経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

あの時の行動は正しかったのか

私の人生はあの時変わった。
私は現在大学生です。
ですが、中3でいじめにあってから人生が変わりました。中高と6年間の学校だったので、そこから高三まで辛い現状は続きました。きっかけは、もともと私は体を動かすことが大好きで運動部に入部し、楽しい学校生活を送っていましたが、ある日急に同学年の中で1人はぶられました。それはだんだんエスカレートし、しまいにはSNSで悪口書かれ、一緒に部活したくないから辞めてと直接言われたりしました。私はそんなことで辞めたら負けだと思っていたので辞めませんでした。ですが部活に行こうとすると怖くて足が向きませんでした。そこから、いつかは行けるようになることを信じて、部活は辞めずにお休みしてました。引退する1年前、このまま引退したくなくて顧問の先生に相談し部活に復帰しようと準備を進めていました。ですが、行こうとしたら何故か体が動かなくて、倒れてしまいました。泣きました。行きたいのに、体は拒否してたんです。そこから、毎回過呼吸や、脱力、倒れながらも部活に行こうと必死でした。そんな日々を送るうちに、自分が情けないし悔しいし、どこで人生間違えたんだろうって思って、死にたいと思い始めました。毎日、死にたい気持ちが強くなり、いろいろな方法で死のうとして、ついに倒れました。そこからしばらく家で動けなくなって、頭が痛すぎて仕方ありませんでした。親には何にも話せていなくて、脳外科に連れてかれました。そこから頭痛が毎日ひどくて、脳外科に3日に一回のペースで通ってました。親も病院の先生も本当のことを知らずに色々な薬を処方してて、バカみたい。結局勇気なくて死ねなかったけど、今でも夢に見るし、あの時のことは一生忘れないと思う。いじめてきた奴らは絶対忘れるだろうから、私は覚えてないと。本当に無かったことになっちゃう。
あの時、死んでれば良かったよね?
今でもずっと後悔してる。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。読ませていただきました。時間が経ってなお今のことのように語られるあなたの言葉の中に、言葉にしきれないとても複雑な感情を感じています。いじめに立ち向かいたいのに、恐怖心から体が動かなくなる。それをきっと幾度となく繰り返したのだろうと思いました。行きたいのに行けない、心と体が一致しないことは、きっとここに書いてくれた以上に涙し、苦しい日々だったのではないでしょうか。言われた言葉や悪口で心の傷が深い上に、できていたことができなくなること、やりたいことがやれないことはあなたが元気になる機会も奪われるようなことだとも思いました。

親や先生が親身になってくれるほどに、あなたの死にたいほど辛い気持ちは伝えにくかったりもしたのかなと想像しています。あなたの「死にたい気持ち」から、言葉にできないけれど本当は言いたい何かがあったりするのかな、と思ったりもしています。

「あの時のことは一生忘れない、私は覚えてないと、無かったことになっちゃう」という文章から、悔しさ、苦しさ、憎さ、怒りなどどこにぶつければいいのかわからない気持ちを受け取りました(違っていたらすみません)。そんなあなたの複雑な気持ちに触れると、いじめた人にはもれなく全員、いじめの同じ痛み、同じ経験をさせたいと思ってしまう腹黒くなる私というのもいます。どうして「いじめって格好悪いよね」という学校や社会にならないんだろう。

私も、あなたと共にいじめという理不尽があったことは誰の分も、無かったことにさせたくない思いで、自分の胸に刻みたいくらい忘れたくない。あなたの死にたい気持ちも受け止めながら、それでも、少しでも、今の気持ちから解放されて、前向きにあなたの心が軽くなる方法を一緒に考えたいと思っています。また、いつでも書き込みに来てください。

感想2

投稿読みました。抱えてきた苦しみがどれほど深く、あなたの心に刻まれ、そして長く続いているものかが切実に伝わってきました。中学でのいじめが、ただの一時的な人間関係のトラブルにとどまることなく、その後の高校生活全体を覆い、心身にまで大きな影響を及ぼしてしまったことは何だかあまりに理不尽すぎるな…と思ってしまった自分がいます。楽しさを見つけていた部活の場が一転して恐怖の対象になり、行きたい気持ちと体の拒否反応がせめぎ合う中で、自分を責めざるを得なくなっていった過程に、勝手ながら胸が締め付けられるような感覚になってしまいました。
また、死にたいという思いに日々囚われ、行動にまで移さざるを得ないほど追い詰められていたこと、その中で親や医師に本当のことを言えず、痛みや不調だけが表に出てしまったことは一人で背負っていかなければならない、そんな孤独感も抱いているのではないかと想像しています。「死ねなかった」ことを後悔として抱え続けていることも、それだけ強い心の痛みに耐えてきた証だと思いました。過去と今が途切れることなく、日常のあらゆる場面で支障をきたしてしまう…いじめによる影響の大きさはいくら時間を重ねようと完全に消えるものではないことを私も経験して思うことです。
社会的に見ても、学校という閉じられた場でのいじめは、外に届きにくいまま孤立させる構造があるように思います。教員や周囲が「見えないもの」として扱ってしまうことで、被害を受けた側が「無かったことにされる」体験を強いられてしまうというのか…。あなたが「いじめてきた奴らは絶対忘れるだろうから、私は覚えてないと。本当に無かったことになっちゃう。」と感じているのは、その構造が生んだ現実そのものだと感じました。
そして今もなお、“あの時死んでいれば良かったのでは”と考えてしまうのは、単なる過去の記憶ではなく、今も続いている心の痛みの現れであって、いじめの加害者は忘れるかもしれないけれど忘れられない傷を抱えて生き続ける人がいる、その事実をこの社会がこれまで受け止め損ってきたこと含め、考え続けていかなければならないことだとあなたの文章を読んで痛感させられました。きっと、書ききれなかった思いがまだあなたの中にあるように私は勝手ながら感じています。そう簡単にあなたの抱えている苦しさや傷が癒えることはない(無理に癒す必要もないとも思いながら)とは思うのですが、せめてあなたが抱くそのままの感情を自分の中に溜め込みすぎることなく、安心して自分の中から取り出せたり、置いていくことができたりするような場が増えていくことを願っています。その一つとして死にトリは在り続けられたらなと思うので、また良ければいつでもあなたのタイミングで訪れてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。

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