経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

結局可哀想な自分が好きなんじゃない?

仕事を辞めても仲良くしてもらって、すごく相手にしてもらって、色んなことを相談して、冗談も言い合える人に言われた言葉。
息が止まりそうになり、どこか核心をつかれた気がして、怖くて突き放したくなりました。少し嫌なやつのような返事をしてしまいました。ごめんね、本当にごめんなさい。
わたしは可哀想な自分が好きなのかもしれないです。

わたしは今、転職がうまくいかず、結婚生活もうまくいっていません。
昔から、何もかもうまくいきません。
いじめられた経験からか、母親の顔色を伺って生きてきたからか、わからないけどずっと自分を大切にできません。
自信がなく、自己肯定力が低いです。
自分を否定する考えが多く、他人の評価に敏感、自分の気持ちを抑え込む、自己犠牲、自分を優先することに罪悪感を感じ生きています。
どうやったら自己肯定力を上げられて、自分を生きていけるんだろうな。と思う気持ちと、でもそれでいいと思ってるからこうなんだろうな。変えられないし変わらないんだろうな。あーあ。と思う気持ちでわからなくなっています。
誰も踏み込んでほしくないな。踏み込んでほしいな。助けてほしいな。ほっといてほしいな。怖いから1人にしてほしいな。怖いから1人じゃやだな。
自信のなさや自己肯定力の低さが招くんだろうな。
幸せになりたい、変わりたい。だけど、うまくいきそうになると壊す。なぜかいつも苦しい方を選んじゃう。
怖い。変わるのも怖い。変わらないのも怖い。知っている不幸の方がうんと楽だとどこかで思っている。あーだこーだ言いながら、結局他人のせいにして自分がこうなるのは仕方ないんだと思って楽になっている。ごめんなさい。

感想1

題名にズキっとし、投稿読みました。誰もが差し伸べられる手を握り返せるのが当然だと大半の人は思っているのかな、とあなたと共に傷ついた気持ちとなりました。可哀そうな自分を選んでしまうことと、それが好きといことは似ていて非なるものと思います。

自分の本当の気持ちよりも、誰かの顔色や状況を見て自分の振る舞いを決める。自分は後回しにしておくが、その当時の状況にとって自分で出せうる正解だったと思います。不幸の方が楽なのでは無く、他人を怒らせたり不快にさせることを避け孤独をまとうという処世術、あなたにとって必要な方法だったのではないでしょうか。

少しずつあなたの周りの環境や人間関係が安心できるものへと変化していく中で、自分を少し優先してみたいと思う気持ちが芽生え、これまでと違った関係を築けるかもとぼんやりうっすらと思ってきていたところなのではとも感じました。踏み込んでほしくない、踏み込んで欲しい。助けて欲しいけど、放っておいて欲しい。怖いから独りにして欲しいけど、怖いから独りじゃ嫌だ。人の温かさを感じたり、思いっきり寄りかかったりしてみたいところだけれど、ハリネズミのように体毛が棘化してしまい親しくしたい相手とすら近づくことができない。あなたの身近にいる人たちは、あなたの心の葛藤をわからずにいて、心を開いてくれない、自分を頼ってくれない、本音を話してくれないなど、あなたと寄り添え合えないことに傷つき苛立っている面もあるのかもしれません。

自分を大切にすることができないのなら、あなたに免じてここは自分に優しくしよう。全身に込めた力を抜いて握りしめた拳を開いてみたのなら、意外にあっさりと差し出された手をつかむことができるかもしれません。ラジオ体操で固まった筋肉をほぐしつつ、大丈夫そのままのあなたで良いと思います。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

まず感じたのは「可哀そうな自分が好き」というよりも、「想定できる苦しさの方が(安心する)」ということかな?ということです。と言いつつもそれだけがあなたの行動のすべてを説明することには絶対にならないので、あるとすればそういうことも一部にはあるのかな?という感慨が浮かびました。
人間はトラウマになる体験をすると孤立無援化すると言われています。安心だったはずの世界が壊れる経験をする訳なので、今後いつどこで危険が襲ってくるか分からない世界へと世界観が変貌します。その孤独の中で生きていくためになんとか安心できる世界を探すプロセスを辿るのですが、身近な人との関係が安心できないと複雑化してしまうことが多いように思います。あなたの文章から、そういうことを想像しました。自ら安心を作るしかなかったということも大いにあるのかなと。それは見えないですがなかなか厳しい道で、しかも誰にも理解されない孤独ないわばサバイバルな状況のなかを今も乗り越えながら生きているということなのかなと思いました。あと、僕がそう感じるほどにあなたの自分を観る力もあって、そこは苦しいけど重要な気がしました。自分に何が起こっているのか、起こってきたのか知るということはとても大事なことだなと私は感じています。人間は歴史の中で様々なトラウマを体験しています。だからこそこんな厄介な心身を形成しているのだと思います。しかし、ここまで命を繋いできた強さもまた私たちの命の中にあるはずだと思います。最近はトラウマに関する様々な研究も進んでいたり、癒していく方法も様々に実践されています。もしよかったら自分に合うものを探してみられるのもいいのかなと思いました。

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