経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

もう何もしたくない。

今大学3年生で就職をもう考えなくちゃいけないんですけど、求人を見ててもやりたい仕事がなくて、やりたくないことに人生のほとんどを使うのを想像するともう死んでしまいたいんです。何を甘えたこと言ってるんだと自分でも思ってます。でも頑張るって私にはハードルが高すぎてできる気がしないんです。出来たとしてもやりたいことをやれずに、やったとしてもできないからずっと自分なんてって思うからしんどいままで。世の中そんなに甘くないから私の夢は叶わないし、仕事は全部大変なことしかなくて、生きてくだけでしんどいことばっかりだって最近思い知ったんです。どうにかなんてならないって知ったんです。こんなやつ雇いたい企業なんてあるわけないし、私なんかどこにも必要じゃないんです。仕事をするならトリマーになりたいけど、技術がないと雇って貰えないから専門学校に行きたいけど、大学に行かせてもらった上にまた専門学校行きたいなんて言ったら絶対ふざけるなって思われるし、親が一生懸命働いて貯めてくれたお金で得た新卒っていうカードをドブに捨てるのかとか、なんで高校生の時夢なんて見ちゃったんだろうとか、もう申し訳無さすぎて生まれて来なければ良かったってすごく思って辛いんです。それに専門学校行ってる間の年金とか、保険料とかどうするんだって話で、無計画にも程があるというかそんなやつにお金払いたいなんて思わないですよね。そもそもトリマーって別に高給取りじゃないどころか、安月給で肉体労働が大変で休みもなくて、別にいいところなんてやりがいしかないのに。怪我もするし。どうせこのトリマーになりたいって言うのも目の前の就活から逃げるためであって、本当に頑張りたいんじゃなくてただの現実逃避で、あと数年後にはまたもういやだとか言うんですきっと。就職出来たとして、仕事が嫌になって辞めたいとか言うんですよきっと。何のためにお金と時間使って専門学校行ったんだよって。それから私、歌とかイラストとかの活動でお金を稼げるようになりたいっていうのが1番の私の夢なんです。本当は1番やりたいことなんです。でも、そんなの絶対無理じゃないですか。世の中にそれがやりたい人がどれだけいるんだって話で、誰もお前なんかに興味ないよって。お前には才能がないって。毎朝起きる度に私には無理だって、お前なんかが出来るわけないだろって頭の中で言われながら目覚めるんです。大体、頑張る度胸も根性も覚悟も無いくせに何を調子に乗ってるんだよって話で。どうせこれも本気じゃなくて今目の前の辛いことから逃げたいだけなんですきっと。そんな叶わないものに時間とお金使ってどうするんだって話で、親がくれた時間を無駄にする気なのかって思うんです。それにもう既に歌のオーディションを受けて合格してて、その費用で祖母に80万円も払わせてるんです。事務所に所属するとかでもなく、サービスを受けるって感じのやつ。でも払った後で気づいたんです。無理だって。そこそこ上手い人を合格させてお金使わせようって事で、私は別に期待なんかされてなかったんですきっと。だって向こうはビジネスしてるんだから。私は親だけじゃなくて祖母にも大金使わせたクズなんです。もう取り返しがつかないのにどうしたらいいんでしょうか。親と祖母が必死に稼いだお金を私は無駄にしたんです。その上またトリマーになりたいからお金欲しいなんて言えない。1度働いてからお金貯めて自分で学費出すのも考えたけど、働きながら学ぶのは能無しの私にはできないし、学ぶのに専念するにしてもその間の生活費とかどうするのって話で。いや、できないとか言ってないでいいからやれよって話なんですけど。社会に出るのも怖い。未来に希望もないのに、つらい仕事してたらおかしくなってしまいそう。社会人の方の話聞くとみんなつらいって言ってる。楽しいことなんてないって。正直今はもうただただ休みたい。何もしたくない。何も考えたくない。大学の間なんてずっと休んでるようなもんなのに。社会人になったらこんなこと言ってられないのに。もう最近は何も楽しめなくて、大好きな推しを見ても、こんなふうになれる訳ないとか、劣等感で苦しいだけでもう見てるのが辛いし、大好きな推しが目標になってから絶望の存在に見えるんです。大好きなのに見てるのが辛いんです。どうしたら純粋に楽しめるんでしょうか。この先の人生ずっとこうなのかなって思うともう本当に死にたくて死にたくてたまらないんです。親にお金返せばいいのかな?せめて大学に使ったお金だけでも。そんなの現実的じゃないですよね。いつまでかかるんだって話で。いや自分を蔑ろにしてでも返せよって話なんですよね。だって親はずっとそうしてきてくれたんだからか。男手ひとつで仕事終わった後も家事育児して、私は手伝いもしないで、余計なことばかりして仕事増やして、どこまで最低なクズなんだ。どうしたら私のこと許してくれるかな。どうしたら親と祖母が自分のしたことが無駄じゃなかったって思ってもらえるのかな。あの二人にはたくさん迷惑かけたから幸せになって欲しいんです。人生謳歌して欲しいんです。でも、私がそれを邪魔してるんです。私がその機会を奪ったんです。一度きりしかない大切な人の大切な人生を私が奪ったんです。もう、頑張るしかないって分かってるのに、体も心も動かない。頑張れないんです。だって頑張ったって意味ないんだから。どうせ無理なんだから。それでも動けよって話なんですけど。結局やりたくないって甘えてるだけなんですよね。世の中舐めてるんですよね。駄々をこねれば誰かが助けてくれると、幼児みたいなこと考えて甘ったれてるんでよね。いままであれしたいこれしたいって話してたけど、結局本当はもう何もしたくないんです。ただこのまま自堕落な生活を続けたいだけなんです。なんでこんなゴミクズみたいな人間になっちゃったんでしょうか。親たちがくれたたくさんの時間とお金を無駄にして、なんて最低なやつなんでしょうか。親はずっと私のために言ってくれてたのに。私は何もしなかった。頑張らなかった。私なんか生まれて来なければ良かったのに。私が1歳のとき、母親が癌で亡くなったんです。赤ちゃんなんていたら生活習慣乱れまくりですよね。私がころしたようなもんですよね。母親は上智大学でてるような秀才で、いい人で人望もある素晴らしい人だったそうなんです。みんな母が大好きだったんです。母が生きていたらみんなもっと幸せだったんじゃないかって、私さえ生まれて来なければみんな幸せだったんじゃないかって思うんです。そんな人間がお金と時間を食い潰してるなんて、本当に寄生虫かなにかの最低なカスなんです。だれも私のこと必要じゃないんです。私はどうしたらいいんですか?死んでも迷惑かけるし、本当は死にたくなんてない。生きていたい。幸せになりたい。もう全て諦めて押し殺して一般人やるしかないんでしょうか。ずっとずっと辛い気持ちのまま押し殺して生きていくしかないんでしょうか?そんな人生必要あるんでしょうか?人の幸せを奪った私は幸せに生きられないんでしょうか?私は今何をしたらいいのでしょうか?

感想1

あなたが自分の将来と今、そして過去についていっぱいいっぱい考えて、自分をたくさん責めながら気持ちを整理している様子がうかがえました。自分自身に真摯に向き合う人柄も伝わってきました。
社会の評価や価値観(例えばSNSの情報なども含めて)があなたの中に刷り込まれていて、それが責める言葉となって、あなたをいっぱい傷つけているような気もします。「できないとか言ってないでいいからやれよって話なんですけど。社会に出るのも怖い。」この一文からそんな印象を受けたんです。
何かを頑張る、前に進もうとする時は自分の中にそれを支える“土台”が必要です。でも心にたくさん傷がついている場合はその土台が不安定でグラグラしてしまいます。チャレンジすることが目の前にくると余計にグラグラして「無理だ…頑張れない」と思うのは自然なことです。心がSOSを出していることをあなたは自分自身で感じとれていると私は感じました。一方でそのSOSを否定している言葉も並んでいました。あなたは逃避しているのではなく、これ以上心の傷を負わないように回避しているように私には思えました。「正直今はもうただただ休みたい。何もしたくない。何も考えたくない。」この言葉を読んで私はホッとしました。でもきっと目の前の焦りもあるんでしょうね…。お父さんやおばあちゃんはあなたをサポートしてくれているんだと思いますが、もしかしたらあなたのしんどさに少し気づいていたりしないでしょうか。読み進めていくと母親さんが生まれて間もなく亡くなっていることがわかって少し驚きました。幼少期からあなたの中でどこか埋められない気持ちがあったのかもしれないですね。頑張りたいけれど頑張れない、頭ではわかっている、なのに動けない…あなたの心は「休もうよ」って教えてくれているんだって、私にはそう思えてならないです。人間の身体は正直なもので、十分に心が休まっていないとスイッチが切れたり、リセットかかるようになっているんだと思うんです。
押し殺してきた気持ちを少しずつ解放していくことがあなたに力をくれるかもしれません。今回こうして投稿することによってあなたの気持ちや考えをここに伝えてくれたことは、自分が自分を助けることにつながっていくように私は感じています。よかったらまたここに立ち寄って気持ちを置きに来てみてくださいね。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。将来を考える時期にあたり、考えれば考えるほど自分に自信がなくなってしまう状態なのかなと感じました。私自身も自分の将来というものを考えたら、何もしていない(と思ってしまう)今の自分に絶望して苦しくなるので、極力考えたくない日々を送っていたりするのですが・・。それでも大学という場所では、強制的に将来について考えさせられ、さらに周囲はやりたいことや行きたい場所が決まっている人がいたりで焦る気持ちばかり募っていたなあ、と自分の経験を重ね思い出しています。

「これ以上親に迷惑をかけられない」と思って大学以降の進路を諦めようとしていた時、「なんで迷惑かけないの?かけられるだけかければいいじゃん」とあっけらかんと言ってくれた人がいました。正直「えーいいの!?」と冗談半分、真面目半分で聞いていましたが、その言葉を受けて以降、「難しかったら断ってもらえばいい、お願いしてみる分にはいいのかな」という思いでいられるようになりました。だから、専門学校に行きたい思いがあるなら、ふざけるなって思われようが、怒られようが、お願いしてみる分にはいいのかなと私は思います。本当に難しかったら次を考えればいい。

歌とイラストも好きなら続けてほしい。「好きなことを本気で続けてたらそれがいつか職業になる」それもまた本当のことだと思います。それで食べていくというのはとても厳しい世界かもしれないけれど、昔よりも随分、歌や絵というものをお金にするのは簡単になっている時代だとも思います。逆も然りでお金にされることも簡単な時代でもあるかもしれません。歌やイラストのオーディションやコンクールから、お金のかかる育成プログラムに誘われることもある話だったりするのかなと思いますが、それでも誘いたいと目が惹かれる才能があなたにあったということなんじゃないかなと私は考えています。

働いてお金を貯めてから学校に行く方法ももちろんあります。働きながら歌を歌ったり、絵を描くことももちろんできます。やらないうちに諦めてしまうのは、やってみたけどできなかったとは違う話なのかなとは思います。今はまだ学生で、やれることが決まっているからこそ考えが先行してしまうこともあるかもしれません。これだけあなたの頭の中が考えることでいっぱいということは、本当はもう身体は外に飛び出したくてうずうずしているということなのかもしれないなという気もしてきました。実際にやってみて「考えること感じること」の双方が今のあなたに必要なのかもしれません。

あなたが元気に、やりたいように生きていられること、そんなことが大切だと私は思っていたい。立派な人になってほしいなんて思わないし、すぐに結果が出たり、有名になれたりすることなんて滅多にありません。成功か失敗かそんな結果なんてどうでもよくて、物事に挑戦するプロセスこそが大切なんだと思います。汗まみれ泥まみれでも、何度転んでも、挑戦するその姿勢で、きっといつかあなたの才能が開花する時があると私は思います。

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