経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何もかもしんどいです

今年度入社して、初めての慣れない地域で、初めての一人暮らしです。最初は生活リズムも整えるのに必死で、仕事も覚えることが多くて、しんどくなって職場に行くことが憂鬱でした。何とかしたくて先輩社員や上司に相談してお話を聞いて頂き、その時は少し気持ちも落ち着いて再び頑張ろうと思えていました。
しかし、研修も重なったり忙しい日が多くなったり、事務作業も増えたり等、やるべきことが増えてパニックになり、またしんどい気持ちが強くなって、死にたい、消えたいと思うようになりました。精神科にも通うようになり、お話も聞いて頂き、タスクや業務もなんとかこなしてきました。色々こなしていくと、死にたい、消えたい気持ちは減ってきました。しかし、色々こなしたと思ったら、また別に研修や試験が舞い降りて来て、事前の勉強も必要になってきました。しかし、何も進まず、このモヤモヤも誰かに話せるわけでもなく、死んだら消えたら楽になることばかり考えてしまいます。上司や先輩社員に相談しても、自分が期待しすぎてしまうせいで、モヤモヤが晴れないし、死にたいなんて言いたくもないです。何かあったら相談して良いんだよと仰ってくれた先輩社員の方や家族もいますが、相談しないといけないのかなと変にプレッシャーに感じでしまいます。
なんとかなるとも思うことが出来なくて、皆頑張ってるから頑張らなきなきゃと思うのもしんどくて、生きているだけで十分なんて言葉も詭弁で、何もかも捨ててしまいたいです。もうどうしたらいいんでしょうか。死にたくて消えたくてたまりません。自分の本音も感情も分かりません。ただ、しんどいです。
感情がグチャグチャで文脈がバラバラで、本当にごめんなさい。

感想1

投稿文読ませていただき、初めての仕事、生活スタイル、人間関係って生きていく上で避けて通れない事だと思いますが、慣れない、しんどい気持ちになりますよね。自分はある程度の時間仕事をしてますが未だに慣れていない状態です。

仕事も人間関係も慣れたと思ったタイミングで新しく生じることが多く、何故今なのか不思議に思うことが多い世の中。そんな気持ちの中でも社会、会社は頑張る事を強制(目に見えないプレッシャー)するように自分は感じてます。
頑張るって個人差があるし、会社や誰かが決めた、思い描くような期待には応えずらい面が多々だと思います。私は基本的にその時の自分が頑張れるラインを越えないように仕事、生活を心がけてます。

病院、会社の上司、先輩、家族と話ができる環境はあれど、全てを話そうとすることにプレッシャーを感じてしまうのは自分のタイミングを図らせてもらえない状況だからなのかなと自分なりに想像しました。自分なりに今というタイミングが取れた時に気持ちを吐き出せるんじゃないかと勝手ながら思いました。

投稿者さんの本音や感情がどんなものなのか?自分なりに解るために、整理するためにも言葉に出来ないときは文字にしていろいろ吐き出す事を続けてみてはどうでしょう。苦しく大変な事も多いと思いますが、吐き出すことで少しでも心のモヤモヤや不安が薄まるのではと私は思います。

感想2

新しい土地や暮らし、そこでの一人での生活、入社して始まる仕事、そしてそれらを過不足なく同時にこなしていかないといけない負荷がいつしか心の中に堆積していき、つらさや苦しさとなって圧し潰さんとばかりに投稿者さんにのしかかっている光景を文章を読ませていただいて想像していました。

どんなことであれ「新しくスタートを切る」ということはそれ相応のしんどさや大変さがあるかと思いますが、こと仕事とそれに伴った新天地での生活となると別格の難しさがあるように私には思えます。さらにそれは「あくまでも取り組むまでの準備段階」でしかないととられがちですし、実際には並行して構築しなければいけない人間関係やコミュニーケーション、増えることはあっても減ることはない各種タスクの習得など、たとえそれが全員が通過していくもの・ことだとしても、おおよそ「はい、わかりました」の一言で誰もがこなしていけるものではないように私には感じられます。

そこには当然個々人の向き不向きや練度の差やキャパのバラツキなど、単純な業務量や時間などでは語られない多くのものが介在しているように思いますが、往々にして「会社に入ったのだから」と降りしきる雨に身体を打たれるがごとく、タスクの雨に曝されることが今の社会では圧倒的に多いように思えます。

そういった中では気持ちの安定を保つことや、多少の慣れに伴って何となくの自分のペースや裁量を見つけていくことは困難な気がしますし、投稿者さんのように心身に変調をきたして「死にたい」「消えたい」という気持ちを抱えるようになるのも当然な気がしました。

ただ、こなせばこなすほど、何とかすればするほど降りかかってくる、折り重なるしんどさがある中で、それでもなお投稿者さんが(不調の中でも)続けていることは容易なことではないと思えますし、誰にでもできることではない真摯さや実直さを伴ったものでもあるのかなと思わず伝えたくなった私がいます。それは、(たとえ相談することに難しさや抵抗があるにしても)「何かあったら相談して良いんだよ」と声をかけられたように、投稿者さんが自分なりになんとかついていこうとしている、こなそうとしている姿勢が伝わっているからこその人徳とも言える気がしました。

どんどん飛び込んでくるタスクや研修や業務などの目に見える苦しさと、そのつらさを聞いてもらいたい、相談したいという気持ちに伴う、声にしていいのかという目に見えない苦しさがある中で自分のペースや慣れを掴んでいくにはもしかしたら多少の時間を要するのかもしれません。ですが、いろいろな苦しさがないまぜになっている現状で、もはや本音も感情もわからないという状況がずっと続くというのもやはりつらさがあると思うので、全てを一度にとはいかなくても、自分の気持ちや考えを整理するために話せる人に話せる範囲だけでも伝えるなどして、今の投稿者さんの自身のわからなくなっている部分を見つめなおせる機会や時間があってほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

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