経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

子供の頃からスケープゴート

…文章がまとまっていません。
本当に申し訳ありません。

僕は統合失調症と鬱病を併発しています。
障がい者手帳2級です。

僕の家族は機能不全家族です。
両親と兄がいます。

僕は去年の今頃は会社勤めをしていたのですが、人間関係が嫌になって辞めてしまいました。

1番嫌なイベントはお墓参りです。
兄は運転がとても上手で、往復、長距離を運転します。
年俸も600から700といい、「まあ芸能界みたいなもんだからね」などと自慢します。

去年、僕が会社勤めをしていたときは、NISAの話しで3人で盛り上がって、仲間外れにされました。

今年は僕が無職なので、案の定、仕事の話しで3人で盛り上がって、僕は無視されていました。酷い嫌味もいわれました。

それが家に着いてからも続きます。
母親は兄からLINEをブロックされています。そのくせ実際に兄に会うとヘコヘコして取り入ろうとします。

父も同じです。兄のすることには目を瞑りますが、僕にはめくじらをたてます。
仕事をしていたときもです。

家族からしてみればA型就労は仕事ではないらしいです。
遊びみたいなもんだ、と言われました。

この家族はスケープゴートを用意しないと成り立ちません。
悪役が必ず必要になります。
そのはけ口に必ず僕がなってしまいます。

もうB型就労でいいので、とにかく働いて、グループホームを検討してもいいんじゃないか、と思っています。
障がい者年金2級ももらっています。

もうスケープゴートになるのは疲れました。両親、兄と縁を切りたいです。

感想1

最後の一文に賛同しました。「こんな家族とは距離をとってもいいのに…」と思って読んでいたので、最後の一文に大きくうなずきました。きっと、ご自身でもそんな将来像が少し見えているようにも感じました。
家族と言っても、私は単にたまたま同じ家に生まれてきてしまった他人だと思っています。選んだわけでもないですし、本来は無理やり合わせる必要もないと思います。経験談に書かれた様子を見る限りでは、あなたの生き方と他の家族の生き方にはかなり違いがあるように思いました。何を大切に感じるのか、何を嫌だと思うのか、人それぞれです。あなたはあなたがいいと思った道を進めばいいと思いますし、それは誰にも否定されるものではないと思います。ましてやスケープゴートにされるような環境が身近にあれば、あなたが本来持っている力や可能性が発揮できなくなってしまいます。
すでに、この先の生き方について少し考えていることがあるように思いましたが、必要に応じて支援をうまく使いながら、あなたらしい人生がこの先、開けることを願っています。
また、必要な時には死にトリを活用してください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。家族の中での立ち位置や扱われ方に、長い間とても大きな負担を感じながら過ごしてきたのだろうと思いました。特に「スケープゴートになるのは疲れた」という言葉に、どれほど繰り返し同じ役割を押し付けられてきたのか…あなたの感情がどうかに留まらず存在そのものを家庭内で尊重されることがない環境なのだと想像しています。兄弟との比較やあなただけが無視をされるなどの受けている振る舞いを考えると、本来であれば、家族は一人ひとりの違いを認め尊重し、安心できる場の一つであるはずなのに、むしろそこが一番息苦しい場所になってしまっているのは想像以上に辛く苦しく、痛みを伴っているのではないかと思います。
また、「A型就労は遊びみたいなものだ」と言われてしまうことも、自分の努力や日々の積み重ねを軽んじられるようで、深い傷として刻まれているのではないでしょうか…。就労継続支援が“働き方の一つ”として社会に広く理解されにくい現状は、当事者を二重に苦しめている課題だと私は思います。働く形が多様にあっていいはずなのに、「正規雇用かそうでないか」で価値が測られる社会のまなざしが、家族の態度にも反映されてしまっているのかもしれないなと考えていました。それでも、“B型就労でもいいから働いて、グループホームも検討したい”という思いを言葉にされていることが印象的で、その思いには賛同したい気持ちになりました。自分を守るために“家族と縁を切りたい”と考えることも含め、自分の人生をこれ以上家族にとっての都合の良い役割で縛られないようにしたいという強い願いがあるのだと思います。その願いは、決してわがままではなく、生き延びるために必要な感覚のように私は感じました。
今も苦しい状況の中で「もう疲れた」と率直に表明できていること自体が、あなたが自分を守ろうとする大切な一歩なのだと私は思っています。こうして思っていることをそのままの言葉で表現することがあなたにとって、背負っているものを少しでも軽くするようであればいつでも声を届けてほしいと思いました。

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