外にいる時にマスクをしないと唇が痛くてコンビニに行くのすら無理というくらい強い痛みに小6から襲われてます。人に見られると痛みが増すので現在外出する時は常にマスクです。中学の時はブサイク隠しだと言われたり笑われたりしてマスクをつけることに対して恐怖症みたいになり学校の中でマスクをつけられませんでした。唇の痛みで一分一秒が辛く、頭の中では痛い痛いとしか考えられませんでした。次第に痛みからくるストレスで胃腸の病気になりました。授業を4時間ほど聞くとお腹からすごい音が鳴り、唾液も飲み込めなくなり唾液で溺れそうになりながら1秒1秒がすぎるのをただ耐えてる毎日でした。お腹が鳴るのを抑えるために親指でお腹に穴が空くんじゃないかってくらい強くお腹おしてました。また学校ではよく容姿を罵倒され、ストレスで胃が荒れて息が臭くなっていた為臭いなどよく言われ心がすり減っていきました。そんな中、勉強をすれば救われるという漠然とした期待があり勉強を頑張ってました。しかし高校に入ってすぐまたいじめられて今度は胃腸の痛みが限界になったので2年の途中で中退しました。しかし勉強は継続して、マスクをつけてる職種(例えば薬剤師)になればまだ生きれると思い家でずっと勉強してました。また、いじめにも打ち勝てるよう筋トレもしようと頑張ってました。しかし17歳の時から筋トレと勉強ばかりしていたせいか首が痛くてペンを持つのもきつく勉強がほとんどできなくなってしまいました。ですが勉強を早めに取り組んでたおかげで勉強貯金があり放射線学科のある大学になんとか合格できました。しかし首の痛みが増してきてさらにペンを持つのがしんどくなりました。加えてパソコンを使うと腕が痺れて首周りが固まり喋れなくなる症状に見舞われパソコンも使えなくなったので大学中退せざるをえませんでした。中退後仕事はしないとと思い、人と会わなくてパソコンも使わない仕事を探したところ配達が条件にあったので配達の仕事に申し込み、採用されました。しかし過去の辛い気持ちがフラッシュバックすると目を1秒くらいつぶってしまう症状が出ていつか事故るかもしれないと思いながら続けてたところ親族の仕事の手伝いをしないかと言われ手伝いをすることになりました。それで現在もその手伝いをしています。パソコンを使えなく、字を書くのもきつく、マスクがないと人と話せず、デスクに向き合い続けるのも胃腸が荒れて出来ないので本当に出来ることがありません。家の仕事の手伝いもほぼほぼやることがないので実質ニートです。親族の仕事が上手く行ってるので食べるのには困りませんがいつまで続くかわかりません。社会的に完全に孤立して親戚にもダメ人間のような目線を向けられます。こんな生き地獄を生きなきゃいけないならもう死にたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きる目的がないです。
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。タイトルの「生きる目的」に目が止まって、自分自身にも問いかけながら読ませていただきました。
口元に注目が向いてしまうことへのヒヤリとした恐怖、自分の苦労を知り得ない相手から揶揄されることのショックと悲しみ、痛みを我慢してただただ時間が過ぎるのを待つしんどさ・・簡単に「大変でしたね」とは言えないような描写の数々に、想像してもしきれない苦しさを感じています。
集団生活はなかなかにつらかったのではと思いますが、そんな中でも自分の力で道を切り拓こうと試行錯誤していたことを感じました。いつかは努力が報われるという微かな期待が、あなたを支えてもいたのでしょうか。首の痛みや腕の痺れに見舞われていよいよ限界を迎えたことは、崖から突き落とされるような絶望でもあったのではないかと感じています。
中退後すぐに仕事を探して実際に行動に移していることには、率直に言うと少し驚いてしまいました。「仕事はしないとと思い」と書かれていましたが、しんどい身体を動かす原動力は何だったのだろうと、聞いてみたい気持ちになりました。
文末に、あなたが親戚から「ダメ人間のような目線を向けられる」ことが書かれていましたが、私は憤りとともに大きな疑問を感じてしまいました。痛みや苦しみと絶えず戦い続けているあなたに、誰がそんな評価的な目線を向けられるのか・・。周囲から向けられるまなざしに重ねて、あなた自身も自分に対して厳しい目を向けているのだろうかと感じました。
現状を「生き地獄」と表現されていましたが、そう思うのも無理のない過酷な経験を重ねてきたと思います。つらい痛みと不安を抱えながらの生活がこの先も続いていくと思えば人生に失望してしまいますし、周囲に理解されない深い孤独の中で、溺れそうになりながら一日一日を凌いでいることを想像しています。
死にたいと思うほどの苦しさを目の当たりにして、こちらも身を切るような痛みを覚えていますが、どこかで幾度となく困難な状況を乗り切ってきたあなたの力を信じたいと思ってしまう私もいます。後者の思いを伝えることは、あなたにとって苦しみをさらに深めてしまうかもしれないと葛藤しながらも、思い切って書いてみました。また、「生きる目的」とは何なのか、一緒に考えてみたいなと思いました。またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
投稿読みました。身体の痛みや不調が、ただ肉体的な負担にとどまらず、日常生活や人間関係、進学や就労といった人生の大きな選択にも重く影響を及ぼしてきたという現実が伝わってきて、勝手ながら胸の詰まる感覚になりました。痛みは目に見えないことがほとんどなので、周囲には理解されにくく、それが長期間続くことで、あなたの中で社会との接点を保つ力や意欲そのものが削られていってしまったように私は感じています。
身体症状に加えて、いじめや外見に対する周囲の言動や雰囲気、さらには胃腸や首、腕の症状による学業・仕事の断念など、いくつも折り重なった困難が蓄積されてきて、そこには、学校や職場といった集団生活が“健康で、一定の身体条件を満たす人”を前提に設計されているという社会的な構造の問題を感じずにはいられませんでした。こうした環境の中では、痛みや体調不良を抱えた人が、努力や根性だけではどうにもならない壁に突き当たるのは当然で、その挫折感は深く刻まれるものですし、死を意識してしまうのも無理もないことだと私は思います。突然の自分語りで申し訳ないのですが、私自身も過去の経験が影響して心身に不調が出やすく、調子の良い日のほうが少ないためたびたび仕事も思うように動けなかったりすることが多いです。幸いにもそうしたことに理解のある環境にいますが、それでも不安は拭えず、体調を崩すたびに絶望感はどうしても抱いてしまうので、安易にあなたの気持ちを「わかる」とは言えないですが、抱く感覚に関しては共感できるな…と思ったりしました。
しんどい状況の中でも、勉強や筋トレといった“自分なりの活路”をあなたは必死に見つけ、取り組んできたのですね。完全に諦めることはせず立ち向かおうとしてきたことは紛れもなく、あなたの中にある力だと私は感じました。でも、その努力さえも身体の限界に阻まれ、次の道を選ばざるを得なかった経緯が、やり場のない悔しさや虚無感をより強くしているように感じられます。今、親族の仕事を手伝いながらも、社会的役割の希薄さや他者の視線に苦しむ様子には、「働くこと」や「社会に属すること」をめぐる価値観が存在意義を左右してしまう、この社会の厳しさを改めてあなたの文章を読んで痛感させられ、何とも言葉にならないもどかしさというのか悔しさというのか…そんな感情を抱いてしまいます。個人の弱さや怠惰として扱うのではなく、痛みや病気を抱える人がどれほど制度や文化の隙間からこぼれ落ちやすいか、というのをもっと社会に広く知られる必要があって、あなたの経験談はそうした社会へ知ってもらうための貴重な声の一つだと私は思いました。
こうして自分のことを言葉にすることであなたの抱えているものをちょっとでも軽くしたり、心持ちが変わるようであればまたいつでも死にトリを活用してもらえたらなと思います。投稿、ありがとうございました。