経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
旦那と出会ったとき、何故か初めてこの人だ!と感じた。
今思えば、私は普通じゃない人が好きだったんだと思う。
旦那はバツ一で、人当たりは良く社交的なのに人が嫌いな人だった。
最初は、一回り以上離れていた私を嫌がったけど、一緒に仕事してるうちに「この子は頑張れる子なんだな」と思ってくれたらしく結婚した。
結婚するまでも、いろいろジュネレーションギャップやら育ちの違いがたくさんあって、たくさん怒られた。
もらったネックレス窓から捨てられたり、携帯取り上げられたこともあった。
それでも常識の足りない私に、旦那はだんだんと手を挙げるようになった。
本人も叩きたくないからかなり加減してる。
それが伝わって余計辛かった。
我慢させてる、不快な思いをさせてる。
好きな人の為に変わろうと、ジェンダーも封印して、趣味も抑えるようにした。
それでも足りなくて何度も何度も怒られる。
ついには生まれた子に「お前の血が入って可哀想。
将来お前みたいになるなら、楽しい今のうちに殺してあげたほうがいい。」そう言って子供と旦那は心中しようとした。
その時はなんとか抑えられたけど、その後も怒れる日々。
朝起きて子供の支度と自分の支度して、子供送って自分も仕事して、定時になったら急いで帰ってお迎えしてご飯作って、食べて片付けて、お風呂掃除と洗濯して掃除して、寝かしつけして⋯ずっと繰り返した。
気が利かない、言われたことも出来ない、子供に言うことも聞かせられない、何一つ上手くいかなくて怒られる。
もう旦那は私にストレスで殺されるらしい。
子供にも全部話した。
「ママがなおさないからパパは死ぬんだよ」
「ママはお前のために変わろうともしない」
私には、
生きてる価値がない。
人の心もわからない。
お前はお前のことしか考えてない最低なドクズだよ。
そう毎日のように伝えた。
私は鼻から否定する気はなかった。
実際怒られてるし。
でも好きな気持ちは嘘じゃない。
今でも、旦那と子供を愛してる。
けど、私のそれは独りよがりで。
旦那から「それが好きな人への態度か?」と言われた。
好きな人の為に変わることもなく、嫌だと言われてもやり続ける。
きっともう、私なんていないほうがいい。
感想2
文章全体から、夫さんの価値観や存在があなたにとって揺るがない、「受け入れるべきもの」として確立されているような印象を受けました。そんな夫さんの価値観に立ち入らないようにしながら、降りかかる行動や日々の家事・子育てを引き受け、懸命に暮らしている様子が伝わってきます。実務的なことと精神的なバランスコントロールを自力でやり続け、かなり疲弊しているのではないかと想像しながら読みました。
一方、第三者として聞いた私にとっては、夫さんとの関係性はとても不均衡で理不尽なものに感じられ、正直に言えば、この感想を書きながらもあれこれと訂正をしたくなる気持ちをぐっと抑えています。受け取り方の違いを生むのが「愛している」からだと言う人もいるのかもしれませんが、それは愛や好意を利用した支配なのではないか…と感じました。夫さんの「お前はお前の事しか考えてない」という台詞がありましたが、実際、強い言葉や態度を取られ続けると、相手(夫さん)の行動や考えに疑問を持つ余地なく、自分(あなた)の行動にのみ目が向く(自分を責めるしかなくなる)ようになるのではないかと思います。今回の文章でも、夫さん視点での表現(評価)が多いように思え、あなたがあなた自身のことをどう思っているか(自己評価や内省)を考えるという意味での「自分のことを考える」力はむしろ奪われてしまっているように感じました。
あなたから見た夫さんは、どんな人なのでしょうか…。完璧で、正しいことを言う(している)人、みたいな感じなのでしょうか。誰かと近しく、ともすれば自分と相手が簡単に影響し合えてしまうくらいの間柄になったとき、「自分が変わる」という選択をし続けることがあると思います。それ自体が間違っているとは思いませんし、対人関係の築き方としてそのやり方に「慣れ」ている場合もあるんじゃないかなと、私自身のことを振り返ってもそう感じます。反面、その方法は相手と関係を一緒に形作ることとは離れてしまい、あなたの言葉を借りると自分が「独りよがり」に思えてきて、結果的に孤独感にも繋がっていくのではないかなと、(勝手な想像も含めてですが)考えました。死にトリや、あるいは相談窓口などで、あなたの思いを外に出していってほしいと感じました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。あなたの文章を読んでいて、人を愛するということが、なぜこんなにも痛みを伴うものになってしまったのかという問いが、静かにそして切実に滲み出ているように感じました。愛を信じようとしながらも、その形に押しつぶされそうな葛藤も伝わってきます。
あなたの感じている苦しみは、単に“夫婦関係の不和”や“家庭内の問題”では片づけられないもののようにどうしても思ってしまいました。相手に合わせ続けることでしか関係を維持できないところもありそうだなと…。私自身も一回り近く歳の離れた夫がいて、あなたと全て同じというわけではないですが通ずるところがある(夫さんの気質も自分の夫と重なってしまいます…)ので決して他人事とは思えず、あなたの感覚も痛いほど共感できる部分があってそれゆえに、何とも歯がゆい気持ちにもなっています。
夫さんの手を挙げることについてあなたが「本人も叩きたくないからかなり加減してる」という言葉にも、この関係の本質が見えてくるような気がして、“我慢している”、“仕方なくしている”と言葉で正当化することで、暴力そのものが“愛情表現の一部”のようにすり替わっているような、女性側が「自分が悪いのかもしれない」と思い込んでしまう構造がまだこの社会には根強く残っていることも考えさせられました。あなたが感じている「我慢させてしまっている」とか「私のせいで不快にさせている」という罪悪感も、その構造の中で生まれたものだと私は思います。本当は、怒られて当然のことなどなかったと私は伝えたい気持ちです。「常識が足りない」と言われ続けるうちに、あなたは自分の感じ方、考え方、存在そのものを疑うようになってしまったところもあるのではないでしょうか。
あなたの“愛”は、形を変えながらも確かに存在しているのだとは思いますし、ジェンダーも趣味も抑え、自分を削りながら「好きな人のために変わりたい」と願ってきたのですよね…。けれど、それが「服従」や「自己否定」と引き換えになってしまうとき、人は次第に「自分が消えていく」ような感覚に陥るものだと自分も経験して思うことです。
「いないほうがいい」と思ってしまうのは、自分を責めたいからではなく、「これ以上、誰かを苦しめたくないし自分も傷つきたくない」という切実な祈りのように私は受け取りました。社会の中には、こうした“見えにくいもの”に苦しんでいる人が多くいることはあなたの経験談からも他の経験談を読んでも強く思うことです。手を挙げられた事実だけでなく、言葉や態度、日々の圧力の積み重ねによって“自分の感情が間違っている”と思い込まされてしまう、それは、制度の目の届かないところで起こる静かな暴力であると私は思っています。
あなたがここに綴った言葉に、「それはあなたのせいじゃない」と口にできる社会であってほしいと強く思いました。夫さんとの関係にこれからも苦悩することはあると思うので、そんな時は匿名で相談できるSNS相談やメール相談などもありますから、そうしたものを活用してみてほしいです。そう簡単なことじゃないのは承知の上で、あなたが、この先もう少しだけ“自分でいてもいい”と思える場所や人に出会えることを勝手ながら願っています。