自分のやりたいこともなく、やらなければいけないことをこなす毎日にも疲れてしまいました。全てを捨てる勇気もなく、生きる目的が見つかりません。
幼少期の家庭環境や周囲の人間関係、昨年私自身が離婚したことがトラウマになっており、生きる気力が湧がなかなっているのだと思います。
私は両親と、異父兄弟の兄と姉、祖父母と7人家族で暮らしていました。幼少期は両親の仲が悪く、喧嘩ばかり。父は基本家には帰らない人でした。そして両親の喧嘩のたびに母親から、お前は父親の子だから離婚したら父親と暮らせ、兄と姉は私が引き取る、お前は橋の下で拾ってきた、と繰り返し言われ訳も分からず泣いていました。私は兄と姉とは仲が良く、両親よりも2人に育ててもらったと思っています。それゆえに二人とは違う家族なんだと思い知らされるのが辛かったのだと思います。
そして中学生の頃大好きな兄は、私と父の喧嘩を原因に家を出て、それ以来音信不通の行方不明に。母はそれをきっかけに重度の鬱になり、自殺未遂をしたり、理由もなく怒りに来たり、拒食症から毎日のように吐き続け、私の部屋の位置的にその音を毎日聞き続けななければならなくなりました。そしてどんどん家にいるのが苦痛になりました。いつかの喧嘩ではついに包丁を持ち刺されそうになり、祖父がそれを素手で止めて血まみれになりながら、こんな母親に育ててしまい申し訳ないと土下座をされました。その祖父も数年前に自死をしています。そんな家庭環境から、親に対する嫌悪感や家族に対しての居場所のなさを常に感じています。
また幼少期は声が高いかつ、緊張しいでたどたどしく話す癖がぬけず、ぶりっ子だといじめに遭いました。元々見栄っ張りだったため、うまく笑顔をつくる方法やぶりっ子だと言われないための口の悪さ、表面的な気の強さを手に入れ、いじめにはあわなくなりました。しかし逆にそこから身動きが取れなくなり、一定の線引き以上の甘え方や素直になる方法が分からなくなりました。本当の私は人から愛されるはずがないと思っています。
そんな中、居場所が欲しくて26歳で結婚しましたが昨年離婚。離婚のきっかけは家族や子供が欲しい欲しくないなどの、価値観の違いでした。いまは1人になってみて孤独感から抜け出せません。
私は周りが当たり前にできる人間関係の構築もできず、小さなことも我慢ができない社会不適合な性格なんだと、強く自覚するようになり、身動きが取れません。仕事もうまくいかず、仕事以外のプライベートでやりたいことも見つけられず、毎日が仕事で埋まり生きていく理由が見つけられません。仕事以外の役割や、誰かのために生きていい理由が欲しいです。よく自分で自立するしかないとは言いますが、頭でわかっていても自分の意思ではやりたいことも、楽しいことも見つけられないんです。
生きる目的がない、生きるためにお金を稼ぐ、でも生きる目的がわからない、寂しい、孤独、楽しみもない、居場所もない。一人の部屋で毎日そんな思考に駆られ、早く時間が過ぎて欲しいと思っています。あと1年で人生終わります、と。期限が決まっていたらいいのにと考える毎日です。
将来に希望も見出せず、仕事もプライベートもなんのために過ごしているのか、わかりません。やるべきこと、やらなければいけないこと、それをこなすだけの日々に何の意味があるのでしょうか。つらいです。
感想1
投稿読みました。何重にもなった苦しさと、それでもどこかで「生きなければならない」という声に押し出されて、なんとか今日まで生き抜いてきたことが伝わってきました。物心ついた頃から繰り返し刻まれてきた、心の奥深くに残り続ける傷がなんだか重くのしかかっているような、そんなイメージを抱いています。
お母さんからの言葉の暴力、きょうだいとの別れ、祖父さんの死など家庭内で繰り返されてきたことを考えると、誰かに“愛されるはずがない”と、幼い頃から刷り込まれるようにして育ってしまったことが、今の自己像の根底にあるように思いました。どこにも安心感はなかっただろうと想像しますし、常に気を張って生活していたのではないでしょうか。そのような環境の中で、人を信じること、素直でいることが難しくなってしまうのは、むしろ自然なことです。そして、無理にでも社会に適応するために身につけた「気の強さ」や「口の悪さ」は、あなたがサバイブするための装備のようなものだと感じますし、あなたに問題があるとか責任があるとかではないと私は思うのです。でもその装備が、かえってあなたを苦しめる理由となってしまったことに何とももどかしさを感じてしまいました。
結婚し、離婚という経験に至ったことも、「居場所が欲しくて」という言葉がすべてを物語っているように感じます。きっとあなたは、家族の代替となる安心や温もりを探していたのではないかと感じました。けれど、その関係すら続けられなかったという思いは、失敗というよりも、“自分で自分を守るために必要だった選択”だったのではないかなと私は思います。
タイトルにもなっていますが“生きる目的”がないというのは、今の社会で決して少数ではないのかなと他の経験談を読んで感じることですし、そして私自身も改めて考えて生きる目的ってない(思いつくのは仕事くらいです)なと考えていました。ただ、仕事は生活のために必要ですが、それが自分の人生を豊かにするとは限らない場合もありますよね…。人間関係はどんどん希薄になっていきますし、寂しさを口にすると弱さとして捉えられてしまう…そのような社会の中で、「目的」や「意味」を持ち続けることのほうが、すごく困難なことなのではないかと私は思うのでした。むしろそこを求めてくること(求められていると感じてしまう構造があること)に、本当酷な話だな…と辟易してしまいます。
「あと1年で人生終わります、と。期限が決まっていたらいいのにと考える毎日です。」という言葉には、時間に追われる苦しさと、終わりが見えない日常の不安が込められているのかなと感じました。心が疲弊しきってしまい、どこか諦めの気持ちも抱いているところもあるのかなと思いつつ、それでもあなたが今こうして自分の気持ちを言葉にしたことは、あなたの中で「まだ生きていたい」「何かを変えたい」という気持ちもあったりするのかなと考えたりしていました。(違っていたらすみません)
あなたの人生が、今すぐ劇的に変わるとか希望を持てて明るくなるといったことは難しいことかもしれませんが、それでもあなたの言葉はここ(死にトリ)に確かに届いたし、私は綴られた思いを静かに受け止めたいと思ったことをお伝えしたいです。この先少しでも安心できる時間や、安心できる人との出会いが、これからあなたに訪れることを心から願っています。また辛さを抱えきれなくなった時や、必要に感じられた時はいつでも死にトリに声を届けてほしいです。