経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

大学受験やめたい何も頑張れない

語彙力がなくてとても読みにくいと思うのですが、すみません。

私は今高校3年生で大学受験を控えています。学校の周りのみんなは受験に向けて本当に頑張っています。ですが私は本当に勉強には手がつかず毎日毎日消えたい、死にたいと思っています。やらなければならないと分かってはいるのに何も手につきません。親には「勉強してるの?」と言われると怒られるのが怖く「してるよー」などと言っていますが本当に何も出来ていません。模試も控えていますが酷い点数を取る未来しか見えず、夏何をしてたの?と怒られるだろうなと思っています。年内で推薦で大学受験を終わらせたいと思っても親がそれを許さないし、確実に一般受験を受けることになります。
今私はストレスで過敏性腸症候群と機能性ディスペプシアというものになっています。塾や学校に行く前、受験について考えている時に強い吐き気を覚えてしまいます。年内で受験が終わるということであればかなりストレス軽減されるなと思いますが、そういう訳にもいかなさそうなのでつらいです。
とにかく早く受験を終わらせたい。ずっとそう思っています。親は学歴フィルターをすごく気にしているけど私は正直どうでもいいし、私の進路なのだからメインは私に決めさせて欲しいなとすごく強く思います。もちろん学費を出してくれるのは親なので、学費の話をされると強く言えません。
受験終わらせて年内で決まることがほぼ確定している友達と遊んでのんびりしたいなあ。もう勉強したくない。でも周りはしてるから私もしなきゃ、置いていかれちゃうのに、何も頑張れません。頑張れない自分がとにかく嫌で、でも机に向かうと死にたい気持ちばかりでてきて何も集中できず何も分からず、どうしようもないです。親にこの状況を言っても甘えだ、逃げだと言われます。そう言われると実際自分はただ逃げているだけなのだなと思ってしまいます。実際そうなのかもしれません。でももう何も頑張れそうにありません。年内入試がギリギリ頑張れそうなラインです。

もし少しでも同じような悩みがある方がこれを読んでくださってたら、私はあなたのことは何も知らないしどんな人かもわからないけど、一緒に乗り越えたいなと思います。もう頑張れなくてもそれでもいいかな、と思っています。

感想1

 経験談の投稿ありがとうございます。私もかつて受験生だった頃を思い出しながら、じっくりと読ませていただきました。投稿の最後に「一緒に乗り越えたい」と書いてくださっていたことからも、あなたはとても周りのことを気遣う方だという印象を受けています。だからこそ、相手の期待に応えないといけないというプレッシャーも多くあるのかなと、勝手ながら想像していました。
 時代の変化も目まぐるしい現代社会において、「多様性」という言葉が徐々に広がりを見せつつありますが、あなたの文章を読んで、まだまだ学歴社会が根深く残っているなぁと感じていました(少し、悲しい気持ちになっています)。受験期間は大きなプレッシャーを感じざるを得ない環境だと私は思いますし、気づかないうちに心を追い込んでしまいやすいとも感じます。常にプレッシャーや不安、やらなければいけないと思うことが頭にある状態だと、心も当然休めないよなぁと思っていました。
 「大学受験するのは当たり前」とか、「高学歴が正義」みたいな考え方が世の中に染みついているように私は感じていて、そういった背景が、より心を追い詰める要因になるのだと思っています(実際に私が受験生だった頃、この考え方でよくしんどくなっていたので、勝手ながら書かせていただきました)。特に学生時代は、親の意見を聞かなければいけなかったり、学校の中で大学受験を促してくる先生もいたり…。まるで「受験モード」を強いられているかのような気分になってしまいますし、自分の声を大切にしたくてもできない環境のようにも思えます。
 そういった中で、あなたが「メインは私に決めさせてほしい」と感じるのはとても自然な気持ちだと私は思いました。学費のことを考えると強く言えない気持ちも、多くの人が共感できることのように思います。それでも「これは私の進路なんだ」と思うあなたの声は、決してわがままではなく、自分を大切にしたいというまっすぐな気持ちに私は見えています。
 私は、学歴自体が人の価値を決めるものでもないと思いますし、どこの大学に行くとか行かないとか、あなたがどんな選択肢をとったとしても、あなたの価値自体がそれによって変わることはないと思っています。勝手な思いにはなってしまうかもしれませんが、突き進むだけではなくて、ときには立ち止まって、自分の心の声に耳を傾ける時間を持ってほしいなと感じていました(とはいっても、周りが受験モードの中だとなかなか難しいことだとも思いますが…)。ゆっくり、あなたのペースで、とお伝えしたい思いです。またいつでも書きに来てくださいね。

感想2

やらなければならない、やったほうがきっといいと思いながら身体が動かない苦しさを思い出しながら読みました。私自身、能動的に勉強をするということがとにかく出来ないまま受験期を過ごしましたが、今振り返ると、私の中で「勉強を頑張るべき理由」に全然納得できていなかったことが要因だったのだと思います。学年が上がるにつれ自然に受験や進路選択の話は増えていき、「何かを主体的に選んで努力する」ことが当然の動きとして求められるようになっていきますが、それはすなわち努力するタイミングも内容も外部的なものなので、自発的に何をどうしたいのか考えることとは似て非なるものだと思います。なので投稿者さんの中で「頑張りたい理由」が無いままで「頑張れない」のは(私の価値観ではありますが)そりゃそうだよな、ととてもシンプルなことのように思えました。

受験や就活など、自分なりの選択や努力が必要とされるものに対してはよく「逃げ」や「甘え」という形容が為されますが、向こうから勝手に迫りくる嫌なことから逃げて何が悪いんだ、と言いたくなる私がいます。今の社会には色んな生き方があり自由度が高まったと感じることも多いですが、同時に「何かを自分で選ばなければいけない」「選んだレールから外れてはいけない」みたいな息苦しさがあると捉えています。できるだけ安全に、優良に、順当に選択することが美化されてしまい、だからこそ受験や就活といった「多くの人が同じタイミングで臨むもの」がすごく巨大な「当たり前」像を作ってしまっていると思います。(だからしょうがないよ、ということではないのですが)親の意向もそういったものの影響を色濃く受けているのかな、とも想像したところです。

投稿者さんにとって「年内で終わること」に対して気楽さを感じるのは、時期や結果が自分の手の届く・イメージのできる範疇だから、ということもあるのでしょうか。受験はすごく相対的に結果が出る、かつ終わりが明確なようで薄く長く苦しさが続くものでもあると思うので、「ある程度たしかなもの」に希望を見出すのは自然なことだと感じます。長く広い目で人生を見ると「上を目指した方がいい理由」ばかりが突きつけられる、情勢・情緒共に不安定な世の中ですが、今の投稿者さんの感覚や体調がまずは第一に優先されてもいいのではないかと思いました。

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