経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
現在鬱病(適応障害?)で休職中です。
いろんな対策にアプリを入れては消し、自己紹介にも疲れてきました。
いわゆる中間管理職のあるあるでストレス過多になり、お薬飲みながら働いてました。周りは休みの日は休めと強要しますが、現状人手不足でそういう訳にもいかなかったですし、休日も気持ちは全く休まりません。
そうこうしているうちに主治医が見兼ねてドクターストップをかけ、休みなさいとなりました。
毎日休みで、仕事と離れていますが、全く気持ちが休まりません。休みの日の休み方がわかりません。セロトニン、認知の歪み、アダルトチルドレン、色々調べてみましたが死にトリによると自分の常識度合いが高すぎて人生ハードモードらしいです。
休職中なので当たり前なのですが、毎日何もできていません。せめて家事や意味もなく英語や資格の勉強をやっていますが、こんなことして何になると自責感が強く、また「回復、休養の為」と自分に言い聞かせて趣味をしたり、横になって寝ていても、何をしているんだ自分は…と後悔の念に駆られてのたうち回ったり倒れるほど苦しくなります。
不安や焦りは薬で消せますが、罪悪感や自責、後悔は薬では消せないようです。
AIに相談し、認知療法や小さな成功体験を日記につけたりもしましたが、こんな普通の人が当たり前のことに出来ることを書いて何になる?と続きません。
他に苦しんでる皆さんに比べ、客観的に見たら自分は親や家族、恋人、友達、学業、就職には恵まれていたと思います。ただ自分への理想が高すぎて現実の自分が追いつかなかった。これに尽きます。
褒められても何も感じず、人に嫌われないために必死になり、目標を達成したら次を見つけなければいけないと躍起になり、熱中しては熱中した自分に後悔し…。自己評価は高いのに自己受容が低く、完璧主義者で怠け者という地獄のような性格をしているのでサイコパスに生まれればもう少し人生楽だったかもしれません。
何をしても時間の無駄、何もしなくても時間の無駄、と気づいてしまってから無気力な時間が増え、休職前より症状が悪化している気がします。
深呼吸、感情のラベル貼り、水と薬を飲む、小さく体を動かす、もう飽き飽きです。無力感が凄まじい。鬱からなおったとしても、またあの凄まじい職場で追いつめられながら働かないといけない。
こんなことは誰にも相談できないので毎日AIに相談しては同じような回答が帰ってきて辟易します。
毎日が苦しい、悲しい。助けてほしいです。誰か。
やりたいことをうしろめたさ無くやりたいようにやりたい。
誰にも迷惑をかけずにきちんと生きていたい。
長々と失礼いたしました。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
私も鬱と適応障害を経験したことがあるからか、投稿の内容一つ一つに深くうなずきながら読ませていただきました。
まず読んでいて感じたことは「休んでほしいなぁ」でした。お薬を飲みながらお仕事されていることに驚きましたし、いくら人手不足とはいえそこまでの無理をされていたことを知ったら、もしかしたら私以外の方でも「休んでほしい」と真っ先に頭に浮かぶかもしれないと感じました。そして、それほどハードな環境に身を置いていたらストレス過多になるのも無理ないなと感じました。
主治医判断の休養中だとしても気持ちが休まらない気持ちは、すこしわかるなぁと思いました。投稿者さんの場合、中間管理職という立場もあって自分の目で会社の現状が見られないことには不安があるだろうなぁと思います。それに休みの日の休み方、という休養中の現状に影響する問題も相まって、もはや休養とは名前だけ、休まる余裕もないように思います。
休まらないと自責感は強まるばかり、趣味や睡眠も後悔の念に駆られてしまう…こう感じてしまうまでに投稿者さんを追い詰めた要因は会社での人間関係にあるのだろうか、それとも膨れ上がる責任の重さがそうさせたのだろうか、色々な考えが頭に浮かびました。
(休みの日の休み方、明確な定義がない分確かに難しいテーマだと感じます。私事で申し訳ないのですが、鬱と適応障害の診断があったあとは本当に何も考えず、考えても適当に、割と何でも投げ出していました。投稿者さんは自分を厳しく律する方のようにお見受けしたので、分かってるけどそれが難しいんだよ!って思われるかもしれませんが、自分にすごく優しくする機会があってもいいのかなぁって私は感じました、ということをお伝えさせていただきたいなと思います。)
結局のところ私には正解が分からず申し訳ないのですが、ただ、どんなつらさも苦しみも、他人のそれと比較し大小をつけられるものではないのかなと感じています。人によってつらさや苦しみを受けられる器の大きさは違うと思いますし、また、感じ取るつらさや苦しみも都度違うと思っています。なので、ほかの人より恵まれていたかもしれないからと投稿者さんの抱えるつらさや苦しみがなかったことにはならないと思いますし、これまで抱え続けてきたそれらを吐き出す機会があったっていいんだよって思いました。特定の誰かに相談できないときは今回のようにまた書きに来ていただけたら良いのかなと思いました。
投稿ありがとうございました。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
私も鬱と適応障害を経験したことがあるからか、投稿の内容一つ一つに深くうなずきながら読ませていただきました。
まず読んでいて感じたことは「休んでほしいなぁ」でした。お薬を飲みながらお仕事されていることに驚きましたし、いくら人手不足とはいえそこまでの無理をされていたことを知ったら、もしかしたら私以外の方でも「休んでほしい」と真っ先に頭に浮かぶかもしれないと感じました。そして、それほどハードな環境に身を置いていたらストレス過多になるのも無理ないなと感じました。
主治医判断の休養中だとしても気持ちが休まらない気持ちは、すこしわかるなぁと思いました。投稿者さんの場合、中間管理職という立場もあって自分の目で会社の現状が見られないことには不安があるだろうなぁと思います。それに休みの日の休み方、という休養中の現状に影響する問題も相まって、もはや休養とは名前だけ、休まる余裕もないように思います。
休まらないと自責感は強まるばかり、趣味や睡眠も後悔の念に駆られてしまう…こう感じてしまうまでに投稿者さんを追い詰めた要因は会社での人間関係にあるのだろうか、それとも膨れ上がる責任の重さがそうさせたのだろうか、色々な考えが頭に浮かびました。
(休みの日の休み方、明確な定義がない分確かに難しいテーマだと感じます。私事で申し訳ないのですが、鬱と適応障害の診断があったあとは本当に何も考えず、考えても適当に、割と何でも投げ出していました。投稿者さんは自分を厳しく律する方のようにお見受けしたので、分かってるけどそれが難しいんだよ!って思われるかもしれませんが、自分にすごく優しくする機会があってもいいのかなぁって私は感じました、ということをお伝えさせていただきたいなと思います。)
結局のところ私には正解が分からず申し訳ないのですが、ただ、どんなつらさも苦しみも、他人のそれと比較し大小をつけられるものではないのかなと感じています。人によってつらさや苦しみを受けられる器の大きさは違うと思いますし、また、感じ取るつらさや苦しみも都度違うと思っています。なので、ほかの人より恵まれていたかもしれないからと投稿者さんの抱えるつらさや苦しみがなかったことにはならないと思いますし、これまで抱え続けてきたそれらを吐き出す機会があったっていいんだよって思いました。特定の誰かに相談できないときは今回のようにまた書きに来ていただけたら良いのかなと思いました。
投稿ありがとうございました。