もとから明るい性格ではありませんでした。幼い頃から人見知りで口数も少なく、人の輪に入っていくのが難しかったと記憶しています。それでも、普通で穏やかな日々を送っていたと、今振り返ると思います。
小学生の頃、授業中にお腹がガスで張るようになったり、お腹が鳴るようになったりしました。お腹が張っておならが出そうになって、我慢しているつもりでしたが我慢できていなかったようで、すぐにクラスメートたちにバレてしまいました。それからしばらくはなんとか登校していましたが、数年後、体調を崩して休んだのを機に不登校になりました。それからは行ったり行けなくなったりを繰り返し、大学生の今も似たような感じで過ごしています。また、大学生になってから人の視線が過度に気になり、それによって授業や電車での緊張や不安も大きくなっていきました。不登校になる少し前から緊張や不安が強くなった感じはありましたが、大学生になってからより強くなりました。廊下を歩いているだけで、電車に乗っているだけで、みんなが私を見ている気がして、噂話を言われているような気がして、目も耳も覆いたくなります。そのうち、私は先生も含めた学校の人全員から嫌われてるんだとか、家族からも嫌われてるかもしれないとか、考えても仕方のない確かめようのない考えが浮かんでくるようになりました。最近では、授業中に迷走神経反射で倒れそうになったことがきっかけとなり、始まったら90分出られなくなるというのが不安でたまりません。お腹が張るというのも現在も続いています。
そんな日々を繰り返す中で、こんな私は死ぬべきなのかもしれないと思うときもありました。ですが、現実的に考えて、私が死んだら親に金銭面、精神面で負担や迷惑をさらにかけることになるので自ら命を断つことは諦めています。正直、死にたい気持ちが全くなくなったわけではなく、今でも突発的に死のうかなと考えることはありますが。
今は過度な不安や緊張によって歪んだ考えを正すところから取り組んでいます。もうすぐ夏休みなので、もう少しだけ頑張ってみます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
平穏ないつか
感想2
お腹のガスがたまって大きな音が鳴ってしまう状態は自分も経験したことがあるので、教室で困るというのはリアルに想像できます。自分ではどうしようもないことなので、行かなければいけない学校で本当に苦しい状況だったのだろうと思います。経験談を読むと、もともと不安や緊張が強いタイプだったのだろうと思うと、何かがなくても学校という集団生活の中でたくさんの不安や緊張があったと思いますが、それに加えてお腹のガスと付き合うのは相当に厳しいことだったと思います。子どものあなたにとってはとてもしんどく、それで学校に行けなくなっても無理はないと思いました。
学校は義務教育でいろいろな子どもたちがみんな行くところなのに、標準的な一部の子どもを想定した環境設定がされていて、必ずしも誰にとっても過ごしやすいところではないと感じています。あなたのように不安や緊張が強い子どもにとってはかなり心身ともに消耗するところだったのだろうと思いました。高校や大学と少し自由度が増して、それほどストレスにならず通えるようになることもあるようですが、あなたの場合は小学校時代のお腹のガスの出来事が心のダメージとして残っているように思いましたし、安心して学び、過ごせる場所ではなくなっていたのかもしれません。おそらく学校に行くことが嫌だったわけでもないだろうし、学びたいことや経験したいことはあっただろうと思います。でも、残念ながらあなたにとっては既存の学校という環境が安心できるところではなく、学ぶ機会を得ることができなかったのだろうと思いました。あなた自身は自分のメンタルの課題だと思うかもしれませんが、私は学校という仕組みの限界を強く感じました。タイトルにもある「平穏」はあなたのごくささやかな願いであり、権利だと思いました。それが子どもの頃から保障されずに自分を責めて過ごしている様子を知り、もっといろいろな子どもたちがのびのびと穏やかに過ごせる環境を保障しなくてはと感じています。
子どもの頃のあなたが平穏に過ごせるような学校とはどんなところなのか、あるいは学校ではなくても、どんなところだったら穏やかに過ごせたのかあなたの意見を聞いてみたいと思いました。これからも、よかったらあなたの声を届けてください。
感想1
タイトルの「平穏ないつか」という言葉が持つ、今とは違ういつかへのまなざしが気になって、経験談を読み始めました。あなたの20数年を振り返りながら、あなたの過去から今までのことが整理されて書かれているのが印象的でした。
お腹がなったり、おならが出たりすることは、コントロールのむずかしい身体のことで、それが我慢したり隠したりしなければいけないということ自体が、本来とても暴力的で理不尽なことだな、と思います。でもそれは実際、あなたの学校での大変さをとても大きくしたものだったのだと思いました。きっとたくさん、あなたは自分を外からみて大丈夫か、問題ないかを気にし続けなければいけない緊張の中にずっといることを想像しています。その中で、他者の視線が気になり、不安や緊張が膨らんでしまうことも無理はないと感じました。あなたの中で、頭では「過度」だと認識する気持ちと、実際に浮かんでくる不安や緊張のギャップもしんどさのひとつなのかなと思いました。私も長らくメンタルの不調があり、よく死にたくなっていますが、死にたい気持ちを感じる要素の中には自分自身のままならなさと、人間関係の中でそのままならなさが露呈したときのしんどさもあるなぁと思っています。私は「歪んだ考え」…とも思わなくて、ただあなたが人間関係の中でなんとかやっていくためにやむを得ず身につけた癖みたいなものなのかなと思います。ただ、その癖自体に困ってしまう状況があるから、変えたいという気持ちでいるのかなと想像しました。
夏休みははじまったでしょうか。どんなふうに過ごしているのかなと気になっています。きっと元々あなたはずっと頑張って我慢したり、コントロールしたり、力を使ってきていると思うので、夏休みというのだから少しでも休めたらいいな……と思ったりもしました。最後まで読んで、「平穏ないつか」という言葉は、幼い頃の「普通で穏やかな日々」のことを指しているのかなと思いましたが、もしかすると、未来に穏やかな気持ちを投げかけるような言葉ともとれるのかなと思いました。投稿してくれてありがとうございます。