わたしは子供の頃からずっと親や親戚に暴力を振るわれてた。血を出したり吐いたりすることもしばしば…
親には、お前は牛や豚みたいな家畜と同じ、だから痛い目あわせていいんだと言われてた…
妹にはそれが無く、わたしが殴られてるのを笑って見てる記憶と、わたしの事をいつもバカにしてた記憶しかない。
心の底から怒りを感じる。あんなやつ同じ人間だと思ったことない。
大人になったら暴力はなくなるけど、親の借金とアル中がひどくて、腐った水槽の中にいるみたいだった。
今でも思い出してしんどい。
この気持ちを吐き出したいけど、どこに吐き出せばいいか分からなくて書いてる。
わたしの心の中にいる子供の自分に何か言葉が欲しい。
大人になって統合失調症になった。辛い。
ここもそんなに長文が書けなくて申し訳ない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
助けて欲しかった
感想2
こどものころのあなたが、たくさん傷ついて、苦しめられてきたこと、その中から、現在にいたるまであなたが生き延びてきたことを一言一言からずっしりと感じています。「心の底から怒りを感じる」という言葉は現在形で、きっとあなたの中には過去から今まで、生々しく苦痛と感情が渦巻いているのだろうと想像しました。
こども時代のあなた、これまで苦しんで、だけど頼れるものも、そこから逃がしてくれるものもない中では、どこに吐き出していいかわからなくなるのも当然だと思います。なんとか、自分で自分自身を支えるにも、とても労力のかかるこれまでだったことを思いました。それを思うと、その時々の、すべてのあなたに、お疲れ様となにか労りの言葉をかけたいけれど、十分な言葉が見つからない気持ちになります。本当なら、こどもは十分な保護を受ける必要があるし、それが身近な大人にはむずかしい状況なら、社会システムが保障すべきことと私は思います。ただ、まだまだ、そういう行き届いた状況には及んでいない実情があるとも感じています。勝手に、なんだかとても、悔しい気持ちになります。
大人になっても、家庭のことで「腐った水槽の中にいるみたい」だったところから、現在はまたすこし時間と距離があるのだろうか、いまのあなたはどんな生活をしているのだろう……と気になりました。こども時代からの月日の中で、心身ともにつらい状況を生き延びて、ここにあなたの言葉を置いていってくれたことをありがたく思っています。吐き出したいと思っても、なかなかすぐには言葉にならないこともあるし、書いていて苦しくなったり、疲れたりすることもあると思います。だから、無理にではないのですが、また思い出したときにでも、死にトリでまたあなたのことを聞かせてもらえたらうれしいです。
感想1
腐った水槽という表現が印象的でした。重たく汚い水の中、泳いでも泳いでも同じ場所、自由は与えられないような…そんな感覚を抱きました。
人と家畜は同じではないし、家畜だったとしても、痛い目に遭わせていいわけではなく、残虐な言動だと思いました。それを見て妹が笑うのは親と同じ残虐性ではなく、笑わないと同じ目に遭うかもしれないという恐怖故であってほしいと、勝手に納得できる理由付けをしたくなる自分がいます。
吐き出して自分の体から外に出してしまいたい気持ちと、言葉にすることで一度自分の体を通して濾過しなければならないというしんどさに目を背け、蓋をしておきたくなる気持ちがあったりもするのだろうか…とも想像しています。
タイミングも文の長さも、経験談は自由に書いて大丈夫です。誰かの投稿文に、共感できる言葉があれば、それらを組み合わせてみるのもアリかもしれません。よければまた投稿してみてください。