経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何のために生き続けなきゃいけないの?

私の父は私が10代の頃に不倫して離婚調停中に隠し子を作って家を出ていきました。
不倫相手の方からは電話で罵声を浴びせられ死ねなどと言われてきました。
父の不倫をきっかけに精神疾患になり入退院を繰り返すようになり、
最近になって戸籍謄本が必要になり取り寄せたところ中々貰えず私一人の戸籍になってることが発覚し、分籍届を5年前に出されていました。父にそのことを確認したところ知らないしやったなら覚えてると言ってたのですが、次の日になって、こと細かく説明してきて私に頼んで書いてもらったと言われました。でも、そんな大事なことなら私は覚えてるしおかしいと思って分籍届のコピーをもらったところ全て父の筆跡で、私になりすまして提出してました。5年間どんな気持ちで私と接してきたのか疑問になって、今までされてきたことも父がいま相手の女性と幸せならそれでいいと思いで全て水に流していたのにすごく悲しくてそこから人間不信になりもう疲れました。誰も信用出来なくなりなんのために生きてるのか分からないし毎日、1日1日生きるのがやっとでもうしんどいです。せめて自分が嘘ついてやったことなんだから認めて謝ってくれれば私は人間不信にまでならなかったのに自分の父親がこんな人間だと思うのも恥ずかしいです。私がおかしいのですか?何が正解で何が間違いなんですか?

感想1

あなたが父に対して抱いた気持ちはどれももっともなことで、全然おかしいと思いませんでした。少なくともあなたは全く間違っていないと思いました。心の病気になってしまうことも無理のないことだろうと思いました。本来なら信頼し、自分を守ってくれる尊重してくれるはずの相手(父親)が10代の時に自分の存在を軽視するような形で家を出ることでも十分にショックだと思いますが、そのうえで、不倫相手から罵声を浴び、死ねと言われることの理不尽さがあなたに与えたダメージは相当に大きかったと思います。
そして、戸籍を勝手に動かされていたことで、人への信頼や自分の存在を揺るがす決定打になったように感じました。それまでのことで、ずたずたになっていた父への信頼をあなたが必死な思いで、何とか作り直したところだったのに、そのかすかに残っていた信頼のかけらを吹き飛ばすようなことだったのだろうと思いました。
ただ、一方では父親と言っても単なる他人であると思っている私もいます。親子は選んで親子になったわけではないので、残念ながら自分にとって恥ずかしい人間であることもありますし、とんでもない人であることも誰にでも起こると思っています。だから、ここまでひどいことをする存在を信用する必要はないと思いますし、距離を置き、切り離す機会になったと考えることもできそうだと思いました。とはいっても、そう割り切れない複雑な気持ちも当然あると思います。少しでもあなたが心穏やかに過ごせる日々を取り戻すことを願っています。死にトリが何かの役に立ちそうなら、またいつでも来てください。

感想2

投稿読みました。あなたの心の中にどれほどの深い痛みと混乱が渦巻いているのかがとても伝わってきました。時間をかけて築いてきたお父さんを“許してもいいかも”という気持ち、その奥には寂しさや傷を押し込めていたのだと想像しますし、けど戸籍謄本の一枚の紙をきっかけに、再び表面化されてしまったイメージを抱きました。
まず、あなたが感じている悲しみや怒り、そして混乱は、決しておかしいものではないと私は思います。むしろ、父親という最も信頼したかった存在から嘘をつかれ、しかも自分になりすまして分籍届まで出されたという出来事は、人間不信になっても不思議ではないほどの衝撃だと感じます。ましてや、それが「自分は覚えていない」と言った直後に「細かく説明してくる」というような、言い逃れや嘘が重なっていたのなら、信頼を完全に失ってしまうのは当然のことではないでしょうか。不倫、離婚調停中の裏切り、そしてその後にできた隠し子…思春期という多感な時期に、あなたは人生を揺さぶられるには十分すぎる経験をされてきたのだと思います。そこに、不倫相手からの心ない暴言にさらされ、精神的にも調子を崩してしまったのは、苦しみが一過性のものではなく、長く積み重なってきたことと感じます。それなのに、ようやくなんとか折り合いをつけて過去を“水に流そう”とまで思えたあなたの優しさを、またしても裏切るようなことが起きてしまったのは言葉では表しきれないほどの悔しさと失望が、あなたを覆っているのだろうと思いますし、私まで勝手ながらお父さんには憤りを覚えてしまいました。
あなたが「何が正解で何が間違いなのか」と感じるのは、ごく自然なことのように思います。本来なら、正しさを教えてくれるはずの父親が、自分の非を認めず、自分の意思であなたとのつながりを隠すような行動を取ったわけで、しかも、そこには説明も謝罪もなく、その曖昧で一方的な行動に、あなたは一人だけ置き去りにされたような気持ちになったのではないでしょうか…。あなたの抱く感覚や感情は何もおかしなことではないと声を大にして伝えたいです。親子という関係であっても時として簡単に裏切られますし、関係性も崩れることも少なくないと私は思っています。“そういう父親なんだ”と容易には割り切れない気持ちもあるかもしれませし、こんなこと安易に言うことではないかもしれませんが、親子関係の中であなたがこれ以上傷を増やさないで済むためにもむしろ分籍されて良かったのではないか…と思ってしまっている自分がいるというのが正直なところです。
今はまだ、心の傷の深さに、どう生きていいのかさえ見えなくなってしまっているかもしれませんが、“自分の痛みをちゃんと見つめられる人”は、自分自身と向き合える力のある人だと私は思っています。“信じる”ということが、痛みを伴うものになってしまった今、すぐに誰かを信じることは難しいかもしれなくても、自分の感情や声は、少しずつでも信じてあげてほしいなと思いました。この先、少しずつでも、自分自身を取り戻せる時間が訪れることを、心から願っています。あなたの問いが、あなた自身を責めるためではなく、「これからどう生きていくか」を考えるための問いに変わっていけたらなとも思います。長々と一方的に思うことを書いてしまいましたが、もしまた死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてください。投稿ありがとうございました。

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