経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

強まる孤立感、憎しみや拒否感情を抱えて過ごす日々。

お久しぶりです。1年半くらい前に、前回経験談に投稿させていただき、コメントを頂きました。温かいメッセージに心が落ち着き楽になるような感じがしました。ありがとうございます。

あれから、大学を退学して1年位は外での対人交流をぎりぎりまで少なくして引きこもりの様な生活になりかけていました。その時、自分から今まで話を出来ていた知り合いからも遠ざかっていたという感覚もあります。しかし落ち込みが酷く、感情も乏しかったため一人で過ごさざるを得ない状況だったと思っています。
現在は、活動的になり始め、外出頻度や回数も増えて外での他人との交流を増やしたい気持ちが高まっています。
ここ最近の繋がりとしては、数年前から通っていた居場所型の支援施設と精神科の二つくらいです。あとは、家族や親せき、知り合いとの手紙のやり取りもあります。

今の所、人間関係に恵まれていて、孤立はしないで過ごせています。しかし、精神科の治療(入院や薬、診察)への不信感が高まり、外来に予約外で通ったりするのに病院と縁を切ることを考えてしまいます。
ちなみに、精神科に関しては1年位胃腸の悪さと効き目の関係で薬は貰わずに主治医と話をして通院を続けています。精神科への入院は、10年位数十回以上繰り返していましたが、直近一年はゼロで今後もしないで過ごしたいと強く思っています。
病院に限らず、自分が通っている支援施設や親等様々な人や場所に恨みや憎しみなどネガティブな感情が強く感じられます。感情的になってつい悪口や否定的な言葉を外の人に喋ってしまう事もあります。

自分が周囲に多大な危害を加える社会の敵の様な存在にどんどんなっていきそうで、不安が強いです。傷つきも怖いので、人間関係から離れて他人を傷つけるより、自分を押し殺さなければという事も何度も考えています。難しい対処法かもしれません。

結局、未来は自分の考えた通りになると決まったわけでは無いし、最悪の結果は起こらず楽しめる事も増やしつつ生きられるかもしれません。でも、毎日のように悪い妄想や最悪の未来の予想が頭に浮かんできてしまうのです。そういう性格かなと少しは割り切れるようにはなりました。

人の集団から離れて、独りぼっちで話す相手もなしで過ごすのは落ち着くのですが、強い寂しさを感じます。でも、人と付き合おうとするとハリネズミの様に行動や言葉で人を傷つける自分が居て、同時に傷つきも感じて。これからもこんな感じで何年も過ごすのかと思うとうんざりします。愚痴のオンパレードで、誠にすみません。

読んで下さり、ありがとうございます。

感想1

繰り返しの投稿をありがとうございます。経験談を自分のために活用している様子が伝わってきて、嬉しくなりました。また、死にトリだけではなく、いろいろな支援機関なども自分なりに考えて活用したり、そこで自分のことを相談したりと工夫や試行錯誤がうかがわれました。
最近「予測誤差理論」というものを知りました。人は自分が予測したことと違った現実を目の当たりにした際に傷ついたり、ストレスを受けていくというもので、あなたの書いていた「結局、未来は自分の考えた通りになると決まったわけでは無いし」というあたりが、予測誤差の理論でいうと、あなたが自分の予測の幅を広げることができたのかな?と想像しています。ただ、そうはわかってても私たちは期待してしまうことががたくさんありますし、その通りにならないとストレスがかかることもあります。自分なりに折り合いをつけていく方法をぼちぼちと探していくしかないのだろうと思います。
最後に、「愚痴のオンパレード」とありましたが、愚痴を言えるのって実はものすごく大切なことだと最近、話題になりました。愚痴が言えないと、知らないうちにどろどろとした悪いものがたまってしまっていて、それが自分もよくわからないところで、自分を攻撃したり、他人を攻撃したりしていることがあるかもしれないと思うのです。だから、今回の経験談のように、ちょっと愚痴を吐き出せるのはあなたの力だと思いますし、その先として死にトリを再び選んでくれたことをありがたく思いました。また、これからも役に立ちそうなら、あなたのタイミングと方法で活用してみてください。待っています。

感想2

再度の経験談への投稿ありがとうございます。
私は初めてお返事を書かせていただいていますが、その後の状況をお便りで知らせてもらったような気持ちで読みました。

前回は進路について悩んでいることが書かれていましたが、退学を決断して、周囲から物理的にも心理的にも距離を置いた場所で静かに過ごされていたのですかね。
少しずつ持ち直してきたけれど、他者に向いてしまう恨みや憎しみを自分でもどう扱っていいのか分からず困惑しながら、他者との関わりに苦悩していることを感じています。
思わず相手にぶつけたくなる衝動と、コントロールが効かない自分自身への恐れや不安の間で葛藤があることも感じています。
それは、振れ幅が大きければ大きいほど、自分に跳ね返ってくるダメージも大きいように思います。
相手を故意に傷つけようとしているわけではないということも、文章から伝わってきました。
ご自身の対人関係を「ハリネズミ」と表現されていましたが、本当は相手のことも自分のことも傷つけたくないのになんでこうなってしまうのか・・と、あなたが抱える深い悲しみや無力感に、私も胸が詰まるような思いでいます。

怒りは二次感情で、根底には一次感情がある・・と誰かから聞いたことを思い出していますが、表出される恨みや憎しみを掘り下げていくと、その奥にはどんな心の声が潜んでいるのだろうかと聞いてみたい気持ちになりました。
もしもSOSのサインであるとすれば、それを押し殺さなければならないのは、あまりにもつらいことだと感じてしまいます。
毎日のように悪い妄想や最悪の未来が頭に浮かんできてしまう、とのことでしたが、これ以上自分が傷つかないようにと、イメージすることでダメージを最小限に抑えようとしていることでもあるのかなと感じました。
他者に対していろいろな感情を持つことは何も悪いことではないと私は思いますが、お互いに針が当たらない、ほどよい距離感はどの辺りにあるのかなと考えています。

思ったことをつらつらと書いてしまいましたが、またよかったらお話を聞かせて下さい。

お返事

私が送ったの経験談を感想を下さり、ありがとうございます。丁寧な文章で、私の文章に応えて下さり、とても嬉しいです。
「予測誤差理論」という言葉があるのですね。初めて知りました。勉強になります。まだ、少し見方が広がっただけだとは思うのでこれからも想像と現実のギャップに傷ついたり驚いたりするのかなと。
愚痴を溜めてしまうより、吐き出せるときに吐き出していくのが大事なんですね。これからも、方法を問わず愚痴を話したり書いたりして行けたらなと思います。

感想2の文の中で、「自分の事も、相手の事も傷つけたくないのに、なんでそうなってしまうのか。」という所を読み、そうなんだよなと、その言葉に心の中で強くうなずきたい気持ちになりました。
実際、行動に起こして周りを巻き込んだ出来事に陥ると、まるで私がやりたい放題わざとやっているなと見えるんじゃないかと思う事がしばしばあります。
本当は自分だって落ち着いていた方が良いんだと言葉にもしますが、そう見えてしまうのも仕方のない事なのかなと思います。

互いの距離感が傷つかないために重要と私も考える事がありますが、近すぎず、遠すぎずは本当に難しいです。この頃は近すぎるよりは遠過ぎる方がマシなのかなと思って行動していますが。寂しがり屋なので、相手を遠ざけると直ぐに寂しくなってしまい、辛さがあります。しかしながら、距離感が大事だと知れたのは良かったです。時々意識したいなと思います。

改めて、私の文章を読んでいただき感想を下さり、ありがとうございました。

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