経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれたことが間違いだった

私は幼い頃から大人に気を使ってばかりいるような人間だった。
物心着く前に両親は離婚。母親が姉と私のふたりを育ててくれた。記憶は無いが父親は子供を殴ったり、母の財布から金を抜き取りパチンコに使うような人だったらしい。まだ保育園児だった私に、母は何度もその話をした。それだけで、私は父親に愛されなかったと理解した。せめて母には愛されたいと、子供ながらに家事を手伝い、保育園でも小学校でも良い子できるように心がけた。
最初は母も先生も沢山褒めてくれた。それでも子供だから完璧にはできない。
私は少食でご飯を食べるのがどうしても遅かった。それに腹を立てた母に殴られた記憶がある。暗い廊下で殴られながらご飯を口に詰め込んだ。母はそんなことしていないと言う。
4歳くらいの頃、母が彼氏を家に連れてくるようになった。その人もまた、怒ると子供でも殴る人だった。そんな人と母が仲良くしているのを見て、母は自分よりも大切な人がいるんだと理解した。そんな幼少期だった。

中学生になり、より精神が不安定になった。テストの成績だけ褒めてくれる母。クラスに馴染めない子の面倒見役を押し付ける先生。
その頃、母親に新しい彼氏が出来た。週末の夜、私と姉にコンビニ弁当を置いて彼氏の家に泊まりに行っていた。しばらくしたらその彼氏も家に連れてくるようになった。私にとって他人の成人男性が同じ家で食卓を囲み、くつろいでいることが不快だった。
学校にも家にも居場所がないような気がして、死にたくなった。死ぬ勇気はないから自傷行為に走った。手首の傷を見て、母は笑った。「そんなとこに傷なんか付けて」と。
この時、母からの愛は諦めた。母自身は重苦しい雰囲気にしないように言ったのかもしれない。でも思春期の心を折るには十分だった。
時が経ち高校生になった。高校は楽しかったが不安定な精神は治らず、少しの間学校を休んだことがある。その時ほんの少しの望みにかけて、母に死にたいと打ち明けた。母は泣いた。やっと私の気持ちに寄り添ってくれたのかと思ったが、違った。「お前にどんだけ金かけて育ててやったと思ってるんだ。死にたいって言えば他の子とは違うと思ってるみたいだけど、お前くらいの歳の子は皆そう言うんだよ」
絶望だった。今この場で死んでやろうと思った。
金がないなら産むなとは言わない。それでも金がないのに育ててやったと子供に言ってしまうくらいなら産まないでくれ。生まれたくなかった。親にも愛されない命なんか、自分で大切にできるわけがない。生まれたくなかった。

感想1

淡々と語られているように見えて、その実、親に対して溜まりにたまった悲しみや怒りが漏れ出ているような文章だと感じました。本当に勝手な脳内イメージですが、「全部ふざけんな」と突きつけたくなっているような、そんな強い感情さえ渦巻いているような気がしました。それぞれのエピソードから、投稿者さんが幼いころからずっと親の感情や行動に振り回され、その中で必死に適応し、できるだけ自分を見てもらえるようにと奮闘してきた様子が伝わってきた(ように感じた)からかもしれません。文中には取り立てて「つらい」などの言葉は使われていませんでしたが、幼い投稿者さんの心が深く傷つき、絶望を何度も自分でつなぎ止めてきたからこそ、さまざまな場面やその当時の感情が鮮明に記憶に残っているのではないかなと想像しました。この経験談を書きながら、当時を思い返している投稿者さんがどんな思いでいるのか、わからないけれど、出来る限り受け止めたい気持ちです。

投稿者さんの感じてきたこと、それを表現する言葉たち(「~だと理解した」「不快だった」など)は第三者ながらにとても的確に感じられました。実際の感情との一致度は私には言及する余地がないですが、子どもが大人(親)からそういうことをされたら、そう思ってしまうよな、という点でとても納得感がある表現でした。投稿者さんの感性は投稿者さんのものなので、母親さんが言ったような言葉で一般化されていいものではないと私は思いますが、同時に投稿者さんの感じたことはその場面においてはとても自然で、だからこそ周囲の大人が子どもにそう感じさせないような関わりをすべきだとも強く思いました。大人と自分とのバランスや、大人が何を思っているかに気づくよりもはるか前に、投稿者さんの素直なこころが守られる環境が整うべきだったと思います。
投稿者さんの「生まれたくなかった」という言葉は、親と、そして社会に向けられたことばのように(勝手にですが)捉えています。自分で選んでいない理不尽を自分で引き受け続ける苦しみがどういうものかということが、読み終えた後も私の中でじわじわと広がっています。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

投稿いただき、ありがとうございました。なんて大人は意地悪で生き難いんだろうと、大人の一人として謝りたい気持ちとなりました。ただ頷いてくれたり、ごめんと言ったり、辛かったねと共感してくれたり受け止める言葉で十分なのに、何か言わなきゃとか言ってやんなきゃと言葉を付け加えてしまったことが残念で悲しく思いました。母親の涙の理由はあなたには関係無く、傷つききっているあなたを想像し胸が締め付けられる思いです。

子ども時代は不自由だと、自分自身の家族関係を振り返ってもずっと感じてきました。子どもということで、選択肢がほぼ無く一番身近な親を頼りにするしかありません。良い父親とか良い母親とか、よくわからないけれど目の前にいる人たちが喜んでくれたり自分が嫌な思いをしないように、なんとかできる範囲の振る舞いをする、子どもにとってそれしかなかったというのが本音です。あなたも家族を守ろうと、母親の心を守ろうとあなたができることを懸命にやってきたと思います。そんな子どもの気持ちにはおかまいなく、親は自分自身のことばかりに囚われ、親としての役割を担おうとしないこともあるように思います。何より優先順位は子どもという親が多いですが、そうでは無い親もいるのも事実です。私自身の父親は、子どもを優先する母親を憎み私達子どもを虐げ自分が一番でいたいという人でした。

「親にも愛されない命なんか、自分で大切にできるわけがない。」涙が出る思いです。あの時の辛さも、その時の嫌だった気持ちもチャラにはできません。すごく傷つき悲しかったと思います。愛されなければならないという呪縛は多くの人が持っています。そして愛されていない自分は価値が無いと思うことも同じくです。求める愛が手に入らない辛さを共に嘆きつつも、ここまで傷つきながらもやってきたあなたを否定したくないと背中をさするような気持ちでいっぱいになりました。

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