経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

枯れはてた感情をどう取り戻せばいい?

久々に希死念慮におそわれ、まずいと思いここに吐き出させていただきます。
現在、重度のうつ病と診断され投薬治療を受けている身です。
昨年秋に会社をやめ療養に努めていますが、一向に回復の兆しが見えず出口のない迷路を彷徨っているようです。

会社に勤めていた頃は過酷な納期に追われ無茶振りは当たり前、それでも暗黙の了解と言わんばかりにやることを強要する上司。家族も感情的で相手を慮るようなことをしない人ばかり。幼い頃から「いい子にしてないと見捨てられる」という強迫観念があり、いい子ぶりっこをして数十年生きてきました。
疲れる、辛い、怒り、こんなにやってるのに報われない、そんな気持ちが溜まり「いっそ何も感じなくなってしまえば楽なのに」と何度思ったでしょう。

そして今まさに感情が湧かず「心が枯れた」状態が一年ほど続いています。医者からは重度のうつ病による症状の一つと言われましたが、いつも家族や他人ファーストで自分を抑圧し続けた結果なんだろうなと感じています。
悲しい・苦しい・辛い…そんな気持ちは溢れんばかりにあるのに、感情的に表に出せず涙も流せなくなってしまいました。好きな事をして一時気分が良くなっても、ふと気づけばがらんどうの空虚な気持ちに満たされます。
この気持ちをぶつける先もなくどう発散すればいいのかわかりません。
生きたいと心から願っているのに死にたくなる。果てのない絶望に耐えきれず、いつかぷつっと何かが切れて消えてしまわないかと思うと怖いです。

私はただ、私を取り戻して生きたいだけなのに。

感想1

投稿を読み終えた時に「感想に書きたいような言葉はすでに投稿者さんが言葉にしているなぁ」って思いました。それほどあなたは自分の心の変遷や感情の在り処、対処法、意思が明確にあるようです。同時にそれにリアルな感情が伴っていなくて、取り戻したい本来の感覚があることもわかっているんですね。
幼い頃や仕事をしていた頃の話が印象的です。いい子やいい人を演じ続けてきた結果、緊張の糸が切れて限界を感じているように私には思えました。演じてきた間は、周囲の誰か(家族だったり上司だったり)を優先にして、「私」を主語として生きてこれなかった期間。一方で今は「私」を主語とする時間が持てているからこそ、無感情になっている時なのかもしれませんね。これから私が私を生きる(私を取り戻す…いや私を生き直す?)準備期間とも言えそうでしょうか。感じたい気持ち、願っている思いに少しずつ実感が伴ってくるまではまだ時間がかかるかもしれません。「私」を奪われてきた期間は短くなかったのですから…。
空虚な気持ちの中を時々あなたの言葉で満たしてみることで自分自身の感情を再確認して実感して行って欲しいなって私は思いました。そして今回のような他者との応答があるとさらに感情を伴うことができるのかもしれません。何か感じられた時にはまたここでその気持ちを教えてほしいなって思います。
投稿ありがとうございました。

感想2

経験談をを読ませてもらいました。自分のことやこれまでの人生についてじっくりと振り返り、分析しながら書かれた理知的な文章だと感じました。もしかしたら、医師との治療の中でも、自分のことを振り返る機会もあったのかもしれません。ただ、頭では自分の状況をある程度わかっていても、現状の変化がイメージできない中で、苦痛も募ってしまう現在があるのかなと思いました。

「自分を抑圧し続けた結果」と能動的、自己主体的な表現で書かれていましたが、どちらかというと家庭環境や、人間関係の中で、自分を抑圧することを学ばざるを得なかった、というのが実情ではないかと思いました。それは周囲の中であなたがなんとかその場を平穏に近づけるために、身を粉にしてきたということでもあるでしょうし、それを子どもであったあなたに担わせてしまった環境は理不尽だとも思いました。
逆にいうと、あなたは自分自身の感情や心身の疲労を押し込めるほかに、どのように取り扱えばいいか学ぶ機会が存在しなかったということでもありそうだと想像しています。

会社をやめてから、もうすこしで一年というところなのでしょうか。
療養に努めているこの一年は、あなたにとって「休む」ということや「回復」ということについてのある意味での試行錯誤の日々だったのではないかと想像しました。死にトリでも、休むことがむずかしい、どういうことが「休む」なのかわからないという話をよく目にしますが、私たちの社会では、セルフケアや当然の自己調整を学ぶ機会が不足していると私は感じています。(私も練習中の身です。)

「心が枯れた」状態というのは、私もうつ状態がひどかったときに少しだけ経験があるのですが、あなたの文章を読んでいて、心から自分を切り離す、解離のような構造の部分もあるのだろうか……あるいはエネルギー切れのような感じで、感情を受け取ることもむずかしい状況もあるかもしれない……と考えたりしました。
エネルギー切れにしても、解離のような状態にしても、心は身体にとても紐づいているのでまずはあなたの身体が休まることも大事だし、あなたの文章からは、あなたの長年の心身の疲弊の堆積を感じたので、時間がかかるのも無理はないように思いました。

回復の兆しをつかむのも簡単ではなさそうだし、右肩上がりのような単純な経過でもないのかもしれないと思いますが、たとえばこうやってあなたの思いを文章にすることも、経験談として送ってくれたことも、なにかしらのあなたの心身のはたらきの一部ではあるのかなと思いました。希死念慮で「まずい」と感じた中、死にトリを活用してくださったこと、ありがとうございます。私も、希死念慮は長くあるし、綱渡りのように感じることもあるのですが、あなたの言葉をここで受け取ることができて、うれしく思っています。
感情が湧かない中で文章にするのは、苦労もあったかもしれないですが、この経験談から(私の単なる思い込みかもしれませんが)私はあなたの心のかけらを見せてもらったような気がしています。

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