経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ADHDの診断を受けてから、よりしんどくなった話

私は物心付いた時から、空気が読めず虐められたり、毎日忘れ物をして叱られたり、周りにからは浮いてる「ちょっと変わった子」として過ごしてきました。一度、母親に発達障害の検査を受けたいと相談したことがありましたが、「親だから断言できる。120%発達障害ではなく、あなたの努力不足。」と受診を許して貰えませんでした。今から思うと、世間体を気にしたり非常に厳しい母親でしたので、自分の子が精神科に行くのはプライドが許さなかったのでしょう。「年下の妹は出来ているのだから、もっとちゃんとしなさい」と毎日叱られて育ちました。
ただごく少数私のことを「天然で面白いね」と受け入れてくれる友達がいたこと、元々の性格が能天気で嫌なことも寝たら忘れることもあり、学生時代は深刻に悩むことはありませんでした。
状況が変わったのは、大学卒業後に一般企業の営業として就職してからです。何度確認しても事務作業のケアレスミスが後をたたず、スピードも遅い、段取りも出来ないため納期に間に合わないことは日常茶飯事でした。もちろん叱られるのですが、反面お客さんと仲良くなる愛嬌はピカイチと評価して貰え、「短所は1年目のうちに直し、長所は伸ばしていこう」と励まして貰えました。他人から認めて貰えたのは初めての経験だったので、とても嬉しくもっと頑張りたいと思ったのを覚えています。当時は短所は自分の努力不足によるものと信じていたので、毎日必死に取り組みました。
ただ2,3年目になっても状況は全く改善されず、後輩に追い抜かれるようになり周囲からも徐々に見放されるようになってきました。
そこで、私は努力不足ではなく発達障害なのではと改めて考えるようになりました。初めは診断されても障害が治るわけではないので無意味と考えていましたが、投薬治療で状況が改善できると知り、1人で精神科を受診しました。結果は重度のADHDとASDの併発でした。ネットの体験談では「診断が出て普段の失敗は自分のせいじゃなくて、障害のせいだと分かり安心した」という意見が多いですが、私は主治医に「ここまで程度が重いとあなた自身の努力では到底改善できないですよ」と言われ正直ショックでした。「努力していれば周りと同じように仕事は出来るようになる」と自己暗示をかけるうちに、日々頑張る心の支えになっていたからです。ただ薬を飲めば改善出来ると気持ちを入れ替え、治療を開始しました。職場では上司のみカミングアウトしましたが、周囲と同じ給料を貰っているので障害を言い訳にはしません、特別扱いはしなくていい間違っていることは指摘して下さいとお願いし、会社は続けました。当時は未だ人間関係も良く、仕事も楽しかったので何とかこの職場にしがみ付きたいという思いがあったからです。
その後2年間かけて試せる薬は全て試しましたが、どの薬も体質が合わず効果を得られませんでした。
今年最後の薬を試しても効かず、毎日後輩の前で上司から怒鳴られる中で突然心が折れてしまいました。叱られると、「すみません、もっと頑張って改善します」と反射的に返してしまうのですが、食事は喉を通らず毎日朝は涙が出るようになってしまいました。
このままでは心身ともに壊れてしまうので近々退職を考えていますが、転職先で上手くやっていける自信もなく、この先の人生設計は白紙です。心が折れたのは環境に不満があるのではなく、あらゆる手を尽くしても状況は改善出来ないんだと分かり、自分自身の限界値が見えてしまったからです。
状況を良くしたい一心で診断を受けましたが、いざ診断が出てからは心の支えが無くなったようで逆にしんどくなってしまいました。

感想1

投稿ありがとうございます。私もADHDの診断を受けている30代なので、自分の人生について考えつつ、経験談を読ませてもらいました。重なる部分も多く感じたため、ついつい自分語りをしまくりで、長くなってしまいすみません。
私も学生時代には診断はされていなくて、自分自身に「努力がたりないから」「甘えている」みたいな呪いをかけることで、困りごとをなんとかしようとしてきました。そして私の場合は、学生時代からそこそこ病んでいたのはあるのですが、友達に助けられて卒業して、やはり就職してから本当にうまくいかず、無理なことばかりで休職や退職を繰り返してきました。自分は足を引っ張ってばかりだと感じることも多かったです。そんなことを思い出すと、あなたの「努力していれば周りと同じように仕事は出来るようになる」という自己暗示は、そうやって思考を追い込むことで、力をなんとか出すやり方だったのかなぁと想像しています。それはある意味では自分に常に緊張を強いる形以外では、対処する方法が見つからない中で、なんとか自分なりに編み出した方法だったのかなぁと思います。(勝手な感想ですが)すごくわかる感覚だなぁと思いました。
ただ、それは今思えば、自己責任論を家庭や学校やメディアや社会の中で、たくさん押し付けられてきたからだと思うし、ほんとうは努力がどうこうではなく、あなたが悪いわけではないと、私は思いました。自己責任論は、世の中で優位な立場にある人に都合のいい論理でしかない、加害性の強い論理だと個人的には感じています。
「能天気で嫌なことも寝たら忘れる」というあなたを(私も基本は能天気なタイプなので、これも共感する表現でした)こんなにも追い詰める世の中の価値観には、本当に大きな問題があると改めて感じています。

私は10年ちょっとで10以上の職歴……というか休職、退職、無職歴があり、毎回死にたくなったり死のうとしたりしながら生きてきましたが、その中で最近ようやく、自分にとってやりやすい仕事とやりにくい仕事や、同じ仕事のなかでもこういうタイミングならやりやすいけど、こういうタイミングだとむずかしい、この作業でこのくらい疲れる……とかがわかってきた部分がある気がします。それはADHDだという診断そのものではわからなかったけれど、ADHDという特性や、能力のばらつきなどと、自分の経験を照らしあわせる中で、すこしずつわかってきたことかなと思います。

個人的には、すぐ転職を考えなくてもいいから、休んで!と言いたい気持ちになっています。でも、休むことも不安だろうし、これまでなんとか周りに合わせようとやってきたのかなと想像すると、それから外れるようで怖い気持ちもあるのかなぁと思いました。
本当は働くといってもさまざな働き方があるけれど、世の中ではそのモデルがとても少ないと思います。

いまは私はいわゆるフルタイム正社員みたいな仕事はしていなくて、10年先のこととかはまったくわからないですが、とりあえずは生きています。自立支援医療や障害者控除などで、お金がすこしかからずに済んだりもします。
仕事は人生のすべてではないし、しなくてもいいはずのものだと個人的には思っています。それよりもまず、あなたの生活の中で、あなたにとって落ち着ける時間の過ごし方や、不安やしんどさからすこし離れていられる空間などがあったらいいなぁと思っています。あなたの仕事以外の生活のことや、あなたの学生時代のこと、あなたの興味など、なんだかもっと聞いてみたくなりました。

感想2

読み終えて「なるほど、そういう展開があるのか…」と考え込みながら、診断を受けてから、よりしんどくなった背景をより理解しようと、じっくりと考えています。あなたも書いていましたが、私の周りには診断を受けて自分のことがわかってホッとした、すっきりした、嬉しかったという人がわりといます。診断を受けて、ショックを受ける人もたくさんいますが、あなたのように自分の努力不足ではなく発達障がいの影響ではないかと考えて診断を受けた場合は少なからず安心することが想定されましたが、そうではなかったとのことで、何がそこにはあるのか私は思いを巡らせています。キーワードはあなたの言葉を借りると「状況をよくしたい」ということなのだろうと思います。あなたがイメージした状況がよくなる形はおそらくあなた自身がずっと悩んできた弱点が改善することなのだろうと思います。具体的にはケアレスミスが少なくなる、スピード感をもって計画的に仕事をこなし、納期も守れるように仕事ができることなのだろうと思います。人間関係も良好で、仕事の内容としてもやりがいのあった仕事を問題なくやれるようになりたいと願う気持ちは当然のことだろうと感じます。ただ、一方で第三者的な立場から見ると、努力不足ではなく特性の影響で苦手だったと分かったことは確かで、そうであれば、職場でその特性への理解を得て、苦手を周囲からカバーしてもらい、逆に他の人の苦手をあなたがカバーすることもありつつ、持ち味を出し合うことが可能なのではないかと思いました。
そう考えると、あなたが診断を受けてから職場で伝えた「周囲と同じ給料を貰っているので障害を言い訳にはしません、特別扱いはしなくていい間違っていることは指摘して下さい」というシーンがクローズアップされました。そして、平等とは何か?特別扱いとは何だろう?と考えています。みんなと同じように扱うのが平等なのか、いや違うだろうと思う私がいます。同じ給料をもらっているからこそ、その人がベストなパフォーマンスを出せるようなそれぞれに合った環境を提供する方が会社としてはいいのではないかと思いましたし、あなたに限らず他の人たちも得意不得意を補う工夫も必要なのではないかと思いました。そして、同じ給料をもらっていることで後ろめたい気持ちがあるのなら、例えば少し給料を少なくすることで解消はできないものなのかとも考えました。そのようにあれこれ考えていくと、働く場はどうしてこんなに画一的にみんな同じことができることが望ましいという前提で作られているのだろうか?と疑問に感じています。あなたは発達障がいだから働くことが難しいのではなく、そもそも働く場が求めている当たり前があまりにも画一的なことが大きな要因としてあると私は改めて感じます。例えば「周囲と同じ給料を貰っているので、障害でパフォーマンスが落ちるのは申し訳ないです。私のパフォーマンスが発揮できる働き方や工夫を無理のない範囲で一緒に考えてもらえませんか?もしも、工夫が難しければ少しプレッシャーを減らし、周囲との調和を保つためにも少し待遇を柔軟に見直してもらうことはできますか」といった交渉ができるのならどうなのだろうかと職場の在り方について一人あれこれと考えています。
発達障害は国際的には神経発達症という表現に変わりつつあることを聞きました。ニューロダイバーシティという言葉も聞くようになりました。発達の凸凹や特殊性がイコール障害なのではないと思いつつ、実際にはこの社会で生きるうえで高い壁や深い谷のように当事者の前に立ちはだかることがあるように感じています。それは、当事者だけの課題ではなく、私たち全員がどんな社会にしたい、すべきなのかという大きな問いを与えられていると思っています。あなたのしんどさはあなただけのことではないので、一緒に考えたいと私は思いました。

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