経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

統合失調症に振り回され生活が破綻

情緒不安定な母親、亭主関白でキレたら殴ってくる父親、発達障害で情緒不安定な兄、勝手に入信させられた宗教、その他生育環境に問題があり、その上で20歳の時に統合失調症の発症による寝たきり。子供の時から、心をかいりさせて、なんとか自分を保って来たけど、成人して、経済的な自立というハードルが加わることによって、不健康な自分という存在は社会から淘汰され、自宅に引きこもる毎日。唯一、通院先の先生がしっかりしているから、そこに安心感を求められるけど、社会とどう距離を取ってもいいかわからず、困惑する。
変えられない過去に執着しては、感情が振り回され、時間を消耗していく日々に感じる焦りもある。書きなぐりになってしまったけど、ここの人に見てもらって感想が欲しい。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。幼少期からの環境の過酷さが、そのまま心と体に重くのしかかっていることが、ひしひしと伝わってきました。情緒の安定を得られない家庭環境で、宗教の強制、お兄さんや両親の振る舞いが与える圧力…そうしたものの積み重ねが“心をかいりさせてなんとか自分を守る”という生き方を形づくってきたのだと私は思います。まだ子どもであるうちから、自分の心を外へ切り離すような工夫をしなければ生き延びられなかったという状況は大人になってからも色々な場面で影響が出てしまうもので、どこにもやり場のない感情を常に抱えているようなそんなイメージを勝手ながら抱いています。
また、大人になった途端に“経済的に自立せよ”と社会からは迫られ、その前提には“健康であること”が当然とされていて、統合失調症という病の発症によって、その前提自体が崩れてしまったのだと感じます。そのときに感じる“淘汰される”という感覚は、病気そのものだけでなく社会の仕組みが“弱さ”や“不調和”を抱えた人を排除していく現実と結びついているのだと私は思いました。そのような中で、通院先の先生が唯一しっかりしていることに少しだけホッとした自分がいます。ただ一方で、“社会とどう距離をとればいいのか”という問いに対しては、誰も明確に答えられるものでもなくて、生きることを続けるために必要な“ちょうどいい距離感”を見つけることは、本当に難しいことだな…と改めて考えさせられました。
過去に囚われ、感情に揺さぶられ続ける時間が“消耗”として意識されることは、単に前向きになれないということではなく、社会の時間軸と自分の時間軸が合わずに取り残される感覚に近いのかもしれないなとも思ったりしました。書きなぐるようにでも言葉を外に出すことは、少なくとも“自分の存在を誰かに知ってほしい”という気持ちと(全然違っていたらすみません)、それを表現する力が残っている証でもあるように私は感じました。
そんな容易なことではないのは承知の上で、どうかこの先、心が乱されることなく安心して過ごせる時間がほんの少しでもあなたに訪れることを願っています。また何か伝えたいことや気持ちを外に出したい時などはいつでも死にトリに声を届けてほしいです。

感想2

それぞれの人間性や特性が絡み合う家庭での人間関係と、(全てが書かれているわけはないかと思いますが)様々な生育環境における要因の中で「何とかして」投稿者さんが生き延びてきた、そんな印象を読ませていただいて感じていました。親同士の関係や親と子の関係の歪さ、安心できる居場所として家が機能していない中で育った私としては少なからず重なる部分があったのとともに、簡潔にわかりやすく綴られている文がスッと頭の中に入ってくる感覚がありました。

家や家庭には「物質的な部分」と「安心を感じる拠り所としての部分」の双方があるのかなと(私自身の経験も含め)思いますが、それはどちらが欠けても過ごす人間(特に幼い頃や若い頃)は負荷を感じる空間になってしまうように個人的には思います。

そういったことをおそらく投稿者さんも感じていて(想像ですみません)、日々心がとても削られるものとなって「なんとか自分を保ってきた」ともあるように、かいりをさせないととてもじゃないけど生活することがままならないことに追い込まれていたのかなと私には思えました。ただそれは、ある種の生き延びるための術や生存本能であって、(不健康を抱えることになっていたとしても)複合的な要因が作り出した状態であるように感じられました。

統合失調症による寝たきりの状況であったり、成人して社会との接点を持つことや経済的な自立がハードルとして加わったことには不安や焦燥感も当然あるかと思います。しかしながら、それだけの不安に苛まれている状況で、自身で「安心を求められる」と言える存在に投稿者さんが繋がれていることにはどこかほっとしている私がいます。。。

今の自分が未来を形作るとするなら、過去の自分(というよりは受けた影響でしょうか)に今の自分が影響を受けることはなんら不思議ではありませんし、投稿者さんが「過去に執着している」とは私にはどうしても思えません。ですが、社会との距離感や日々感じる消耗や焦りもまた確かなものだと思うので、自分のペースで、自分が出来る範囲で、自らの歩みを少しずつでも進められるこれからであってほしいなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

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