見つけるのが難しかったのではないかと私は感じ、そうであればそれはとても苦しかったことも無理もないと思いました。
文章の中で「推しを見つけた」「推しに救われた」とありました。好きなものに出会うことって私は自分の世界を広げてくれることにもなると思っていて。私も不登校時代があったのですが、当時は大好きな音楽があったからなんとか生きれました。歌詞からいろんな世界を知り、音楽を聴いている時だけはそこに自分の居場所があるように思えました。(いきなり自分語りしてしまってすみません。)好きなものがあると、なんかそれが小さな生きる希望になったことが私にはあります。
「私ってこんな風に生きてきたんだな」という言葉から、投稿者さんがご自身の今までを客観的に見ることができるようになったのではないかな?と私は思いました。
10月から通信制高校に通うとありましたが、新しい環境が始まった投稿者さんは、今何を感じているか私は気になりました。またもしよければ投稿者さんの感じていることをきいてみたいです。投稿ありがとうございました。