私は母の愛情を受けずに育ちました。
弟は抱っこも手も繋いで貰い、いつもおもちゃを買って貰っていました。私はその反対です。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい!」といつも言われ続けて来ました。
弟が怪我をしたら「あんたがついていたのに何で怪我をさせたのか⁉︎お姉ちゃんでしょ!」と怒られました。
弟の世話があって大変だからと私は3歳から保育所に入れられました。行きも帰りも一人で市営バスに乗って、街中まで通いました。不安で不安で仕方ありせんでした。私は酷い人見知りで喋ることも出来ず、いつも一人で園庭のジャングルに登っていました。
その後、小学校に上がる前に近くの幼稚園に転園しましたが、その時からずっと虐めに遭って来ました。
小学校4年生の時、学校の登校班で上級生から酷い虐めに遭いました。毎日毎日地獄の日々でしたが、母に心配を掛けたくないと思って黙って我慢していましたが耐えられなくなり、朝泣きながら虐められていることを伝えました。先に登校班と合流していた弟が帰って来て、「姉ちゃんが来なかったら僕が言われるから早く来て」と呼びに来ました。それを聞いた母は、「○○くん(弟)が言われるからあんたは行きなさい」と助けてはくれませんでした。
それ以来、どんなに虐めがあっても私は誰にも相談しなくなりました。『この学年が終わったら、この虐めは終わる』そう思って我慢するしかありませんでした。
私は小学4年生の時には自殺をすることを考えていました。それから虐められる度、自殺を考えていました。
母は、私が高校生になった時、私の成績が良かったことや、品行方正であったことで先生から褒められたことを自分の手柄のように感じていたようで、何かにつけては「○○(私)は先生に褒められた」と自慢していましたが、私は冷ややかな気持ちでしか母を見ることが出来ませんでした。
私は高校卒業後、専門学校へ行きたいと父に相談し了解して貰っていましたが、後日、その当時お付き合いをしていた彼と別れないと専門学校には行かさないと母から言われ、私は進学を諦めました。
結局地元の金融機関に就職したのですが、それも母の自慢になったようです。
私は就職先でも直属の上司や先輩から嫌がらせを受けて、1年半で結婚するからと逃げるように仕事を辞めました。
20歳で高校生の時から付き合っていた男性と結婚をしましたが、相手の浮気で2人目を妊娠中に離婚をしました。実家に帰った時は妊娠6ヵ月だったのですが、母から「別れたんだからお腹の子はおろしなさい。一人で育てるのは大変なんだから!」と言われました。それを聞いていた父は「授かった生命を何だと思っているのか!」と酷く母を叱りました。
32歳の時、知り合った男性と子連れ再婚をしました。
高校生の頃からずっと心がしんどかったのですが原因が分からずにいました。今の主人に頼れると思いホッとしたのか、体にいろんな症状が出始めて、やっとだどり着いた病院で「鬱病とパニック障害」と診断されました。
病院では「母が原因」と言われましたが、母との関係は変わらずでした。
いつも監視され、家族で出掛けても別居しているのに夕方電話がかかって来て「もう17時なのにどこに居るの?何時に帰って来るの⁉︎」とうるさく言われ、まだ帰らないことを伝えると酷く怒られました。「うちの家族で出掛けているのに関係ないでしょ!」と言っても通用しません。我が家は毎週のように家族で出掛けていたのですが、その度に電話がかかって来ていたのです。理不尽で仕方ありませんでした。
ずっとしんどくて、鬱病と言われてからもう23年が経ちました。
主人が定年退職をし、単発アルバイトで何とか生計を立てていましたが、仕事も無く、人工透析をしている関係で思うように働けず、親戚や行政に相談もしましたが、誰も助けてはくれません。娘たちは主人との関係がこじれてしまっていて、縁を切られています。
その上4月に判明したのですが、主人が発達障害(混合型)だと分かりました。色んなことが出来ないのです。
私は何でもキチンとやらないと気が済まないタチなので衝突が増え、精神的にも体力的にも追い込まれてしまい、最近では死ぬことばかり考えるようになりました。
さっき主人とまた喧嘩してしまいました。
経済的にも精神的にも、体力的にももう生きて行くのがしんどいです。頼れる人が誰もいない。もう無理です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰も助けてはくれない
感想2
幼少期からのつらかった記憶が今でも鮮明にあなたの中に刻まれているのだろうと感じました。それだけ忘れられない悲しさや、ままならない苦悩がたくさんあったのだと思います。
家庭での母親さんとの関係では、あなたは不服に思っても、我慢するしかないことがたくさんあり、苦しさも自分の中でうまく対処されないまま、積み重ねるしかない日々を過ごしてきたのかなと思いました。
こども時代から、大人になってからも母親さんの支配的な要請から抜け出すことがむずかしい中では、それもとても自然なことだと思いました。
家族という形も実は時代や社会によってことなります。その中で、本当であれば、あなたの幼少期に母親という立場の人以外に、あなたをちゃんと気にかけてサポートしてくれるような大人がいたらよかったのかもしれない、と考えていました。家族といえど相性はさまざまだと思います。だから、合うか合わないかが賭けになってしまうような状況は、それ自体が社会課題なのだと私は思っています。
またもしかしたら、母親さんの中には、家父長制的な考え方や、こどもであっても男性のほうを優先するのが普通という価値観があったのかな?とも想像しました勝手な説の一つに過ぎないのですが、世の中的にもまだまだそういう風潮はたくさんありますし、母親さん世代だとさらにその傾向は強いかもしれない、と思ったのでした。
現在のあなたの家庭のことですが、それもまた、すこし孤立した状況があるのかなと想像して心配な気持ちになりました。
あなたが病院でうつ病と診断されて、もう23年ということで、長く医療に繋がりつつも、なんとか生活を維持してきたのかなと思います。ただ、夫さんの定年退職や、さまざまな状況の変化も重なる中で、もう維持し続けることがむずかしい今があるのかなと思いました。
私自身も発達障害の診断があり、両親もおそらくその傾向のかなり強い2人なのですが、親のことを振り返っても、できることとできないことの違いが大きく、しかも自分自身でもそれを自覚するのがむずかしい世代ということもあり、なかなかわからないまま困ったり、怒ったりしていたと思います。
夫さんが定年退職後に発達障害と判明したというのは、なにかトラブルやままならないことが重なった中で、診断に至ったということなのかなと想像しました。(逆にいうと、その特性の凹凸があっても、あまり困らなければ診断にはつながらないことも多いようだと感じています。)
「何でもキチンとやらないと気が済まないタチ」というのも、元々の性格もあるかと思いますが、幼少期から助けてくれるものはないと感じながら生きてきたのだとしたら、自分で自分の思う形でなんとか状況を切り抜ける以外の方法がわからない、という側面もあるのかな……そうじゃないと不安になったり、心配になったりしてしまう場合もあるのかもしれない……といろいろ考えていました。きっとずっと心身を緊張させながら生きてきたのだろうと思います。
その中で、死にトリを見つけてくれたことをとてもありがたく思っています。私も気分障害と発達障害の診断を受ける体力もお金もない人間で、死にたいと思いつつ、言いつつ、なんだかんだ生きています。私があなたにとって具体的に役に立つなにかではないことを申し訳なく思いつつ、あなたの言葉を読み、言葉を交わせた機会ををうれしく思いました。投稿してくれてありがとうございます。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。幼少の頃からお母さんの言葉や振る舞いに翻弄されながら、ただひたすら耐えるしかなかった苦しさとその影響力の大きさが切実に伝わってきました。人生のあらゆる場面で“役割”を背負わされてきたのだろうと想像し、幼い頃は「お姉ちゃん」としてお母さんの期待や責任を押し付けられ、成長してからは「娘として」「社員として」「妻として」「母として」と、常に誰かの枠組みの中で評価され、その中で生きることを強いられてきたのだと思います。本当は一人の“私”として自由に感情を表したり、願いを言葉にしたりしたかったのに、それが許されない環境の中で、ただ黙って従わざるを得なかった、そんな悔しさを私は感じ取りました。その積み重ねが、今の苦しさの背景になっているのではないでしょうか…。(全然違っていたらすみません)
社会の中には、“きちんとした人”であることを求められ続ける仕組みが暗黙の了解として根付いているように私は思います。学校や職場、家庭でも「我慢すること」「責任を果たすこと」が美徳のように扱われる一方で、その人がどんな痛みを抱えているか、どれだけ限界に近いかにはなかなか目が向けられないな…と。あなたが「キチンとやらないと気が済まない」と感じてしまうのも、元々の気質の部分もあるかもしれませんが、長い時間をかけてその価値観を体に刻まれてしまったからなのかもしれないなとも思ったりしました。
それでも、ただ我慢しているだけではなく、どんなに追い詰められてもあなたは何とか生き延びてきた(いる)のだと思いますし、ある意味あなたの強さでもあるとは思うのですが、その自分の強さに押しつぶされてしまいそうになっているのかなとも感じています。誰にも頼れずに苦しみを抱え続けることは、孤独との闘いでもありますし、本来ならば行政や地域、あるいは人と人とのつながりの中で支えられるべき部分なのに、それが機能していないこと自体が大きな社会的課題だなと…あなたが一人でここまで抱えてこられたことに労いの言葉を送りたい気持ちとどうにかして今の状態から脱却できないものなのか…と歯がゆい気持ちになっている自分がいます。
「もう無理です」と書かれた言葉の重みを考えると、安易に励ますことはできないと思ったのが正直なところで、ただ、ここまで自分の過去や気持ちを言葉にして表現することはそう簡単なことではないし、それができたこと自体に、あなたがこれまで“押し殺されてきた私”を確かにここに存在しているよと訴えているようにも私は受け取りました。その声が軽んじられるのではなく、社会の中で届くべきところに届くような仕組みが、必要なのだと改めて思わされています。何か状況が今すぐ好転したり、解決に向けて動き出したりというのはなかなか難しいことなのかもしれませんが、匿名で相談できるSNS相談やメール相談もあるので、せめて一人で気持ちを抱え込みすぎないでほしいなと思いました。
もし、死にトリがまたあなたにとって何か役に立つようであれば、いつでも声を届けてほしいです。