昔から内気な方だった。
学校では明るいキャラを演じていたから周りには面白がって人が居てくれた。
田舎でこのまま生きていたくなくて、進学の時に街を出た。
内気な自分を捨てて、ほんとに明るい自分になれると思っていたけど人はそんな簡単には変われないことを思い知った。
自分の能力、努力不足を叩き付けられた。
楽な方に流され続けた結果がいまなんだと思う。
頑張れなかった。会社に入って頑張ることを強要される今の環境になって本当に思い知った。
勇気を出してデートに誘って、交際して結婚もした。でも愛情を伝え続ける事も頑張れなかった。どんなに気持ちがあっても「愛してるよ」って恥ずかしくて言えなかった。
とても優しくて楽しい妻だった。けど離れていってしまった。
きっともう、結婚はしないと思う。人の人生を壊してしまった自分にそんな資格はないから。
自分なりに頑張ったと思う。でもこの社会ではまともな人間として生きるにはもっと頑張らないといけなかった。
気付けば地元を離れて人生の半分を県外で過ごしてしまった。
仕事もある、収入もある。
でもどうしてもやっていけない人っていると思う。
もう十分生きた。
こんな奴が社会の色々なものを消費しているのを申し訳なく思う。
今はただ、この世から居なくなれる機会を心待ちにしながら明日からも明るい自分を演じていかないといけない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
もう十分生きた
感想2
私も実際は内気だけど明るいキャラを演じてしまっていた時があったのでつい共感したのと、私の場合、演じていた理由があるのですが、あなたは何かあったりするだろうか…と考えています。また、変わりたい・変わりたかった気持ちも強くあったことが伝わった気がします。でも、周りと比較してしまったり、力不足を痛感してしまうような出来事があったり、「頑張れなかった」という部分からは、過去の自分の行動を責めている・後悔していることを感じ、どんな背景があるんだろうかと想像しています。『そういえばこんな人生だった』と振り返っている様子を感じてるのですが、今の職場環境にいる自分に対し、ふと客観視した瞬間があったのだろうか…とも想像しました。
愛情の伝え方など、感情の伝え方は、声に出す言葉での方法・行動(態度)・文章…など、きっとほかにも色々あるかもしれないと私は思います。あなたは言葉で伝えたい気持ちがあって、でも上手くできなくて、もしかしたら常日頃から愛情表現に関わらず、ほかのことも含め、"うまく伝えられないもどかしさ"みたいなものを感じながら過ごしていたんじゃないかと思いました。
勝手ながら少し安心したのは、「自分なりに頑張ったと思う」とあなたが自分のことを認められている部分が(少しだとしても)あることでした。書き込んでいる過程でそうやって思えたのかもしれないなぁと考えつつ、でもつらい中でも、「自分は頑張った」と、どうにか思うことで、なんとか心を保っていた部分もあったりしたのかな…とも考えました。
社会からの縛り付けや今の環境の苦しさ、現状を踏まえ未来を考えた時の不安、そして後悔。そんなものからあなたは「もう解放してくれ」の想いを込めた、このタイトルだったのかなと思いました。ここでは何も演じることなく、その時々の自由なあなたでまた投稿してみてください。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
『楽な方に流され続けた結果が今なんだと思う』という言葉に、自分自身も同じことを考えた経験があるからかとても引き込まれました。
頑張る、という言葉は社会人になると耳にたこができるほどに聞く言葉だと思います。時には他人との比較に使われ、時には達成の後押しに使われ、良くも悪くも多くの意味合いを持つ言葉だよなぁ…とその言葉を聞くたびに感じますが、同時に「どこまで頑張ればいいの?」という思いが内から湧き上がってきます。
そういった思いがあるからか、投稿者さんの「もっと頑張らないといけなかった」という言葉に、自身を責める意味合いも含まれているんじゃないかと私は感じてしまいました。また、頑張ることに対しての義務感も、文面から伝わってくるように感じています。パートナーさんの件も、伝えたいことが伝えられないまま別れを迎えてしまったことに対し、後悔と未練のようなものが感じられ、真摯に向き合っておられたんだと感じました。
そういった部分から、仕事でもプライベートでも、自分を厳しく律する投稿者さんの姿が頭に浮かび、投稿者さんの誠実さが感じられました。同時に、心身ともに休む暇もない姿も浮かび、心配に似た感情も湧いてきました。
悩みやつらさは人それぞれだと思うからこそ、『どうしてもやっていけない人っていると思う』という言葉に、「本当にその通りだよなぁ」と何度も深くうなずいているところです。
理由の分からないつらさに苦しむことも時にはあると感じていますし、そのつらさはほかの人の尺度で測るものでもないと思っています。
また募る思いやもやもやした感情が現れたときなど、気が向いたときにでも利用してくださっていいのかなと思います。
投稿ありがとうございました。