経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

母について

私は、子供の頃からいい子ではなく、母との関係があまり上手くいっていません。
勉強熱心で頭も良くて努力家な兄と、勉強嫌いで癇癪持ちでよく家出する私。
私がいなければ、もっといい人生を送れたんじゃないかと思います。

兄妹間は問題なく、むしろ仲は良いです。
でも、私は母とは上手く喋れず、兄がいる前では全て兄に任せ、よくだんまりを決め込んでいます。

母とはよく喧嘩をしていました。
原因は大体私にあります。
宿題が出来なかったり、ものを無くしたり、点数が悪かったり、就職も上手くできなかったり、恋人も同性だったり。
恋人が同性なのは私は気にしませんが、以前から母に「同性だけは連れて来ないでね」と言われていたので。
小学生中学生といじめにもあいましたが、今思えば私は嫌われる人種だったなと思います。
そこでも学校に行きたくない、行きなさいの喧嘩は起こってました。
そしてお互いに暴言を吐きあって、暴力を振るいあっていました。
その度に、私がいなければと何度も過りました。
喧嘩した時にずっと私の部屋で叱る母に出て行って欲しくて押しのけた時、母から、警察を呼んで!殺される!と叫ばれた時は、ショックでしたが自分の自業自得だなと思いました。

そういったことの積み重ねで、多少落ち着いている今でも、母の顔はあまり見れないし、母の問いに「うん」としか答えられません。
そのせいか、「なんか機嫌悪いの?」とよく聞かれます。
それに比べて兄は、母と楽しそうに話していて、母も嬉しそうでいいなと思います。

後に私はADHDの不注意優勢型だと診断を受けました。
最初はほっとしましたが、それで何かが変わった訳でもなく。
母は最初、知らずに厳しくしてごめんと謝ってくれましたが、いつになったら治るだろうとよく言われます。
母はとても心配性で、私のこともすごく心配してくれます。
同性が恋人だと打ち明けた時も、最初はそれでいいのかとか、呆れたような感じはありましたが、最終的には支え合えるならそれでいいと言ってくれます。

良い母なのだと思います。
私が死んだら、きっと後追いするぐらいには病んでしまうぐらい、私のことを愛してくれているのだと分かります。

でも、プレッシャーを感じてしまうことがあります。
また呆れられるのが嫌だ、めんどくさいと言われるのが嫌だと思ってしまいます。
そう思われるくらいなら、私はいない方が良かったのではないかと。
全部、私がやらかさなければいいだけの話なのに。

恋人が楽しそうに母と話しているのを聞いて、羨ましいと思ってしまうのも嫌です。
私のこのめんどくさい性格が嫌です。

今はそれなりに落ち着いていますが、死ぬために働いていた時もありました。
死んだ後、遺体の回収やその時にかかった清掃、他人の領地だったら来るかもしれない請求や、葬儀のお金等のことを考えて、母にあまり負担がかからないようにするためでした。

自傷行為もしてしまいます。
特に何も無い日でも、元気で楽しいことがあった日でも、落ち着かなくてしてしまう時があります。

そして人と自分を比べる癖もできました。
兄と自分はもちろん、職場の人と自分の仕事出来とか、恋人と自分の母への対応とか……。
誰かと関わりを持つ度に、心の中では私のことをこう思っているんだろうかと、ずっとネガティブなことばかり。

表ではなるべく出さないように明るく振舞っていますが、最近それも疲れてしまってて…。
母からも元気になった?と連絡がよく来てて、元気と答えていますが、ホントのこと言ったら失望されそうで怖いです。
父には1度だけ相談はできていますが、放置主義なような人なので、それ以降はあまりしていません。

言いたいことをなるべく短くまとめられるようにとしたものなので、文が拙くて申し訳ないです。
ここまで読んでくれた方がいらっしゃれば、長文なのにありがとうございました。

感想1

経験談への投稿ありがとうございました。できるだけ短くまとめられるようにと、想いが込められた文章でしたからとても読みやすく、あなたの気持ちをじっくりと想像しながら最後まで読ませていただきました。これまで、どこか生きづらい人生を送ってこられたのだろうと強く感じました。

特に母親さんとの関係について、あなたのマイノリティを理解してくれたり、心配をしてくれる良い母だと思う気持ちがあるからこそ、喧嘩をしてきた末に、ADHDであることがわかった今でもコミュニケーションがうまくとれないことに、どこか寂しさを感じている様子が伝わってきました。

あなたはこんな自分は嫌だと思うのかもしれないけれど、兄と母が仲が良さそうにしていいなと思うこと、親と仲が良い恋人を見て羨ましいと思うこと、それはとても自然な感情に思えました。幼い頃は誰でも、母親に褒められたい、認められたい思いで一生懸命に母の期待に応えようとするものです。ADHDの特性があるからこそ、ちょっとしたことで母に怒られたり、同じことを何度も言われたり。

特性からできないことを、怒られるのは、足が動かないのに歩けと言われているようなものだと思ったりもします。それくらいあなたにとっては難しいこと(宿題、物忘れ、勉強ほかの細かいことでも)を、怒られ続けたら、癇癪を起こすのは当然だと思います。癇癪持ちというよりは、癇癪を起こさずを得ない環境だったのではないかなと思います。なんで苦手なのか、できないのか自分でも分からないからこそ子供の頃は癇癪を起こしたり、家出するしか表現する術がなかったのではないでしょうか。

そうして行き場のない想いは大人になるにつれて、死にたい気持ちとなって膨らんできたようにも思いました。母に負担をかけないように、あるいは失望されないように明るく振る舞うことは、幼少期のあなたの認められたい思いとどこか延長線上で、重なるようにも思えました(違っていたらすみません)。

ありのままのあなたのまま、認められる経験がもしかしたらこれまであまりなかったのかもしれません。ADHDだとわかって「これまで厳しくしてごめん」と謝ってくれた言葉に掬われる想いがあるのも束の間「いつになったら治るだろう」とよく言われるという文章には、読んでいてもショックを受けました。治すとかそういうことではなくて、できないことを理解してほしいのに、ありのままのあなたを受け止めてほしいのに、勝手ながらそんな思いが込み上げます。

そんなことを考えていると、この文章ももしかしたら、読みやすいように短くまとめてくださったりと身につけるしかなかった社会性をまとって書いてくれたのかもしれません。それでも、ここでは死にたい気持ちのあるあなた、自傷行為をしているあなた、相手を思って自分に蓋をしてしまうあなたそれも含めて、ありのまま受け止めたいと思いました。またいつでも拙くても、書き込みお待ちしています。

感想2

母というちょっと特殊な関係性の存在に対する揺れ動く、複雑な思いがたくさん詰まっていると思いました。というのも、これが母ではない他の人ならもっとあっさりと距離を置けたり、はねのけることもできそうだと思ったからです。
あなた自身は母といい関係でいたいと感じていること、そして自分が悪いからいい関係でいられないこと、だからこそ自分を責める気持ちがあることが伝わってきました。ただ、客観的な立場の私が経験談を読んでみて、どちらかというと「お母さん、ひどいよ…」「もっと、違う言い方や対応の仕方はないのか」と思う気持ちがわきました。
母との喧嘩の要因として挙げられている内容はどれも言い方を変えるとあなた固有の「あなたらしさ」であると私は思えました。宿題ができないことや物をなくすこと、就職が難しかったこともおそらくその後に診断されたADHDという特性に起因すると思いました。それは特性であり、あなたが悪いわけでも努力不足でもないと私は思います。それなのに、社会が一方的に画一的に求める能力や成果が出せないからと言って、否定されたり責められたりするのは理不尽なことです。また、同性が好きなことも本来のあなたの姿であり、あなたらしさであるはずが、それを否定されることは相当に堪えることだろうと思います。
私は本来の自分の姿、つまり「自分らしさ」を受け入れられ、認められることで心の土台や頑張れる基盤のようなものを作っていくことができると思っています。逆に「自分らしさ」を否定されることはどんな些細なことであっても、心が大きなダメージを受けることだと思っています。だからこそ、あなたが自傷行為をするのも、死ぬためにお金を貯めようとすることも、表面的には明るく振る舞い、心の中はネガティブでいっぱいなのも、無理もないし、どれもあなたが一人で必死に自分を何とか保とうとする涙ぐましい努力であると感じています。
だからこそ、あなたの子ども時代からの母との関係を垣間見たときに、あなたの自分らしさをことごとく否定されている様子に「お母さん、ひどいよ…」という気持ちになったのです。子どもにとって親は自分が生きていくうえで頼りにしなければならない存在です。だからこそ、その存在の影響は大きく、あなた自身もその存在や影響力の大きさを感じているからこそ、何とかいい関係でいたいし、本当は認めてほしいという渇望のようなものがあるのだろうと思います。また、渇望と同時に、諦めのようなものもあるのではないかと感じました。子どもの頃から自分らしさを認めてもらえない中でも何とか自分なりの努力で心を保ってきたことで生じた渇望と本当は認めてもらいたいけど無理かもしれないと思う諦めが混在しているのなら、心がちょっとしたことで揺れ動くことは当然だと思いました。だから、他の人と比較をしたり、恋人と母との関係がうら羨ましく思えることも無理もないと思いました。あなたは「めんどくさい性格」と書いていましたが、あなたの心が正直に働いているのだろうと私には思えました(確かにその揺れ動きに付き合わなければならないので、あなた自身にとってはとても厄介な存在だとは思います)。
私は親子と言っても、自分で選んだわけでもない関係で相性がいいときもあれば、悪いときもあると思っています。本来は親は子どもを受け入れて育む責任がありますが、残念ながらマッチングが悪くてそううまくいかないこともあります。だからこそ、親じゃなくても他の誰かに受け入れられる機会や経験が必要だし、大切だと思っています。あなたには親以外にそういった存在や経験もあるように思えましたし、その経験を通じて自分のことを認めたい気持ちもあるようにも思えました。だから、母のことはもういいのでは?と声をかけたい気持ちになっています。もしくは、母を恨んだり、怒ったりしてもいいのでは?と思う気持ちもあります。ただ、そう思えずに揺れ動く気持ちももちろんありだと思っています。つまり、あなたが今感じていること、これから感じること、それはすべてオールOKだと私は伝えたいです。もしも、また自分の気持ちを誰かに伝えたくなったら、いつでも来てください。待っています。

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