学生時代は部活動に励み、周りに友人もいて素敵な親友にも出会えて楽しい日々であった。
しかし、社会人になってからは、生きる事がとてもしんどい。僕は、新卒で銀行員になった。最初の頃から会社の人と人とうまくコミュニケーション取れないなと感じていた。みんな楽しく雑談していて、羨ましかった。だから、色々本を読んだりしてそうなってみたいと思って勉強もした。しかし、職場になると周りの目が気になったり話すと汗が止まらなかったりしていて、不安や緊張が強く話せなかった。それでも、挨拶と仕事は真面目にすると決めいつか認めてもらえる為に必死に努力した。それと同時に自分は、発達障害じゃないかと考えるようになり自己嫌悪に陥った。みんな普通にしてる事が自分には出来ないと感じた。
ある日、職場の人があの子は一言も話さないし、病気じゃないかという会話を聞いてしまった。人のミスを自分の責任させたり、自分の事を浪人生みたいと馬鹿にしたり、と色々な仕打ちを受けた。なんか心がその瞬間壊れた感じがした。自分でも必死にもがいてなんとか頑張っていたのに、これが大人なんだと感じた。人には得意な事、不得意な事があると思う。その差をお互い補いあって助けていけばいいと思う。
しかし、大人は社会人としてこうあるべきなどと普通である事を求める。
3ヶ月休職して、仕事を辞めた。この出来事をさかえに人を信じる事も仲良くなろうとも思わなくなった。今までは、人は優しいものであると思っていた。そのイメージがなくなった。そして、自己肯定感も下がり常におどおどするようになった。
今は新しい職場に働いて3年目になった。しかし、職場では孤独感と劣等感を常に抱えて働いている。今もずっと人と話す事が苦手で、仕事の休み時間には社交不安症克服などと調べながらギリギリのところで働いてる。親も家族も友人も、自分の事を知ってる人がいなければ仕事を辞めたいと思っている。この不条理で残酷な社会の中でこれからもこんな自分と向き合って生きなければならない。本当に辛い。もう少し、会社という組織の中で働く事がストレスをもう少しだけでも感じなければと思う。
悩んで、悩んで、答えはずっと見つからない。けど、雑談は苦手でぶっきらぼうだけど仕事と挨拶はしっかりする自分をいつか認める事が出来たらと思う。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きることがしんどい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。学生時代の充実した記憶と社会人になってからの孤独感との落差の大きさがあなたを苦しめていることの一つであるということが伝わってきました。部活動や親友との関係があった日々と比べ、銀行員として働き始めたときに感じたうまく溶け込めないような感覚は、あなたの心に刻まれてしまったように私は思います。周囲の人が自然にしている雑談や関わり合いが、あなたにとっては大きな壁として立ちはだかっているのだと感じますし、その時に感じる緊張感や、周囲の視線などは、もしかしたら外から見るとそんなことでと思われているのじゃないかという感覚もあったりするのかなと想像しながら、あなたからすれば毎日を覆い尽くすほどのものだったと私は思いました。
努力して学び、挨拶と仕事に真剣に取り組み続けたにもかかわらず、軽んじられたり、心ない言葉を向けられたりした経験も、きっと“壊れる”という感覚を伴ったのではないかと想像します。人は優しいものだと信じていた世界が、一気に冷たく裏返ったように感じられたその時から、人を信じる気持ちが萎えていったのは当然のことだと私は思います。社会人という言葉に押し込められた「こうあるべき」という圧力が、あなたにとってどれだけ息苦しいものだったか…と考えてしまいました。
この社会は“協力し合う”ことを理想に掲げながら、実際には「普通」を基準に人を測って、そこから外れる人を排除する傾向が強いなと私は感じます。職場という場は特に、その矛盾を強く抱えている場所かもしれないなと。(もちろんそうではない職場もあるとは思いますが…)不得意なことを補い合うよりも、「できて当たり前」で裁かれてしまう…その構造が、あなたのように苦しさをさらに深めてしまう人も少なくないよなとそういう社会の在り方に改めて異を唱えたい気持ちになりました。
それでも新しい職場で3年続けてきたという事実には、あなたの中にある紛れもない強さを感じられました。孤独感や劣等感を抱えながらも、仕事と挨拶を大切にしてきた自分の姿勢をいつか認めたいと言葉にした部分は、あなたが自分を真っ直ぐに見つめ続けている証拠のように思えました。雑談や人付き合いが苦手であっても、仕事に真面目に向き合うことの価値は確かにあるし、それを評価する視点が社会にもっと広がってほしいとも感じます。
「答えはずっと見つからない」とありましたが、今いる環境が全てというわけでは決してないですし、あなたが無理なくいられる職場(環境)があるはずだと思います。環境を変えることは簡単なことではないし、勇気のいることだとは思うのですが、これ以上自分を押し殺してまで犠牲を払ってまで今のところに居続ける必要はないと思うということを勝手ではあるのですが、お伝えしたい気持ちになりました。こうして心の内を言葉にすることがあなたにとって何か役に立つようであれば、またいつでも死にトリを訪れてほしいです。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
学生時代に思い描いていた「大人」の像と社会に出て実際に目にした「大人」のギャップに悩まされる気持ちに、思わず深く頷きました。そこら辺を歩いているとよく目にする社服らしきものを着ている大人たちを見て、さぞ楽しくお仕事されているんだろうな、と学生時代は心を躍らせて、社会人という言葉の響きに目のキラキラさせながら生活していたことを思い出しました。そして、ひょっとしたら投稿者さんも似たようなことを想いながら学生されていたのかなぁと勝手に想像しながら読ませていただきました。
社会人になり、浮かび上がった自身の悩みに立ち向かう投稿者さんの姿が投稿から伝わってきました。だからこそ、面と向かって悩みと向き合うたびにまた新たな悩みが湧き上がってくるという状況は、投稿者さんにとってつらいことだったのだろうとも感じます。
「みんな普通にしてることが自分にはできない」呪縛のように心に住みついているかもしれないこの言葉、私もそう感じることが度々あります。つらくなるほど、苦しくなるほどこの言葉が大きく顔を出して主張してくるように感じます。だけど、投稿者さんの言う通り、人には得意不得意があると思いますし、それがたまたまほかの人と違うものだったということなのかなぁと、すこしなぁなぁかもしれませんが、実はこれくらいに思ってたほうが楽なのかな?と思っている私がいます。
また、そもそも普通ってなんだ?とも思います。社会人としてこうあるべきだ、とかそういうものが「普通」とされているなら、少しばかり違和感を感じずにはいられません。たまに、同じ上司という立場でも違うこと言ってたりする(無かったらすみません…)のは、それぞれが考えを持っていて、それが当人の中で「普通になっていった」ものだと思います。それぞれが普通を持っているけれど、それらの普通はみんな違うもの、というか…普通ってすごく難しい言葉だなぁと痛感してしまったところでした…。
会社で働く中で生まれるストレスが減ってほしいという願いにはとても共感しました。私自身ストレスを抱えやすい性格だというのもありますが、投稿者さん含め他にも多くの方が会社でのストレスに悩んでいるのではないかと想像したのが一番の理由です。投稿者さんと会社でのストレスに悩む人々が無理なく作業に取り組める、そんな環境に少しでも近づいたらいいなと心から思います。
また、挨拶は「することが当たり前」と軽視されがちな気がしている私ですが、「実は一番に大事な言葉なんじゃないか」とも私は感じているので、その一言も大事にされている投稿者さんの姿に周りの人にも気づいてもらえたらいいなぁ、と切に願っています。
投稿ありがとうございました。