経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

中学の時親が精神疾患になった

私が中学一年生の時、父がうつ病になりました。今大人になって理解するに、正確にはうつ病ではなく双極性障害を発症したようです。
夏になると、狭い家のリビングで一日中寝ている父を横に、ただひたすら静かに過ごし、弟の面倒を見ながら家事をしていた夏休みを思い出します。部活に行きたかったけれど、小学生の弟と不安定な父だけを家に残しておくことができず、ほんの少しだけ顔を出しては家に帰っていました。
私は弟を可愛がっていました。母が沢山のことを頑張っていると知っていました。だから二人を守ろうと思い、自分の意思で自分を犠牲にしました。したいこと、ほしいものは無い。つらいことなんて無い。甘える、わがままを言う、反抗期をする、そんなの有り得ない。父の言うことには従い、逆らわず、怒声を浴びても理不尽なことを言われても何も言い返さない。
ストレスか単に体質か、自分自身が恐らくコリン性じんましんを発症して毎日出ていましたが、それも隠して(中学生で親から隠していたので病院に行っていない=診断されていませんが)、過ごしていました。

最近になってようやくここまで言葉にすることができるようになりました。何かに引っ張られて急に当時のことを思い出すと、頭がいっぱいになって涙が出たりします。それくらい消化できていないままここまで来てしまいました。
理由の一つには、精神疾患の家族と暮らすつらさの話を、できるなら当事者の目や耳に入れたくないと思い言えなかった、というのもあります。
でもごめんなさい。ついに始めて、ここへ書いてしまいました。

そんな生き方をしてしまったせいか、関連付けようとしているだけか、家庭を作るどころか恋愛にすら良い気持ちが持てません。前向きに付き合ってみても、いわゆる女の子扱いされたり優しくされることに想像以上に拒絶反応が出てしまいました。余裕が無い時に相手を頼ることが一切できず、とにかく一人になりたくて一緒にいるのが苦痛で、本当に申し訳ないけれど無理だと別れました。

私にはもう、頼る、弱みを見せる、甘える、そういったことは無理なんでしょうか。
あまり積極的に「したい」とも思えませんが、限界を感じた時に、限界だからこそsosのひと言も発せないで自分を終わらせてしまいそうな気がします。
今も様々なことがあって日々がつらいと思いながら、誰にも伝えられずにいます。

感想1

「年子の妹は私が育てた」と疑問を持たず笑い話でしていた私自身と重なることが多く、涙がでるように読ませてもらいました。「精神疾患の家族と暮らすつらさの話を、できるなら当事者の目や耳に入れたくないと思い言えなかった」相手も自分も辛さを想起することはしないという、あなたの優しさと共に圧し掛かっていたものの重たさも感じずにはいられません。

頑張っている母を援護し、年下の弟の面倒を見る。自分を後回しにしつつも、そんな家族を守る、精一杯あなたはやってきたのだろうと思います。子どもが家庭を維持しようとすることは、実体験からもとても難しく大変なことです。「したいこと、ほしいものは無い。つらいことなんて無い。甘える、わがままを言う、反抗期をする、そんなの有り得ない。」子ども時代のあなたには、それが真実だと感じていたと思います。自分だって大切な存在なんて夢のまた夢、ままならない暮らしと格闘するだけで精一杯だったと、自分の当時を重ねてもそんな言葉が出てきます。

誰かのためにが習慣化するとどんな場面でも踏ん張りが効くのですが、こと自分のことになるとその方法がわからない。「私にはもう、頼る、弱みを見せる、甘える、そういったことは無理なんでしょうか。」自分の中での自分は「自分なんて」で止まっていて、誰かにSOSを発信する以前に「自分の声には耳を傾けない」というルールが染みついているのではないでしょうか。自分の痛みを感じ、手当てするということは言葉ほど簡単ではないのかもしれないですが、腰が痛いからマッサージに行ってみよう、体がむくんでいるから岩盤浴に行ってみようなど、自分のことを気に掛けてみるそんなことから手当していくのもいいのかもしれません。家族を大切に思い行動してきたあなた、自分自身に労いの言葉をかけてあげられたならと願うような気持ちになりました。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

経験談を書こうかどうかも悩んだのかな…当時の光景を思い出して文字にすることはあなたにとってどういう時間だったのかな…そんなことを思いながら読ませてもらいました。
そして多くのものを見てきたことが文章からも伝わってきました。小学生を終えたばかりのあなたにとってあまりに多くのことが重くのしかかってきましたね。特に最も気をつわなければならない父が毎日家にいる状態を想像するだけでそれがどんなに子どもにとって大変な状況か想像できました。家族に気をつかい、お世話をする…周囲を観察してその感情を読み取り、自分を犠牲にしてふるまいを考える…。(あなたの言葉を借りれば)したいことやほしいものはたくさんあって、つらいことがつらいと言えて、時にはわがままを言い、反抗だってする、それが安心してできるのが子どもだと思います。あなたはそのすべてを自分の心に押し込めて全方位に気をつかって毎日を過ごしていたんですから、感情や意思を感じないようになっていても不思議ではないだろうって私は思いました。
過去を言葉にできるようになると、同時にその理屈もわかってきます。すると自分一人がそれを請け負った辛さや理不尽さもじわじわと認識しそうです。誰かと親密な関係になることを反射的に拒否してしまうのも頷けます。ケアすることはあってもされることがなかったとすれば優しくされることに違和感や不快感を感じるでしょうし、またケアしなければならない他者が存在することへの拒否感があるのかなと私なりに想像しました。
今回の投稿はまさにSOSの一歩だと思います。他の誰でもないあなた固有の言葉で話し、それを理解される時間をこうやって少しずつ重ねて欲しいと私は感じました。まだあなたがあなたを優先して行動することはすぐには難しいかもしれませんが、よかったらまたここにそっと気持ちを置きに来てほしいです。投稿ありがとうございました。

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