経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親の病気、自分の難病、そして生活保護

お恥ずかしながら生活保護を受給しております。繊維筋痛症という全身痛と微熱、疲労困憊、蕁麻疹、腹痛が毎日続く病気です。他にも症状がありますが……見た目に現れないので仮病扱いされるのが多い病気です。
私の家系は早死にが多く、祖父母は私が生まれる前に亡くなりました。そして母が、私を出産し体を悪くしたことが父と姉の逆鱗に触れ物心ついた時には毎日暴言を吐かれておりました。でも母のケアと父のモラハラに耐えてヤングケアラーをしてきたのです。父はおそらく発達でした、数字は強いのにコンビニATMは使えなかったり書類は書けなかったり日常生活が全くできずちぐはぐでした。勿論、母の看病もできない。なのでこんな私でも必要だったのです。
アラサーのころ。感染症から上記の病を発症し三年半寝込みました……その間もなんとか起きて父母の世話をし寝て。でも以前のように動けなくなり、両親は私に罵詈雑言を浴びせてきたのです。あえなく生活保護となり、今度は病院での不運が続きました。私は医者から不同意性交を受けそうになったり(生理で助かったのです)別の病院ではブロック注射ミスで脚を悪くされてしまいました……外では杖がないと歩けません。走ることももう不可能です。医者は大笑いしてました、生活保護だからザマァとか言って………良くなって働きたいんですと切にお願いしたのですが…恐ろしく病院に行けなくなってしまいました。世間様からすれば「保護のくせに生意気」と取られるかもしれませんが、病院がまともにみてくれない…だけど体は痛くて痛くて毎日涙が出てくる。そして、父が4月に亡くなると母には「あんたが殺した」と。愛猫たちが亡くなった時も同じことを言われました。そして今日、母は体調が悪くイライラが酷くて「昔あんたが幼稚園児ぐらいの時に親戚に言われたよ。あんたみたいなのは手放せ、施設に入れろ。あんなのはだめだ、死んだ方が良い」てさ!」
だれ?と聞けば「誰でもいいでしょ!どうせあんた死ぬんだから」と。母の「タバコ買ってこい!」とテレビリモコンで殴られても耐えてきたのに。真冬にコップの水をかけられたり、行き遅れと馬鹿にされても我慢してきたのがプツリと切れてしまった。

もうだめだな、と思いまして……生活保護でいいなとよくネットで書かれてますがよくはありません。好きな物食べられていいな、なんて書かれていたけどそんなことないんです。カップ麺食っとけとも書かれてたけれど食べて三十分後から五日ほど下痢が続きますので、本当に無理なんです。過敏性腸症候群と機能性ディスペプシアというのもあって一日一食の納豆ご飯とお味噌汁が無事な食べ物なんです。それでも突然嘔吐したり、自分の体なのにコントロールが効かない……管理してるつもりでも突然の胃腸炎が始まる。それでも働かずに生かしてもらえるのは、幸せなことかもしれませんが……でももう無理なようです。生まれた時から爪弾き者は、最期までそのようです。何が言いたいのかまとまりがありませんね、すみません。もしうまれかわれるなら、両親も私も健康な祖父母も元気だというよく見る家庭に生まれたい。母の病気で友人と旅行にも行くことができなかった、次があるなら旅行にも行きたい。健康に元気に生まれたい。

感想1

冒頭に「お恥ずかしながら」と書かれていて、胸が痛みました。生活保護は私たちが権利を保障するためにあるセーフティネットであり、恥ずかしいものではないと私は思っています。しかし、現実的には受けている人が後ろめたい気持ちになるような情報がまなざしがあることも痛感しています。自分自身もいつ何があるかわからないので、収入を得ることができなくなったら生活保護があるとお守りのように感じ、誰も他人事ではないと思うのですが、何故かバッシングやあったり、誤解されるような情報が目立つことに歯がゆい思いがします。
あなたは本来であればケアをされるべき子ども時代に家族のケアを担い、暴力や暴言に晒されながらも何とか生き抜いてきて、心身にかかる負担やダメージははかりしれないと感じています。私も何人か線維筋痛症を患っている人に会ったことがあります。その誰もが幼少期から過酷な経験を積み重ねていて、そのうえで激しい痛みを抱えながら生きていました。同じ病気であってもそれぞれの苦しみやつらさがあると思いますが、あなたの経験談を読み、これまで実際に聞いたことのある人たちのことを思い出し、静かに敬意の気持ちを抱いています。
また、医療を受けることで経験した度重なる出来事は、あなた自身「不運」という表現をしているものの、不運では片づけられない理不尽な出来事だと私は感じました。そして、そうした出来事もどこか静かに受け入れている様子が伝わってきて、そうして受け入れることがあなたの生存戦略であるようにも思えます。ただただ、どこかであなたの苦しみに気づき、サポートする存在が現れてほしかったと願う気持ちと、そうした苦悩に耐え忍ぶ日々を知らず、安易に生活保護を受けている人へ心無い言葉を発する人たちがいることになんともやるせない気持ちが渦巻きます。
最後の「もし、うまれかわるなら」との願いから、あなたの中にある生きていたい気持ちを感じました。生活保護をはじめとした権利保障の仕組みが正しく理解されること、そして、家庭の中で暴力に耐えている子どもが助けを求める手立てがいきわたること、また家庭の都合で縛られる人がいたとしても、逃れたいと思ったときにそこから逃れられる道があることの必要性をあなたの経験談から痛感しました。
また、心の内を語りたいときにはいつでも訪れてください。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
あなたはもっと怒っていいんじゃないかと、勝手ながらそんな思いが湧き上がってきてしまいました。もしかすると私が怒りたいのかもしれないとふりかえりながら、あなたの中では怒りの感情などとうに超えて、徒労感でいっぱいなのかなとも考えています。
淡々と綴られたこれまでの経緯に、こちらも身を切るような痛みを覚えながら読ませていただきました。

幼い頃から家族に暴言を吐かれる日々は、心に深いダメージを負う経験になってしまったのではないかと感じています。つらくても逃げ場のない状況をただただ耐え凌ぐには、不本意ながらも家族のケア役を背負うことでどうにか生き延びてきたのでしょうか。
線維筋痛症を発症してからは、慢性的な体調不良に悩まされ、日常生活にも支障をきたす状態だと想像しています。調子が悪いときは起き上がることさえもつらいと思うのですが、それでも家族のケアを迫られていた状況には、胸が詰まるような思いでした。
その後も、「不運」と片付けてしまうにはあまりにもやるせない出来事が重なってしまったことを感じています。どれ一つとっても、あなたが責められるような理由は何一つないのに・・と、思わず悔しい気持ちになってしまいました。

私自身は、生活保護を利用することはすべての人がもつ権利だと考えていて、自分の力だけではどうにもならない状況や、社会情勢の変化などによって、誰でも困窮し得る可能性があると思っています。
生活保護を利用するに至るまでの背景はさまざまなのに、個人の努力不足といった「自己責任論」ばかりを強調するような意見には、大きな疑問を感じてしまいます。
また、生活実態の誤解に対して「そんなことないんです」と書かれていた通り、生活保護に対する誤ったイメージが広まっていることも、恥の感情や罪悪感が内面化され、さらに自己否定に苛まれてしまうことを感じています。

あなたは十分過ぎるほど、家族やご自身の体調と向き合ってきたと私は思います。「プツリと切れてしまった」と書かれていましたが、そうなるのも無理のない環境に身を置き、苦しい状況を耐え凌いできたことを感じています。
思い出すのもつらい経験とともに心身の不調を抱えながらの生活は、ときに果てしない絶望と隣り合わせかもしれないと考えています。簡単に消化できることではないとも思いますが、またよかったらお話を聞かせてほしいなと思っています。

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