経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

愛に溢れた人になりたい

私はこれまでの人生、愛情を持ったことがありません。自分にも、家族にも、その他の人にも。
誰かに恋愛感情を抱いたこともありません。

とにかく自分が理想とする人間像(愛嬌があってみんなから愛される人)と現実の自分(人間嫌いで表情が乏しく孤独を好む)がかけ離れすぎて、自分のことは大嫌いです。

家族には、これまで育ててもらった感謝はありますが、愛情があるかは分かりません。乱暴な言い方ですが、父はただお金を稼いでくれる人だし、母は私にいろいろ買ってくれる人としか思えていません。

他人に対してもそうです。小さい子供が手を振ってきても「ウザイな」と思って無視してしまうし、やたらと話しかけてくるおばちゃんには「話しかけないでもらえるかな」と思ってしまいます。

こんなクズ人間に育ってしまったのはなぜなのか考えてみました。人のせいにするのは良くないですが、母方の祖母と母がかなりサバサバ通り超えて冷酷な人間でした。祖母は他人から贈り物を貰ったとしても自分が気に入らないものは文句を言って受け取らないような人でした。「祖母のようにはなりたくない」と言っていた母も、母の日にあげたプレゼントを「なにこれ。要らない」と言って、プレゼントしてくれた人の目の前で捨てました。母の日に書いた手紙も捨てられたことがあります。
さらに母は自分の思い通りに行かないとかなり機嫌が悪くなるタイプで、私が第1志望校に落ちた時も、母の方が号泣し「あんたは悔しくないの!?」と怒鳴られました。(ぶっちゃけ滑り止めの高校の方が行きたかったので全然悔しくありませんでしたが。)
今は「自分のやりたいことやりな」と口では言ってくれますが、心の奥底では「自分の思い通りにしたい」という魂胆が感じられます。
また母はまともに悩み相談にも乗ってくれません。
何度か、この経験談と同じような悩みを話したことがありますが「人に興味ないだけじゃないの?」の一言で終わりました。
ああ、この人にはもうこれ以上話さない方がいいな。と思い、それ以来本気の悩み相談はしていません。(ここしか吐き出せるところがありません!!)

もしかしたら遺伝かも、と思ってしまいます。自分もこんな人間になるのかも(もうなってるかもですが)と思うと怖いです。

ちなみに、2歳年下の妹は私の理想像そのもののような人間なので、母の育て方が100%関係しているかといえばそうでは無いかもしれません。

少し話は逸れますが、職場でもそんな私の冷酷な人間性が影響してか、「ロボットみたい」と言われ、私があまり自分の意見を言わない気の弱いのをいいことに「変な人だよね」「喋り方がさ、トゥーーーンって単調なんだよね」とか、自分が気にしてることをグサグサと言われます。何をやっても怒鳴られます。いいことを言われたことなんて1回もありません。

自己肯定感があって、愛に溢れた人って輝いて見えるし素敵です。
そんな人に私もなりたいです。

感想1

とても興味深く読みました。そして、わりと共感できるところもあり、ちょっと嬉しくもなりました。実は私も「人を愛する」というような感覚がよくわからないと思うからです。行為として人が喜ぶことや感謝をされるようなふるまいはできますが、愛というより打算や必要性からしかしていないと感じています。そして、プレゼントをするのも好きではないですし、誰かからもらうことも好きではないです。さすがにあなたの祖母や母のようにあからさまに捨てたりはしませんが、心の中では「プレゼントって要らない物を押し付けられるから嫌いなんだよな」と思ったりします。そして、人から関われるのもあまり好きではなく、一人の方が気楽だとも思います。そんなふうに、似ているな、分かるなぁと思うところもあったのですが、ちょっと違うなと思うところもありました。
一番違うと思ったのは、「愛に溢れた人って輝いて見えるし素敵」とあなたが思うのに対して、私はあまり思わないことです。私はきっとあなた自身は冷酷な人間なのではなく、愛を表現する方法を獲得する機会を奪われたのではないかと推測しました。それはあなたがもともと持ってた資質というより、環境の影響が大きいように思いました。
そして、もう一つ気になったのは、愛情深さや誰かをいたわる気持ちや行動について、世の中では画一的なイメージがありそうだということです。誰にでもわかりやすく目に見えるように好意を表現できる人(おそらくあなたの妹さんのような人)が愛に溢れる人で、それがうまくできない人という評価をしがちですが、私はそうとは限らないと思いました。少なくとも、あなたがこうして真剣に人との関係について悩み、自分も周囲の人も大切にしたいという願いを持っていることも、十分に他者を尊重していると私は感じ、それもある意味で「愛に溢れる」と表現してもいいように思います。
あなたが冷たい人間のようにふるまってきたのは、自分を守るためだったようにも思えました。愛を求めながらもらえない環境にあったとしたら、愛そのものを否定したり距離を置くことは理にかなった適応方法だと私は思います。妹さんとの比較もしていますが、似たような環境にいたとしてもその環境への適応ややり過ごし方はそれぞれ違うと思います。あなたはあなたなりに、その環境の中で生き抜いてきたと思います。私はあなたが愛に溢れた人になりたいという願いに対して、すでにそこへ向かう一歩を経験談を書いて送ることによって踏み出したと感じています。投稿、ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。「愛に溢れた人になりたい」というタイトルを見て、私自身は今まででそう思ったことがないので何だか新鮮というのか不思議な感覚で、なぜあなたがそう思うのだろう?と気になったので感想を書いているところです。読んでいて、自己否定感の強さが感じられて「クズ人間」「愛情を持てない」「冷酷」などと自分を責めていましたが、その言葉のひとつひとつから感じるのは、むしろ「愛されたい」「理解されたい」「違う自分でいたかった」というどこか願いの裏返しのように私は感じました。(そんなことなかったらすみません)でも、あなたがそうなりたくてそうなってしまったのではなく、“そうならざるを得なかった環境”がそうさせてしまった部分が大きいのではないかとも思いました。
お母さんや祖母さんとのエピソードは、淡々と書かれながらも子ども心に受けた傷の深さを考えずにはいられず、例え、物理的な暴力などがなかったとしても、愛情を打ち返してもらえなかったり、感情をねじ伏せられたり、何を差し出しても否定されるという経験は、心理的には十分すぎるくらいに深く傷が刻まれるものだと私自身も経験して思うことです。自分の感情を素直に外に出すのが怖くなって当然ですよね…。
人に対して素直になれなかったり、感情が乏しく感じられたりするのは、あなたが元々そうだったわけではなく、“そうならなければやっていけなかった”からではないかなとも感じました。無意識に身につけた生きるためのスキルだったのではないかなと。
「ロボットみたい」と言われたことも、私もよく「何を考えているか分からない」「冷たい人、感情ないの?」などと言われてきたので、あなたの抱く感情に共感している一方で、あなたがグサグサと突き刺さるように感じてしまうのは、この社会が、感情を上手く表現できる人や、人との距離を心地よく保てる人ばかりがなんとなく“良い人”とされ、そうでない人は“冷たい”、“変わっている”と簡単にカテゴライズしてくることが影響しているように思いました。本当に社会のそういった価値観には辟易してしまいます…。でも、表現ができないからといって、そこに感情がないわけではきっとないですよね。むしろあなたのように、表に出せない感情を何層にも重ねて抱え続けている人の方が、心の深いところで色々考えていることがあると、私は思います。そもそもそうした言葉を投げかける人たちは、目の前の人の背景に思いを馳せる余裕がないか、もしくは“異質なものを排除する”ことで自分の立場を保っているという側面もあるのかなと思ったりします。言葉に棘を込めることしかできない人間関係の中で、自分の繊細な部分を押し殺し、耐え続けてきたこと、あなたは十分に頑張ってきたのではないかなと、偉そうに聞こえてしまったら申し訳ないですが、そう私は感じました。
また、あなたが妹さんについて「理想像そのもの」と表現しているところも印象的だなと思いました。その言葉には嫉妬というより、自分には無いと感じているものへの憧れと悲しみ、あるいは「同じように育ったのに、なぜ?」というやり場のない疑問があるように私には映りました。ここにも「自分はどうしてこうなったのか」という根本となる問いがあって、でも、家庭環境が同じでも、子どもの気質や受け止め方は本当に一人一人違うものです。だからあなたが感じてきた孤独や苦しみは、あなただけの真実であって、誰かと比べて否定されるようなものではないと思うということをお伝えしたいです。あなたの冷たさや無関心のように見える部分も、実はこれまであなたを守ってくれていたものかもしれないなとも思います。あなたの「愛に溢れた人になりたい」という思い、それはそれとして受け止めたいなと思いつつ、これから先、出会う人や場所によって「そのままの自分でいいかも」と思えたら今抱えている苦しさもちょっとは違うのかも?なんて思ったりもしました。もし、また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。お待ちしています。

一覧へ戻る