経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

母が亡くなってから

母の自死から約10日経ちました。
最初はバタバタで、なかなか涙の出る機会はありませんでした。
落ち着いてくると今までのことや少し前の電話の事を思い出して、もう少しかける言葉があれば、もっとずっと寄り添っていたらとすごく後悔しています。
お寺さんは浄土真宗の方なので、「人は亡くなった時にみんならくになれます。帰る場所がそこだったからそこでなくなつたまでです。お母さんも楽になってます」ということを仰られていました。
でもやっぱりずっとそばにいてくれたお母さんが亡くなったことは悲しいです。
私がもっとこうしてたらああしてたらってずっと考えてしまいます。
ごめんなさいお母さん。
もっと私がちゃんとしてればこんなことにはならなかったはずでした。
最後の最後に苦手なお化粧もしなくてよかったかもしれません。
ごめんなさい。

感想1

この度はご愁傷様でした。
死後の世界があったとして、故人がそこで穏やかな時間を過ごしているとしても、現世に置き換えて…海外の遠く離れた土地で大切な人が充実した日々を送っていたとしても、近くで一緒に過ごせない悲しさや寂しさはあるような気がします。
生きている間に支えてあげられたら、自分が助けになれていればと思うのは、自然なことだと思いました。なにか出来る時間は限られているのに、後悔は時間無制限だからこそ、いくらでも「こうすればよかった」を考えられるというのもあり…しかし、その時には見えていなかったものもあるし、どうしても仕方のないことや、できる限界はあるのかなとも思っています。
その日まで懸命に生きたお母様と、お母様を見送ったあなたを労いたいです。

感想2

気持ちや物事の整理もつかない状態のなか、気持ちを吐き出すことは想像以上にパワーのいることだったと思います。

人との別れは避けて通れないと解っていても、自分にとって大切であればあるほど受けいれがたい、受けいれるのに時間がかかる事だと思います。私も大切な人との別れを経験しましたが、悔やむ事柄だけが次々に頭をよぎり、楽しかったはずの時間、思い出に浸ることが申し訳なくなるような感覚になったことを覚えています。時間は悲しみを薄めることはできても癒やすことは難しい現実を受けいれ、楽しく笑って過ごすことの大切さを学びました。

今は悲しみの中で過ごす、後悔する時間が多くを占めていると想像します。
そのような中でも、お母さんとの楽しかった時間、思い出を糧に笑って過ごす時間が少しづつでも持てるようになればと思います。

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