経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

逃げるのすら疲れた。

小学生の頃は、所謂教育ママに支配される。何とか反抗して脱却。
中学生の頃に、クラスメイトに空き巣される。その後も普通に話しかけられる。
高校生の頃は、人にボコボコにされたのと留年が同日。一人暮らしと転校。
大学生の頃は、楽しく過ごす。ようやく過ごせた幸せな期間が終わると思ったら絶望し、就活から逃げる。
社会人になり、中学生の頃の後輩(顔見知り程度)が、半グレになっており車で拉致される。何とか逃げる。
その後も、バイト先の店長に給料を引かれてたりして揉めたり、人間関係で心折れたりして、引きこもる。
現在三十七歳。無職、引きこもり。貯金残高三万の実家暮らし。夢も希望もない。
親は先に死ぬ。働かないといけないのは当然。誰もがそうしてる。けど、自分は怖くてできない。
面接、職場、人、仕事、全てが怖い。そして、逃げている。
死のうとも思ったが、それも怖い。八方塞がりの中生きてます。
逃げっぱなしの人生。
死ぬ勇気だけでも欲しいですね。

感想1

その時々で何度も理不尽にさらされる中で何とかしてここまで生きてきた、でもだからこそ今の現実が投稿者さんにとっては重く、ふぅーっと息を吐き出すように漏れた「逃げるのすら疲れた」という言葉のような印象を受けました。

教育的な支配を発端として、抜け出してはまた何かが立ちはだかって、そしてまたそれを立て直して。。。というループは確実に投稿者さんに何かを植え付けていく体験だったのかなと想像しつつ、そんな矢先で得た「ようやく過ごせた大学での生活」は投稿者さんに希望と安心をもたらすものであったのと同時に、翻って「失われればこれまでのように絶望をもたらすもの」にもなりうる出来事だったのかなとも思えました。

ですが、そのあともこれまでのように諦め続けずに前に進み続け、文字通り「心折れる」に至るまで、あらゆるものが投稿者さんにふりかかっては崩してきたのでしょうが、その数だけ投稿者さんが自身で立て直してきたことと同義のように私には思えました。

それは「逃げるのに疲れた」のではなく、むしろ、目の前に立ちはだかるものと「真正面から向き合って、受け止め、また自分の力で積み上げていく」ことを続けてきたがゆえのつらさや苦しみのように感じた私がいます。

形を変えては繰り返されるループの中で力を奪われ、諦念を抱くことはむしろ自然なことのように思えます。ですが、八方塞がりの今を生きる中でこうして思いや苦しさを書きに来ることは「逃げる」ことではなく、心や頭のどこかで「前に進もう」と思っているからこその行動であるように私には思えます。
それは、礎とするにはまだ少し心許ない程度のことなのかもしれませんが、勇気を持って思いを伝えに来たこのことをきっかけに、止まっていた投稿者さんの中での時間がまた少しずつでも動き出すことになっていってほしいなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

「逃げるのすら疲れた」とありますが、逃げる以前にあなたにとって力を奪われることが今まで多すぎたと率直に思いました。だから、逃げる前に相当疲れているだろうし、そのうえで逃げるという行動をとることでさらに疲れ果てるのは無理もないと私は思いました。むしろ心の中で「逃げてほしい」と願う気持ちや、「逃げられてよかった」と応援したい気持ちを抱いています。
しかし、あなた自身は逃げることに後ろめたい気持ちがあることも伝わってきました。おそらくは一般的に逃げることはよくないことで、困難に立ち向かわなければならないというプレッシャーがあるのだろうと推測しています。今は実家暮らしとのことで、もしもそれほど居心地が悪くないのなら、その環境を活用して、これまで背負ってきた負担から回復することや力を蓄える期間を過ごすことは選択肢の一つであると思いました。ただ、一人では次に踏み出すことはとても難しいと思うので、あなたの事情を理解して手伝ってくれる人や機関が見つかることを願っています。
こうして、心の内を書いて送ってくれたことがあなたが何とかしたいと思っている証だと感じています。その動機があれば、理解者や支援との出会いはあると私は信じています。とりあえず、死にトリは受け止めて理解をすることならできるので、これからも必要な時にはいつでも活用してください。

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