経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

子供の頃から

私は子供の頃から容姿を馬鹿にされて生きてきました。
具体的にはアゴが緩いことを同級生や同僚に馬鹿にされ、気持ち悪がられ生きてきました。

奴らのひどいところは、集団で一人をいじめてくるところ。
面と向かってキモイと言ってくることもありましたし、遠くから私に聞こえるくらいの大きな声で言ってくることもありました。
また、陰口を私は言ってもいないのに言ったと決めつけられ、集団で批判されることもあったし、その流れでアゴを笑われることもありました。

わざわざ近づいてきて意味深な薄ら笑いを浮かべて立ち去っていく女もいたな。

こうした経験の後遺症だと思うのですが、今でも人が真横に立つと、かゆくもないのにアゴを掻く仕草をします。他にもハンカチでアゴを拭く仕草をします。アゴを隠すためです。
また横断歩道を渡る際にも上記の仕草をします。運転手の目が気になるからです。

一方で、こうした経験を通して、私は人の容姿を馬鹿にしない人間になれました。
たとえキモイを売りにしているテレビタレントが出てきても、私は決して容姿を馬鹿にはしません。

ですがとても生きづらい日々を過ごしています。

感想1

投稿ありがとうございます。いきなりですが、私は外見に言及されることが全般的に苦手です。外見に言及されると、なんだかとても高い所から評価を下されるような感じがして、私は圧倒されてしまうのだと思います。
そのため、あなたが容姿を批判されてきた経験を読んでいて、なぜあなたがそこまで言われなければならないのだろうと、憤りややりきれなさを感じた次第です。後遺症として残った仕草もリアリティがあり、あなたの心の深い部分に、批判された経験が絡みついている様を想像できました。

でも一番印象的だったのは、この経験によってあなたが人の容姿を馬鹿にしない人間になれたと感じていることです。馬鹿にしない人間になれたというつらい経験の(私から見て)プラスの側面を拾い上げていること、つらい経験があなたや他の誰かにこれ以上蔓延しないように努めていること、どちらも強く印象に残りました。その境地に至るまで、というか今も多くの葛藤があるんじゃないかと思いますが、個人的には、あなたの行いに宿る高潔さを感じたことを、どうしてもお伝えしたくなりました。息が詰まることも多いと思いますが、そんなときはまたここを訪れてみてください。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。短い文章の中に、どれだけあなたが傷を傷つけられるような経験をされてきたかということが伝わってきて、私も胸が痛いです。集団で一人をいじめるというのはとてつもない暴力だと思います。集団だからこそ、人を傷つけたり悪事を働くなど弱い方に流されるのでなく、そうした人間の弱さを克服するように強め合ってほしいと思うものですが。

後遺症という言葉で表現される言葉から、あなたがあなた自身を癒そうとしてきた時間も感じました。最後の生きづらさを語ってくれた文章から、本当は人目を気にして生きていくのはやめたい思いも感じています。人目を気にしない、というのは他者を気にしない、ということと同じことなのかもしれない。人を評価しない、というのは自分を評価しないということと同じかもしれない。

容姿を馬鹿にしない人よりももっと、人や自分の容姿に何も思わない人になりたい。スマホやSNSの発達で容姿に対する注目が高まったのはここ15年程の話だそうで、心も体も追いつかない思いです(多分人類が追いついてないとも勝手に思います)。あなたも、みんなも、わたしも、ただありのままがあるだけでいい、そんな風に強められたいなあ。

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