経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私は3年前とある学校で、同級生にSNSいじめをしてしまいました。
具体的には、その同級生を連想させる内容の悪意ある投稿や、精神的に傷つけるような投稿を何度もしました。これらはおよそ数ヶ月にわたり、ほとんど私一人で続けていました。当時の私は、彼女が教員からよく声をかけられていることや、周囲から一定の注目を集めている様子に強い嫉妬心を抱いていました。その気持ちが、行動をエスカレートさせてしまいました。
結果として、その子は精神的に追い詰められ、登校できなくなり、最終的には退学しました。その前後、学校にいじめの情報が伝わりましたが、私は事実を否認し、「いじめはしていない」と虚をつきました。その説明は受け入れられ、学校は「いじめの事実は確認できない」と判断しました。そのため、私に対する処分はなく、校内の公式記録にも残っていません。
今になって振り返ると、あの時の私の行為は明らかに間違っていました。相手の人生や心を深く傷つけることになるとは、当時は深く考えていませんでした。事実を隠し、自分を守るために嘘をついたことも、さらに彼女を苦しめる結果になったと感じています。
今もこの出来事を忘れられません。今さらになって、罪悪感がします。たとえ時間が経っても、私の行為は消えませんし、被害もなくなりません。このことは一生背負うべき過ちだと理解しています。
このことについて、褒めてほしいなんてことはありません。ただ、誰かに話して、自分の反省を語りたくて、ここを頼ることにしました。
感想1
心の中に置いてある重たい罪悪感、この塊の存在にイライラしたり怖がったり、取り扱い自体に自分自身が傷つき消耗する。これを繰り返しながら湾曲することなく書かれた文章は、あなたが何度も向き合い変えられない事実であることを受け止めたものと私は感じました。そして「嫉妬心から相手を傷つける」「自分を守るために嘘をつく」返答に躊躇することなく、「なぜ、そんなことを?!」と疑問の言葉がとっさに私からは出てきませんでした。自分自身にも思い当たる嫉妬心による他者への攻撃が少なからずあり、その真逆の攻撃を受ける側にもなったことがあるからです。
相手への償いと自分自身への許し、その過程は別物なのかと思っています。正しさ通りにはいかないという、どうしようもなさを人間は誰もが抱えています。なぜ自分はその、どうしようもなさに突き動かされてしまったのか、どうしようもなさに気づかなかったのかなど、問答し自分を厳しく許していくより他ないのかと私個人としては思っています。許しが無い世界だったら、人間世界がどうしようもなさで溢れていくのではと。
残念ながら出来事や形をかえて、本質的に同じような状況に出くわすことがあるかもしれません。脇目も振らず誰にとっても正しいという振る舞いができるでしょうか。それぞれが、それぞれの理屈に合わせた正しいと思う振る舞いを持っているはずなので、一筋縄ではいかないように思います。だから人間関係は面倒だと言ってしまえばそうなのですが、どうしようもなさを抱える人間だからと白旗を上げつつ、自分の声や相手の声が聞こえたならとビビりつつも生きている自分がいます。投稿いただき、ありがとうございました。
感想2
読ませていただきました。あなたの行動が気持ちが言葉になればなるほど、苦しいことでもあるはずなのに反省を語りたい思いで書き込みに来てくれたのですね。
きっとあなた自身が、あなたというものを一番わかっておられ、反省を語りたい思いできてくれた上で、同じ人間として、わたしにはあなたを咎めることも、慰める資格もありません。
なぜなら、私にも似たような経験があるからです。同級生の一人とすれ違うときに、酷い言葉を耳元で囁くという行為が友人との間で広まったことがあります。あのときに私はあの同級生のことを傷つけたと、今でもそのことを思い出すと、涙が溢れます。
なかったことにはできない、してはいけない。自分の罪に向き合えるようになった時、それは10年越しでしたが謝りたい思いで、その子の家を訪ねました。謝って済む問題でもないし、償える問題でもなく、それは最後のあなたの一文と同じような気持ちかもしれません。
なかったことにはできないけれど、変えられるとしたら今や未来、あなたがこの経験を通してどのように今後を生きるか。自分の罪と向き合うことは、何をするにしても勇気のいることだけれど、お互いにこれからの最善を尽くせるように、支え合いたいなとあなたの文章を読んで思います。
感想1
心の中に置いてある重たい罪悪感、この塊の存在にイライラしたり怖がったり、取り扱い自体に自分自身が傷つき消耗する。これを繰り返しながら湾曲することなく書かれた文章は、あなたが何度も向き合い変えられない事実であることを受け止めたものと私は感じました。そして「嫉妬心から相手を傷つける」「自分を守るために嘘をつく」返答に躊躇することなく、「なぜ、そんなことを?!」と疑問の言葉がとっさに私からは出てきませんでした。自分自身にも思い当たる嫉妬心による他者への攻撃が少なからずあり、その真逆の攻撃を受ける側にもなったことがあるからです。
相手への償いと自分自身への許し、その過程は別物なのかと思っています。正しさ通りにはいかないという、どうしようもなさを人間は誰もが抱えています。なぜ自分はその、どうしようもなさに突き動かされてしまったのか、どうしようもなさに気づかなかったのかなど、問答し自分を厳しく許していくより他ないのかと私個人としては思っています。許しが無い世界だったら、人間世界がどうしようもなさで溢れていくのではと。
残念ながら出来事や形をかえて、本質的に同じような状況に出くわすことがあるかもしれません。脇目も振らず誰にとっても正しいという振る舞いができるでしょうか。それぞれが、それぞれの理屈に合わせた正しいと思う振る舞いを持っているはずなので、一筋縄ではいかないように思います。だから人間関係は面倒だと言ってしまえばそうなのですが、どうしようもなさを抱える人間だからと白旗を上げつつ、自分の声や相手の声が聞こえたならとビビりつつも生きている自分がいます。投稿いただき、ありがとうございました。